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和尚さんの法話 「煩悩」

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我々の日常的な生活は、一応科学的な生活ですよね。
だからこの日常生活の中に、こんな理論というのは成り立つものじゃない。

これは法界というか、あの世というか、禅定に入ったらこういう世界が分かるんですよね。だから例えば一即一切を、おまえ考えてみよと、こういう問題を出すんです。

それが禅定に入ったら、境地が上がったらははあんと分かるんです。

あの世はこういう世界なんです。



例えば、般若心経の色即是空とありますが、この空というのは、この空間みたいなもので透き通ってるもので何も無いんです。

人格的に言えば無我なんですね。対照的に言うたら空です。


この色というたら眼に見えるものですよね。

眼に見えるもので、手で触れることのできるもので、こういうのを皆色というんです。

我々の周囲にあるものはみな色というんです。
色形のあるものですね。

色形を持ってるというのは空ではないということなんです。

空というのは色形が無いというもので、この空間と同じで色形が無いものを空というのです。


ところが、色即ち是空為りと言うたら、先ほどの一即一切と同じで、全く矛盾してるわけです。こんなことは我々の現実の世界では絶対にあり得ない。

だからこれは、色即是空というのはあの世のことなんです。

あの世へ行ったら空なんですよね。和尚さんはあの世の入り口を体験してこういうことが分かるので、これはなるほどと思ったそうです。


般若心経の説明をしてもらったことがありますが、この色(しき)というのは物質なんですよね。

物質は色形があるから物ということになる。そして身体で言うたら肉体が色です。


それで、その色が色や形のあるものというと、この物質しかないと思うてますね。

学者も禅宗の坊さんもね。皆さんのお近くに禅宗の坊さんがありましたら、この色即是空の色というのはいったいどういうことですか、とお聞きになってみて下さい。


和尚さんが言うには、この物質というのは絶対に空にはなりませんとの説明です。
物質というのはいくら分析しても最後に何か残る。
無にはならないんです。つまり空にならないんです。


だからこの色というのは物質じゃなくて、禅定の世界へ入ったら、というか霊魂ですね分かり易く言うたら、霊魂が空なんです。

だからいくら頭で考えても分からないんです。だから座れと和尚さんはおっしゃっていました。


こういうと失礼ですが、教える師匠さんも間違っていれば、だからお弟子さんも間違っているんだと。


『白隠禅師』

ところが白隠禅師はおっしゃらない。
あの方の公案の、公案といってもいろいろな公案があって歌にして作ってみたり。

例えば白隠禅師の歌の中に、
「闇の夜鳴かぬカラスの声聞けば生まるる先の父ぞ恋しき」という歌があるのです。


おかしいと思うでしょ。
生まれてきてこそお父さんお母さんがあるわけですよね。

それがまだ生まれる前のお父さんが恋しいというのです。

鳴かないカラスの声を聞くというのもおかしいですよね。
こんな歌があるのです。


それから白隠さんが弟子に出した公案の中に、「隻手の音声」(せきしゅのおんじょう)この隻手は片手のことです。

手は叩かなければ絶対に音は出ないですよね。

片手だけでは絶対に音はしませんよね。

両手を叩いてこそ音は出ますけど片方の手だけでは音は出ないんですが、弟子に片手の声を聞けと言うわけですが、お弟子さんは何のことやらさっぱりわからん。

座ったら分かるから座ってみよというわけです。座って禅定の中へ入ったら、あの世ろいうのは片手であろうが音がするんです。

あの世へ行ったらいくらでも出そうと思うたら出せる。

例えば、千手観音様がありますね。

手が千あるということですが、千で終わりと違います、いくらでも出そうと思えば出せるんです。増えたり減ったり自由自在になるんです。

それは無我にならんとそういう境地は獲得することは出来ない。


で、この片手の声。隻手の声という公案は、白隠さん独特の公案ですね。

この白隠禅師の住んでた、あちこち住む所は移動したようですが、或る時に住んでた寺の前に八百屋がありまして、その八百屋のご主人が非常にこの白隠禅師を尊敬してたんです。

天下にこの人より他に立派な坊さんはないと言ってたんです。


そして白隠さんと一緒にお弟子さんたちが道場で座禅を組んだり、問答したりするわけです。

そこへいつも聴きに行くわけです。

そしてこの隻手の音声というのを聴いていて、隻手の音声、隻手の音声といって一所懸命にこれを考えるわけです。

考えたって分かるものじゃないんです。

ところがそれに凝ってしまって、商売そっちのけで隻手の音声と、考えるものだから商売にならない。

お客さんが来たってほったらかし。



それでそこの奥さんが困って、白隠さんの所へ行って、

「実は和尚さん、うちの主人はもう貴方様の話しを一所懸命に聞いて、それはよろしいのでございますが、貴方様がおっしゃった隻手の音声というのを一所懸命に考えて、お客さんが来たってさっぱり商売をしてくれませんのです。
そこでそこのところをもうひとつ上手にご指導を頂きたいのです。」

とこう言って来たんです。それでそうかそうかと言った。

そして或るときに托鉢しているときに、その八百屋さんへ寄って、
おまえは何をしてるんだと言って、いや、和尚さんの言った隻手の音声を考えてたんですと。それはおまえがいくら考えても分からんぞ。

それよりも「白隠の片手の声を聞くよりも両手叩いて商いをせよ」と。

さあ皆さんお出で下さいよーっと和尚さんが両手を叩いて言ったんです。



そういう話しがひとつあるんですが、そこの八百屋に娘さんが一人いまして、
その娘さんが、或る男の人と愛し合うようになりまして、お腹に子供を宿すわけです。

親に怒られるというので隠してるんですが、だんだんとお腹が大きくなってきますね。

それでとうとう隠しきれなくなってきて、おまえその子は誰の子だということになったんですね。

何時の間にそんな子を宿したんだと。お父さんに怒られるので、本当のことを言えない。


そこでお父さんは白隠禅師を非常に尊敬してるので、この子のお父さんは白隠さんだと、こう言ったらお父さんは怒らないだろうと思って、実はこの子のお父さんは白隠禅師です。とこう言ったんです。


そうするとお父さんは烈火のごとく腹が立ってきたんです。

なんというくそ坊主だと。自分は天下の名師匠だと思うていたのに何ということだ、人の娘の腹を大きくしたと。

あんなくそ坊主は今日限りで来ても拒否する。

托鉢にも来るなということになてしまった。

それで娘さんは、あんな嘘を言ってえらいことになってきたと。

そして白隠さんとはぷっつりと縁が切れてしまった。



ところが娘さんはだんだんとお腹が大きくなってくる。

そして女の子が生まれるんですね。これは本当のことだそうですよ。
作品名:和尚さんの法話 「煩悩」 作家名:みわ