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雌雄の神話

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「馬鹿だなぁ。そのオルフェウスって奴は。」
 どうして後少しの距離を我慢できなかったのだろう。単身冥界にまで行くほど取り戻したかった幸せである。気持ちはわからないでもないが、取り逃がしたのは完全にオルフェウスの所為だろう。そう、私は後ろの妻に言った。
「そうねぇ。そうかもしれないけど、私は、彼は不安だったんだと思う。」
「不安?」
「だって、こうやって会話を出来たわけでもないのよ? いくら神と交わした約束とはいえ不安になるじゃない。本当についてきてるのかって。」
「ああ」
 確かにそれはそうかもしれない。私は今、後ろの妻と話すことで、彼女の存在を確かなものとして感じている。姿を見ていない、言葉も発しない。気配しかない。それは本当に妻なのか、疑いたくもなるだろう。
「あなたは不安かしら?」
「まさか。君は話しているだろう。」
 ふふ、と彼女は笑う。
 私たちは道なりに坂を上り、第二鳥居の前にまで来ていた。それを抜けるとようやくH神宮の敷地に入る。先に見える境内は、灯籠の灯りで揺らめいていた。
 気付けば、道路を走る車がいなくなっていた。人の影も、気配だけを残して、ない。平日のまだそう遅くない時間である。なぜだろう。音が消えていく。星は相変わらず煌めいている。
「なぁ、どうしてこんなに星が見えるんだろう?」
 私はそう妻に聞いた。妻がわかるわけはないのだが、とにかく不思議だった。
 妻は、ふふ、と笑う。
 鳥居をくぐり、さらなる神域へと足を踏み入れた。元々希薄な音がさらに静まっていく。
「ねぇ。」
 妻が私に問いかける。
「さっきのと似た話知ってるかしら。日本の神話。」
 私は答えなかった。音のない風が、私の体温を奪っていった。
 妻は私に構わず続ける。後ろから声が聞こえる。それはイザナギとイザナミの話だった。
 イザナギとイザナミの夫婦は、日本を作るためたくさんの子を成した。しかしイザナミは火の神カグツチを産んだときの火傷で、亡くなってしまう。死後、悲しんだイザナギは妻に会うために真っ暗な黄泉比良坂を下り、黄泉の国へと赴いた。イザナミを見つけたイザナギは、地上につれ帰ろうと彼女に近づく。黄泉の物を食してしまったイザナミは、もう地上に戻ることができないと告げるが、落ち込むイザナギを見て、黄泉の国の神様に戻れるか聞いてみると慰める。そして、その間決して覗いてはいけないと言う。しかし、イザナミは見てしまった。そこにいたのは、腐敗し、生前とは比べものにならないほどおぞましいものへと変わっていたイザナミだった。イザナギは恐怖にかられ、地上へと逃げた。イザナミは辱められたとイザナギを追う。
「でも、イザナギが黄泉比良坂を塞いじゃったから、結局追いつくことはできなかったんだけどね。」
 そういう妻の声はどこか楽しそうで、冷めていた。その冷たさも、私の熱を奪った。
 すでに神門を抜け、拝殿まですぐである。私は後ろを振り返ることができない。前にも、進むことができない。なぜか、足が動かない。
「……それとさっきの話。どこが似てるんだい?」
 私は妻に聞いた。妻は楽しそうに答える。
「だって、どっちも妻を取り戻すことはできなかったわけでしょ。どっちも、夫の方の責任で。もしかしたら、ユウリディケだって腐ってたかもしれない。夫が振り返らずに戻れば、地上で元の姿に戻れたのかもしれない。でも夫は振り返ってしまった。ユウリディケはそこで崩れて塵となったのよ。恨む暇もない早さで。」
 妻が、ふふ、と笑う。
「その点イザナミは強いわ。死んでも腐っても、自分を辱めた夫に復讐しようと追うんだから。そこらへんが、西洋と日本の違いなのかしら。」
「どうなんだろうね。」
 私は答える。自然、声が震えている。
 人の気配がない。そう、後ろを歩くはずの妻の気配が。
「まぁどっちにしろ夫は薄情よね。どっちも自分から求めて、自分から棒に振って。イザナギなんて逃げたんだから。振り回される妻にとってはいい迷惑よ。だからあなた、」
 ふふ。
 妻が、私の前に出る。
「あなたには選択肢はないの。」
作品名:雌雄の神話 作家名:紺野熊祐