しわくちゃのコマクサ
同じようなことは田舎だろうと都会だろうとよくあることだ。家が貧乏だから関わりたくない。身なりが汚いわけでも言葉遣いが変なわけでもないのに、周りは離れていくのだ。ましてや本人が悪いわけでもないのに。
「そろそろ着くよ」
考え事をしながら歩いていたから気がつかなかったが僕はすごく疲れていて肩で大きく息をしていた。でも前の堂本君は歩き慣れているのだろう息が全く乱れた様子はない。そのままやぶの方へ駆けて行ってしまった。普通の登山道のように踏みならされた道ではないから僕のズボンはあちこちに泥が跳ねて汚れてしまっている。帰ったらお母さんに叱られるだろうけれど、ここに来て初めて山というものに触れた気がして気持ちは高ぶっていた。
「おーい、こっちこっち」
かなり急な斜面に生い茂る背の低い木がかたまっているところで堂本君が手をぶんぶんと振っていた。さらに先はうっすらと朱色の光が差し込んでいてそこからの景色はよさそうだ。
近くまで寄っていくと複雑に絡み合う草木の中に人の手が加えられている跡を発見した。
「ここ、僕が作った秘密基地なんだ」
「秘密基地……」
都会暮らしではなかなか味わうことのできない自分だけの場所。僕と同じくらいの年代の男ならだれでも胸躍るフレーズだ。
「でも堂本君の秘密基地なんでしょ。ぼくに教えてくれてよかったの?」
「うん。いいんだ、結構広く作ったし秘密基地って友達と一緒にいるところだろ」
堂本君はニシシと歯を見せて笑った。
そうか秘密基地って友達といる場所なんだな。
「じゃあ今日から僕たち友達だね。ぼく久石一哉。かずやでいいよ」
「うん。ぼくはともひこ。よろしくね、かずや」
普段は薄暗いであろう茂みの中の基地をもれてくる陽光がともひこの笑顔をひときわ輝かせていたように思えた。きっと僕も同じような笑顔になっていたと思う。
来た時と反対側の基地の向こう側から僕たちの住む町全体を眺めることができた。あまりの壮大さに僕の目はまん丸になっていたと思う。
ひとしきりの感動を味わった後もう日が落ちるから帰ろうというともひこの言葉に僕たちは山を下り始めた。下りもはぁはぁと荒く息をしながら歩いていたけど身体ほど心は疲れていなかった。
良く知っている道に出た時にはもうすっかりと街は夜だった。幸いともひこが懐中電灯を持っていたので道がわからなくなることはなかったけど懐中電灯はいつも持っていないとだめだと、ともひこにたしなめられてしまった。
「僕たち家の方向一緒だったんだね」
「そうみたい。はは、知らなかったよ」
夜になってもゲッゲッという鳴き声の聞こえる田んぼを横に歩く。時折蹴飛ばした石が田んぼへと転がりピチャっという音が混ざった。夜の静けさがそうしたのか、もしくはまだ気恥ずかしさがあったのか僕たちはたがいに口数の少ないまま歩き続けた。でも横に確かなともひこの大きな存在を感じられるだけで僕は満足だった。ともひこも同じ気持ちだったら素敵だとひそかに思った。
ついに見慣れた明かりを見つけた。ぼくの家の方が近かったみたいだ。
「……」「お、僕の家の方が近かったみたいだね」
僕が話しかけた時同時にともひこも何か言っていた。
「ん? なに?」
「え、あ。もう家着いたんだ。へーこの家か新しいんだね」
「引っ越ししてきたばかりだからね。で、ともひこ何か言ってなかった?」
「んー、もう着いたのならまた明日でもいいんだ。それじゃまたね」
「ああ、うん。また明日」
手を振りながら先の道を行くともひこに手を振り返しながら思う。話しかけてきたあの時の顔はともひこが自分に友達がいないと告白してきたあの時の顔とそっくりでいいしれぬ不安が鎌首をもたげた。
でも明日話してくれるらしいからいいか。そう思い直し扉から薄く漏れてくる明かりをたよりに鍵を開けようと奮闘する。やっとうまく鍵が回り玄関に足を踏み入れた瞬間。
獲物を捕らえる一瞬のような野生むきだしのお母さんが仁王立ちしていた。久々に鼓膜に穴が開くかと思う程の怒声を浴びた夜になった。
そして翌朝。今日の目覚ましもカエル達。でも昨日の高揚感がまだ身体に残っているのか普段はイライラの募るカエル声だが今日に限っては顔を洗う前から爽快な気分だった。
いつもと変わらず朝ご飯を食べに階段を降りる。ただ今日はリビングに行く前に顔を洗った。
「おはよう」
「あら、おはよう。昨日あんなに怒ったのに嫌にさっぱりした顔してるのね」
「顔洗ってきたからじゃないかな」
「まあ。こっちに入ってくる前に顔を洗うなんて珍しいわね。本当にどうかしたの?」
「どうもしてないよ。いただきます」
いつもと違う僕に驚いているお母さんに構わず、ご飯を放るように口の中に入れていく。。こっちに来てから初めての新鮮な朝だった。
学校に着くとすでにともひこは教室にいた。大きめの本を机で広げ真剣な表情でそれを凝視していた。なにかの図鑑だろうか。荷物を置いてともひこの席に近づきながら声をかけた。
「よ。おはよ」
軽く声をかけただけなのにともひこは電気ショックを浴びたかのように飛びあがり激しく動揺しながら本を閉じていた。見るとなんてことのない植物図鑑だ。エッチな本を見ていたわけでもないのにそこまで慌てなくてもいいのに。
「なんだかずやか。びっくりしたなあ」
「別に驚かせるつもりなんてなかったんだけどなあ」
「はは……学校で話しかけられることなんてなかったから」
なんだ。そういうことか僕も変わらない境遇だったからそう言われてみると納得した。
「そうか。それでその本でなに見てたの?」
「あ、これ? うん、いやさ家の庭の雑草がなかなか抜けなくてなにかいい方法がのってないか見てたんだよ」
「ふーん、雑草か。うちのお母さんも時々文句言ってるよ。わんさか生えてきてきりがないって」
ともひこは中途半端に笑って頭をかいていた。その仕草で昨日のことを思い出した。
「あっ。昨日言いかけてたことあったろ。なんだったの?」
「そうだった。ちょっと相談したいことがあってさ」
ともひこはキョロキョロと周囲に目をやり、言った。
「ここだと話しにくいかな。ちょっと外に出ようか」
「あ、そうなの。別にいいけど」
じらされている気もしたが黙って付いていくことにした。
ちらほらと登校してくる子を見ることのできる校庭の木立の一角に座りこむ。ともひこはしばらく校庭で走り回る上級生の姿を目で追っていた。もうここまできたらじっと待とうと決めていた僕も一緒に校庭を眺める。しかしともひこはさらに先にある昨日登ったあの山の方にピントが合っているように見えた。
「実は最近基地の中にゴミが落ちてるんだ」
「ゴミ? あの基地はともひこが作ったんだろう。ともひこが知らないゴミってことは……」
「うん。他の人が出入りしているみたいなんだ」
「そんな……」
「うちのクラスのたかし君って知ってるでしょ。あの人と何人か僕の知らない人が入って使ってるみたいなんだ」
「たかし君か……」
作品名:しわくちゃのコマクサ 作家名:月灯