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七ケ島 鏡一
七ケ島 鏡一
novelistID. 44756
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グランボルカ戦記 外伝2 前日譚:アリス

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 アリスの作ったシチューを鍋がからになるまでたらふく食べて、テオは満足そうに椅子の背に寄りかかり腹を叩いた。
「うむ。うまかった。昔卵焼きを焦がしてエリザベスに叱られていたアリスがここまでできるようになるとはのう。ワシも歳を取るはずじゃ。」
「陛下、お行儀が悪いですよ。昔それで義母さんと王妃様に叱られていたのに直っていないのですか。」
 そう言って食器を片付けながらアリスが笑う。
「まあ、それはそうなのだがこればかりはな。しかしこうしていると『満足そうにしてくれると作りがいがありますよ。』と言ってくれる女性もいたのだぞ。」
「昔の恋人ですか?」
「いや、ランドールの妻、リィナだ。アレクシスが生まれる前までは城に居たからな。その後はアリスも知っての通りずっとセロトニア暮らしだが。」
 アリスの淹れた紅茶を飲みながらテオはふっと遠い所を見るような目をした。
「・・・のう、アリス。」
「はい。」
「ワシは弱い人間じゃ。一時の気の迷いで隣国を攻めるようなどうしようもない人間じゃ。」
「そうですね。」
「はっはっは、手厳しいな。・・・アリスよ。今のワシは世間で言われている狂王か?どう思う?」
「そうは思えません。今の陛下は・・・今日の陛下は紛れもなく私たちの優しい陛下でした。だから迷っています。本来であれば私は今すぐにでも
貴方を殺すべきなのでしょう。国のため、民のため、アレクシスの為にも。」
「はっはっは。相変わらずはっきり言うのう。本来ならワシは生きていてはならない存在じゃと思う。じゃがな、ワシはまだ死ぬわけにはいかんのだ。
ワシの中には悪魔がおる。もとはと言えばわしの弱さに浸け込まれたのじゃがな。以前は時々話しかけてくるだけじゃったが、今はもう週のうち3日は
この悪魔に意識を奪われる。加えて―」
 バルタザールは唐突に右手で自分の左腕をつかみ、そのつかんだ左腕を無造作に折った。
「な・・・っ!?」
 驚いたアリスが立ち上がろうとするのをバルタザールは手で制すると、見ていろと短く言った。
 アリスが言われたとおりに黙って見ているとバルタザールの左腕はみるみるうちに奇妙な形に盛り上がり、やがて真っ直ぐ元通りになってしまった。
「この回復能力だ。まず現状でこの体が死ぬことはないだろう。じゃが、ワシの意識が死ぬ可能性はある。こんなこと言い訳にもならぬが、ワシの意識が死ねばこの身体は悪魔の物になってしまう。そうなれば、指揮系統の乱れはなくなり、あっという間にエーデルガルト王女は見つかり、冥界への扉がひらくじゃろう。エリザベスやランドールがいくら抵抗したところで多勢に無勢いずれは殺される。・・・ゆえにわしは今死ぬわけにはいかんのだよ。」
 破片も残らず消え去れるというのであれば別だろうがとバルタザールが自嘲気味に笑いながら続けた。
「アリスよ。お前の魔法でワシを消せぬか?お前の魔法ならあるいは――。」
「お断りします!」
バルタザールの言葉を遮るようにして、アリスが叫ぶ。
「私の力は万能ではありません。私が言葉にできる概念を現実化するだけです。人を完全に消すなんてことできません。そんな恐ろしい方法・・・私にはおもいつきません。」

 嘘だった。
 アリスの本当の魔法である『概念の現実化』を使えば
 
例えば塵すらも残さない、局地的な太陽のような炉。
例えば永久に溶けることも砕くことも叶わない大地深くまで続く永久凍土。
例えば肉体などなかった事にする程の重力のすり鉢。
どれも実現することは可能だ。

しかし、それは敬愛する皇帝を
燃え盛る灼熱の炉の中に放り込むということ。
氷の壁の中に封じ込めるということ。
大地ですりつぶすということ。

死ねる確証など無い皇帝を、生きたまま
永遠に焼き続けということ
永遠にぬくもりのない氷の中に押し込めつづけること
永遠にすりつぶしつづけるということ。

 ただそれができれば殺せないまでも悪魔の動きを止めることにもなるだろうし、悪魔の動きが止まり、バルタザールが不在となれば
 アレクシスが国内をうまくまとめてくれるかもしれない。そうすれば、こんな荒れた世界ではなくなるかもしれない。
 だが、それでもそれはアリスにはできなかった。
 国より、世界より、アリスはバルタザールの方が大切なのだ。
「そうか・・・。」
 バルタザールは無念そうにうつむくと搾り出すようにしてそう言った。
「申し訳ございません。」
「いや、無理を言った。すまなかったな、忘れてくれ。・・・・ところでアリス、お前が一人でここに住んでいるのはリュリュを監視するためだな?」
「陛下が正気でいらっしゃるのなら隠すこともありませんね。そのとおりです。アレクからもしリュリュ様が陛下の手のものに奪われるようなことがあれば殺せと言われております。」
「そうか、アレクシスも極端な命令を出しおるな。・・・のう、アリス。物は相談なのじゃが。」
「はい。」
「リュリュをワシから守ってやってくれんか?」
「は・・・?」
「いや、身勝手な話ではあると思うのだ。しかしな、わしのせいでアリスにリュリュを殺させるというのはアリスにもアレクシスにもリュリュにも申し訳がない。」
「しかし、陛下はリュリュ様を嫌っておいでなのではないですか?」
「・・・最初は確かにな。リュリュと引換えにシモーヌが死んだ。それはワシにとっては大きな事件じゃったし、最初はそれでリュリュを恨みもした。しかしそれでもリュリュはワシの娘じゃ。ワシのせいで辛い思いをさせ、さらに命を奪うようなことはしたくはない。」
「・・・・・・。」
「明日の晩に計画が動く。首謀者はリュリュの配下の者だ。おそらくリュリュは為す術なく捕まるだろう。できればそこでリュリュを殺すのではなく、アレクシスのところへ連れて逃げてほしい。」
バルタザールの言葉を黙って聞いていたアリスが少し自嘲気味に笑いながらつぶやいた。
「まったく・・・父子そろって・・・。」
「ん?」
「いいえ。みんな私のことをなんだと思っているんだろうと思いまして。・・・わかりました。全部私に任せてください。リュリュ様は必ずお守りします。
それと、陛下も必ずお救いいたします。ですからどうか諦めずに、悪魔なんかに負けないでください。」
「アリス・・・すまないな。」
「いえ・・・それより陛下、明日のご予定は?」
「ふむ。リシエールへ戻る予定だから昼前ならば予定はないが。」
「でしたら今日は泊まっていってください。積もる話もありますし。」
「む・・・いや、しかし寝る場所が・・・。」
「昔は一緒に寝たではないですか。」
「いや、まあそうだが・・・。いや、しかしだなアリス」
「大丈夫ですよ。」
「いや・・さすがにそれは・・・エリザベスに叱られてしまう。」
妖艶に微笑むアリスに、バルタザールはしどろもどろになりながら答えるのが精一杯だった。


「ん・・・んん・・・」
アリスは窓から差し込む朝の光と控えめなノックの音で目覚めた。
「ん・・もう少し・・・。」
『アリスさーん、おはようございますー。オデットですけどー。』
ドア越しに聞こえるオデットの声を聞いてアリスの意識は一気に覚醒した。
「いけないっ!陛下起きてください。・・・あれ?」