人生に出逢いと別れはつきもの
この作品冒頭で友人との別離のについて少し触れました。
ある一点で彼女の考え方についていけない部分があったわけですが、
それ以外はとても気の合う人でした。
お互いに小説を書く人間として、意見交換もしたし、
メールのやりとりだけでしたが、かなり内容の濃いおつきあいだったと思います。
今から振り返っても、小説仲間としてつきあえる人で
あれだけ気の合う人はいないだろうとは思います。
実際に逢う話も出ましたが、それは実現しませんでした。
以前の私はネットでお友達を作ることに憧れていました。
ブログでも小説サイトでも良いから、率直な意見交換ができる親友に近い存在
ができればと考えていたのです。
そして、やっと出会えたのがその彼女でした。
なので、彼女とつきあいを止めた後、そういう人はもう現れないだろうと思って
いました。
その前にもネットで少し親しくなってメール-あくまでもサイトを通じてのメール
交換をした人がいるのはいましたが、
やはり長続きしないのです。
しかし、辛い別離を経験した後では、それがネット上の付き合いの普通なのかなとも
思うようになりました。
つまり、あまりにも深く繋がるのではなく、浅く緩やかに。
長続きしないようでも、忘れた頃、ふっと、そういう人からメールが舞い込んだりも
します。
思えば親しくなりすぎない方が良いのだろうかという気もします。
私が所属しているブログではサイト会員同士の交流が大変盛んらしいです。
住まいが近くの人たちは現実に逢って、頻繁に交流会なども持たれていると
聞きます。
中には、アラ50の会、ダイエットの会などの同好会まで立ち上げたツワモノもいる
とか。
こうなると、最早、バーチャルではなく現実世界のおつきあいに移行しています。
まあ、こういう例は非常に珍しいのかもしれませんね。
つまり、私はこういう世界に憧れていたのです。
ですが、私の性格からしても難しいのかもしれません。
よくいえば、私はとても人を信じやすい性格です。
知り合った人を簡単に、この人は良い人だと信じ込んでしまうというか。
なので、ネットのように相手の人がどんな人柄なのかが実は判りづらい状況では
その人の話だけで相手を信じてしまうところがあります。
今度の経験から、私には多分、ネットで親しいお友達を作るというのは
難しいんじゃないか、、とも思うようになりました。
もう小説について話し合える人もいないと落ち込んでいたら、
そんな私でも、最近になって、また話のできる人が現れました。
今度の人たちは読み専の方ばかりです。
私の小説を読んでレビューや感想のメールを下さったことが縁で
何度かやりとりをしています。
たぶん、以前の友達のように深いつきあいはできないと思いますし、
あまり長続きしないものかもしれません。
それでも、また、小説について語り合える人ができて、
とても嬉しく感じています。
また、長続きしなくても、それはそれで良いのでしょう。
人生は出逢いと別れを繰り返して続いてゆくもの。
この出来事はそれを私に教えてくれました。
☆ 付き合い方も人それぞれ~緩やかなつながり方がベスト?
2013/10/17 ☆
タイトルどおりの内容なのですが、最近、私がつくづく考えることです。
読み専門の方で私の作品について感想メールを下さる方ができたという
お話はしました。
私は自分の作品を読んでくださる方には、何度かやりとりが続いた時点で
差し支えなければ、ご年齢と職業をお聞きすることがあります。
もちろん、年齢といっても、女性にダイレクトに年はききません。
アバウトに二十代か三十代か?
仕事というよりは立場的には主婦か、OLか。
その程度のことです。
しかし、それも無理に聞き出したいわけではないので、
抵抗があれば、スルーしてくださいね、と言い添えます。
今のやりとりをしている方はその点に関しては触れていなかったので、
あまり応えたくないのだなと思い、今度からは触れないことにしました。
そういえば、その人は最初から作品の感想に関してのみの内容だったと
今更那ながらに気づきました。
そして、そういう付き合い方もまたあるのだなぁとも。
先のメル友は本名さえ互いにあかし、仕事内容や日々のあれこれを
毎日、メールで話し合っていました。
でも、人はそれぞれです。
サイトで知り合った、どこの誰とも判らない人相手に
そこまで個人情報をあかして付き合おうと思わないのもまた
当然のことかもしれません。
なので、もちろん相手の意思を尊重して、そういう付き合い方をするべきです。
そして、また、しばらく、やりとりが続いた後、
ふっと終わりが訪れるものなのかもしれません。
それでも、私の書いた拙い作品を読んで、わざわざ感想を聞かせて
いただけるのですから、貴重な機会です。
そういう小さな出逢いと別れを繰り返しながら、
不特定多数の方と深くではなく、緩やかに繋がっていく、
それで良いのだと思います。
☆ メールが待ち遠しい 2013/10/22 ☆
例の読み専の人は今も時折、サイトを通じてのメールのやりとりが続いています。
そのことで、先日は書き忘れたことがありました。
私が相手の人のごく簡単な個人情報を知りたいということについて。
相手が知らせたくないのなら、もちろん追求しないと書きました。
それはもちろん、まず相手の気持ちを尊重しなければならない
ということもありますが、
そのほかにも私側から考えても、その方が望ましいのかもしれないと
考えられます。
というのも、先のメル友と決別した理由に関係があります。
私がその人の生き方、考え方についてゆけなくなったのがその理由だと
いうこともお話ししたと思うのですが、
万が一、今回も似た考えや生き方の人だったら、
私はまた、こういう人と付き合っていて良いのだろうか?
と思いかねないからです。
人にはそれぞれの考え方、生き方があるし、それはそれで良いけど、
やはり、自分以外の誰かを泣かせているのだと判りきっているのに、
そのことを平気でいられるというのは私は良くないと思うのです。
だから、また、相手のことを詳しく知れば、そういうことにもなりかねない
とも限りません。
要はおつきあいの中心をどこに置くかだと思います。
以前は小説を書く同士、更にそれを超えた人間対人間のとしてのおつきあい
であり、それはそれで楽しい時間を過ごしました。
密度も濃いものだったと思います。
なので、私としては、彼女を悪く言うつもりは毛頭ありません。
縁あって知り合い、楽しい時間を共有したのだから、
そんなつもりはまったくないのです。
作品名:人生に出逢いと別れはつきもの 作家名:東 めぐみ