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和尚さんの法話 「五逆十罪」

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仏教は、救いとか解脱とか信仰ということになりますけれども、仏教の中には道徳的
な、こういうことは守らないといかんということがございますが、そういう面を少しお
話したいと思います。
五逆十罪という言葉が仏教にございます。大きな深い罪ですね。
この五逆罪は十罪より、もっときつい罪です。

一、殺父
一、殺母
一、殺阿羅漢
一、仏身出血
一、破教団
この五つを五逆罪といいます。
昔は、日本の法律でも父母を殺すということは、他人を殺すよりも罪は強かったようで
す。
戦後に法律が変わりまして、父母を殺しても他人を殺した罪と同じになったようです
が、昔はそうではなかった。
仏教では、五逆罪の一つの罪を犯しても無間地獄に落ちるということになってるんです
ね。地獄の中でも一番きつい地獄へ落ちる。
宗教というのは、仏教のことなんですが、時として時代に逆行するような、こういう思
想が出てくる。
お釈迦様というのは、如来様ですよね。普通の人ではないんですよ。

如来様が、人間の姿と成ってこの世へ生まれてきたわけです。

この世へ出ようとすると肉体を持って生まれてこないとしようがないから。
霊魂は仏様なんですよね。
人間人間というけど、肉体が人間じゃないんですよ。

その人の魂が人間でありその人なんです。魂がその人の人格でしょ。

だからお釈迦様の霊魂が問題なんですよね。
等覚の菩薩というのがあるのですが、過去からずーっと修行をしてきて、次に如来に成
る仏様なんですが、観音様やお地蔵様、弥勒菩薩もそうですね。

次に人の姿を借りてこの世へ出て来られる。そして新たにまた仏教を広めるわけです。
ところがお釈迦様が初めての仏様じゃなくて、お釈迦様のまえにも仏様が次から次から
出てきてるんですね。つまり恒河砂数の仏ですね。
ガンジス川の浜の真砂の数ほどの仏様がある。
次ぎの弥勒如来がこの世へ来るのは、五十六億七千万年後ですが、これは仏教の時間で
いうと短いんですよね。然しながら我々の観念からすると長いですね。

その後に弥勒様がこの世へ出てくるわけです。
今弥勒菩薩は、あの世の兜率天という天上界にいらっしゃいますね。

その前はお釈迦様のお弟子さんだったわけですね。

次にこの世へ出て来たときに、仏教を広めるわけですが、お釈迦様がお説きになったこ
ととくいちがうはずがないんですよ。

ああいうお方は、常にあの世へ行けるし、仏様とも交通できるし話も出来るわけです。

だからお釈迦様もそうだったわけです。

だから各仏様が説く内容が食い違うはずがないんです。

だからお釈迦様が説いた教えというのは、前の仏様が解いてるはずなんです。

だから永遠の過去から仏教の仏様は同じ教えを説いてるわけなんです。

お釈迦様の時代から4000年ほどたっていますが、この時代なったらこうなるということをちゃんとお経に説いてあるんです。

だから末法に入ったら、坊さんが子供の手をひいて酒屋へ酒を買いに行くというお経があるんですよ。

我々の今の時代はそうですよね。子供も作ってるし、酒も呑むし。

ところがお釈迦様の時代は、仏教教団というのは戒律できちんとまとめられてますので、未来の坊さんが子供を生んで、子供の手をひいて酒を買いに行くというようなことは、想像がつかなかったと思うのです。

弟子たちは、そんな時代がくるだろうかと思うたんじゃないでしょうかね。

阿羅漢たちはそうなるというのが分かったと思うのですが普通の弟子たちはびっくりしたんじゃないでしょうかね。

そういうことで、やがて仏教は廃れてしまうんですよ。

末法万年というて、万年たったらもう教道滅尽というて仏教は無くなってしまう。

仏教が無くなるということは、つまり信じる人が無くなるということです。

だから五逆十罪なんて、こんなものは信じられないというように成るわけです。
もう今既になってきてますね。


「七仏通戒偈」
というのがあります。

つまりお釈迦様の前の仏様が皆同じ偈を説いてるんですね。
偈というのは仏教の詩のことですね。

諸善奉行(諸の善は奉じ行う)善いことは行いなさいということですね。

諸悪莫作(諸の悪はなすことなかれ)

自淨其意(自ら其の意を浄くせよ)心をきよくしなさい。

是諸仏教(是れ諸仏の教えなり)諸仏ですからどの仏様も皆通じてるということです。

善いことをせよ、悪いことをするな、心を清めよと、あたりまえのことですね。

こういうふうにお釈迦様一人が説いたものじゃないということです。

前の仏様も、その前の仏様も無量の仏様が皆同じことをずーっと説いてきてるんです。

そしてこれも今は通用するけれども、いずれ通用しない時代が来ると。

それは仏教が間違ってるんじゃなくて、信じない人間が間違ってるんですね。

阿羅漢というのは、一切の煩悩も無いし、三界も解脱してるし、あとはもう仏になる修行が残ってるだけですね。

順仏ですね。

そういう阿羅漢を殺すということは仏を殺すのと同じことで、五逆罪になるわけです。

仏身出血は、仏様はあまりにも徳が高いので殺すことは出来ないけど、場合によっては怪我をさせることがある。身体から血を出すことがある。

これが五逆罪になるのです。

それから仏教教団を破壊する。

罪というのは、これだけじゃありませんね。

他にもいろんな罪がある。物を盗るとか、人を騙すとか、心に思うだけでも罪になるんです。いつかあいつを殺してやろうとか、完全犯罪を計画して殺してやろうと思う。

ところがその計画を実行できずに死んだとしましょうか。

そうすると殺さなかったわけですよね。

ところが心で殺してやろうと計画を持ってたわけでしょ。
それがあの世で罪になるんです。

口で言うても罪になる。心で思うても罪になる。

兎に角、罪というのは身口意といって、身体で行った罪。

これは殺生。殺す罪ですね。

人だけじゃありません。

仏教では犬でも猫でも虫一匹でも殺したら殺生です。

人間を殺すよりも虫を殺したほうが罪は軽いけれども殺生は罪になるわけです。

それから盗む。物を盗る。これも身体を使わなきゃできない。


それから邪淫。

今でいう不倫です。
今の時代は不倫が罪になるのかと思うでしょうね。

殺生。偸盗。邪淫。この三つが身体で行う罪になるのです。

口で言う罪。悪口ですね。綺語と言う、おじょうずですね。


相手のためを思うて、気を悪くしないようにと、自分もそう言われたら嫌だからそんな思いをさせたらいかんからという意味でいうのと違うんですよ。

綺語というのは必ず自分の利益を考えてるんですね。

ここでこう言うたら後でまたうまいこといくだろうと、そろばんを弾いて言うのが綺語です。

それから両舌というのがありますね。よく二枚舌といいますね。

嘘のことを言うてると思うのですが、嘘は仏教では妄語といいます。

両舌は、Aの人に言うこととBの人に言うことが違うんですよね。

それは何故同じことを言わないのかといいましたら、こっちにはこう言うたほうがいい、こっちへはこう言うたほうがいいと。

それも自分の都合のいいことを考えてる。