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和尚さんの法話 「煩悩」

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ああそうかそうかとお金をお出しになったから私はてっきり、と思うて持って帰りましたけれども、なんで貴方は一言おっしゃって頂かなかったんですか。


いやあ、私は前世で借りたのかなと。

だから今返さんならんのかなと。

こう思いましたと言うわけです。

これも弁解してないんですよね。

これはもうその息子さんが黙ってたら、この人は一生だめになるか分からないでしょ。

白隠でもそうですよね。

これはその娘さんが一言白状しなかったら、それはえらいことになってしまうわけでしょ。

白状してくれたからよかったものの。それでも一言も弁解してないですよね。
この話しを聴いて自分はそこまで出来るかな、と思いますね。



他所の誰かが家へ来て、子供を連れてきて、この子は貴方の子供ですから育てて下さいと言われたら、びっくりしますね。

誰がそんなことを言いましたか、と言いたいですね。

とてもじゃないが、白隠さんのように、ああそうかそうかと言えるかな。
そういうところは学びたいですよね。


『伊藤一刀斎』

そこで思いますのは、宗教は信仰のみならず、何等かの一芸に秀でたという人がありますね。
芸術に打ちこんだ本当の名人というような人。

或いは、昔で言うと剣の達人とかね。

本当の名人というような、そこまで技を究めたというような人の伝記というのがありますね。

皆さんご存じでしょうか、伊藤一刀斎という人で、伊藤弥五郎。


其の方のお弟子さんに小野次郎衛門という人がありまして。

柳生流というのがありますね。将軍さんの剣の指南役をした柳生但馬守。

だけと違うんですね。一方に柳生、もう一方の道場には小野次郎衛門。

この二つの道場があったようです。そして家臣がどっちか好きな方に付いて剣を学んだんですね。

小野派一刀流と柳生新陰流と。


その小野次郎衛門という人は、伊藤一刀斎の弟子なんですね。

ところが、それを更に工夫して小野派一刀流。伊藤一刀斎は一刀流という流派の流祖なんですね。

その伊藤一刀斎に、或る武士が、真剣勝負を申し込んだんですね。

昔はただ単に試合をするというのではなくて、強い者をやっつけたら名が挙がるんですよね。

そんなだから強い者、強い者とあったらそこへ試合に行ったんですね。

それで或る武士が、伊藤弥五郎というと名人です。

こいつをやっつけたら自分の名が挙がるというので、真剣勝負を申し込んだんですが、相当な自信がなければ試合は出来ませんね。

自信があったんでしょうね。


そうしましたらその伊藤一刀斎は夜のうちに家を出ていくんですね。

それをまた余計な者が、一刀斎が夜逃げするというようなことを相手に知らせるんです。
それを聴いた武士は、私を怖がって逃げたと。

これは大したことはないぞと。本当にやっつけたら自分の名が挙がるというようなことで、追いかけて行って、今度は面と向かって試合を申し込むんですね。

それで已む無く試合をするんですが、その申し込んだ方が負けるんです。

伊藤一刀斎は、なんで逃げるようなことをしたかというと、試合をすれば必ず自分が勝って、相手を殺すことになる。無益の殺生をせんならん。

と、自分で分かってるわけですね。それほど自信があったわけです。

だからそういうことをしちゃいかんし、相手も死ぬんだし、こっちも無益の殺生だというので、試合を避けて、逃げるつもりじゃないけど避けたんですね。

ところがそれを余計な事を言う者があって、結局相手を殺してしまったんです。

それを逃げてしまったら噂が立ちますね。伊藤一刀斎が逃げたぞと。

ですが、そういうことを全く気にしていないんですね。

ところが、中途半端な剣の出来る者であったら、なにがなんでもやっつけんならんということになってきて、我が可愛いから。

名誉心があるからなんとか、かんとかあるんでしょうけど、伊藤一刀斎は逃げてしまった。


あとで、若し逃げ切ってしまったら、あいつは卑怯者だと言うだろうけど、そんなことは気にしていない。

気にしてなければ逃げるなんてしないですよね。


だから一芸に達した人は、白隠禅師のような境地の人が会得してるんじゃないかなと思いますね。

同じ謙虚な話しを前にもご紹介をしたと思いますが、幕末の剣士の中に男谷精一郎という人があったんですが、この人は、どれくらい強いか分からなかったというのです。



それと勝海舟のお父さんと、男谷精一郎とは同じ先生に付いて学んだ兄弟弟子なんですね。
そして勝海舟も成長して、その男谷精一郎に剣を学んだんですね。

九州の何処やらに、島田虎之助という人がいたんですね。

この人は非常に剣の強い人だったんです。

それで武者修行だというて、田舎では分からんというので、やっぱり江戸へ出て来ないといかんというので、遥々江戸へ行って、そして此処、此処という道場へ行って他流試合をするんですが、皆負かすんですね。

そして車坂という所になんとかという剣客が居て、そこへ他流試合を申し込んだところが、そこで初めて負けた。

そしてその時に、島田虎之助が、私は随分江戸へ来てあちこちの道場をまわてきたけど貴方ほどの出来るお方は居られない。

私は貴方にだけ負けた。と言うと、その道場の先生は、男谷精一郎の道場へ行って来たかと言うたんですね。


はい、行ってきましたと。行ってきたのか。

それで試合をしたのか。試合はしました。
どうだった。引き分けたんですと。

然しながら、私ほうが少し部があったと思います。同じ引き分けはしたんだけど、こっちの方が部があった。

だから言うならば勝ったと思いますと言うたんですね。

そしたらその島田虎之助先生は、それはあんたに負けてくれたんだと。

あの先生は、私よりも若いけれども、どれくらい強いか分からんのだぞ。

それは本当の試合ではないぞと。

私から聴いたと言うて、改めてご指導を願って来いと。
本気でお願いしますと言うて、改めてお願いして来いと。

それでびっくりして、もう一遍行ってみたんですね。

貴方は私に引き分けたと言いながら、譲って頂いたような、向こうの先生の口ぶりでした。

どうぞひとつ本当の試合をお願い致したいと言うて、そうかというて、改めて試合をしたらこてんぱんにやられてしまうんです。



それでびっくりして、男谷精一郎先生の弟子になるんですけれども、その男谷精一郎という先生は、誰と試合をしても、強い人とも弱い人とも引き分けて、相手に部を譲るんです。

相手が満足して帰るようにね。

そういう人だったんです。これはよっぽど腕がよくなければ出来ないことですね。


『清水次郎長』

だから男谷精一郎という人は、どれだけ強いか分からなかったといわれるんですね。

その頃の武士堅気というのは兎に角、名誉ですよね。

名誉心我強くて自分が一番強いんだと、あの先生は強いんだと思われたいというような人ばっかりだったんでしょうが、あの方はけっしてそういうことはなかったということですね。
感銘しますね。
誤解されたら笑われますよね。



そういう仏教でいう悟りの境地に近付いてくるというような人だなと思うんです。
作品名:和尚さんの法話 「煩悩」 作家名:みわ