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和尚さんの法話 「来迎往生」

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これは観無量寿経というお経に、浄土三部経とあって、仏説大無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経と、この三つが浄土三部経というんです。

宗派には皆、三部経というのがございますね、日蓮宗には日蓮宗の三部経、真言宗には真言宗の三部経というように皆、三部経というのがありますね。

その浄土三部経の中の観無量寿経の中の一説に、こう説いてあるというわけです。
お迎えのことをちゃんと、説いてあるわけです


『観無量寿経』

四、
「上品中生の者とは、必ずしも方等経典を受持し讃踊せざれども、」
お経には、大乗経典、方等経典とか、皆さんの知らない教典が沢山ありますが、そのお経を受持し讃踊せざれども、というのは、平素そういうお経を読んでないと。然し、

「善く義趣を解し、」
然し、佛教の教えというのはどういう教えがあるということを、ちゃんと心得ているということですね。

「第一義に於いて心驚動せず、」
第一義というのは、空とか無我という教えが佛教の中にありますね、色即是空の空というてもちょっとわかり難いですが、そういうことがもう解ってると。
極楽や地獄がありますけど、本来は空なんですね。
あの世は空なんですね。
空だけれども、衆生済度のために地獄というのを神通力で現してるわけなんですが、そういう第一義において、心驚動せず、とはびっくりしない。よく心得てるということですね。

「深く因果を信じ大乗を謗(ぼう)ぜず。」
因果の道理をよく心得て大乗経典を誹謗しない。

「此の功徳を以って回向して極楽国に生ぜんと願求す。」
こういう功徳がございます。こういう条件で極楽へ往生させて頂きます。と、そういう願いを持つ。

「此の行を行ずる者命終らんと欲する時、阿弥陀如来、観世音大勢至、無量の大衆と与に囲繞せられて紫金台を持し、」
無量の衆生に守られて蓮の台を持って、お迎えに来て下さる。

「行者の前に至り給い、讃じて言く、法子、汝大乗を行じ第一義を解す。 是の故に我今来て汝を迎接す、と。」
そういう功徳によって、迎えにきたんだと。
これは、上品上生から下品下生まで九つの迎え方があるんです。
上品上生、上品中生、上品下生と、上にも上中下とあって、中にも上中下、下にも上中下があって、これを九品というわけです。
九品往生といって、極楽へ往生するのに九つの条件があるんですね。
その中の、上品中生の分を引いたわけです。


                ― 観無量寿経 ―


『臨終の善智識』

五、
仏、阿難及韋提希に告げ給わく。 下品上生とは、或いは衆生有りて諸の悪行を造る。 方等経典を誹謗せずと雖も是の如き愚人、多く衆悪を作りて慚愧有る事無し。 命終わらんと欲する時、善智識の為に大乗十二部経の名字を講ずるに遭わん。 是の如き諸経の名を聞くを以ての故に千劫の極重の悪行を除去す。 智者亦教えて合掌叉手して南無阿弥陀仏と称せしむ。 仏名を称するが故に五十億劫生死の罪を除く。 其の時彼の仏、即ち化仏、化観世音、化大勢至を遣わして行者の前に至りて講じて言わく、善男子、汝仏名を称するが故に諸罪消滅せり。 我来たりて汝を迎う、と。

「仏、阿難及韋提希に告げ給わく。 下品上生とは、或いは衆生有りて諸の悪行を造る。」
下品の人は多くの罪を作るんですね、本来は。

「方等経典を誹謗せずと雖も是の如き愚人、多く衆悪を作りて慚愧有る事無し。」
悪いことをしても懺悔しない。

「命終わらんと欲する時、善智識の為に大乗十二部経の名字を講ずるに遭わん。」
臨終の善智識というのは、これから息を引き取っていくというときに、佛教の教えはこうだと、念仏を称えるんだと、教え諭す。これを臨終の善智識というのです。
ですから昔は、今から息を引き取ると思ったら、坊さんを呼んできて枕辺で説いて聞かせたそうです。
ところがそれが形式化してきて、枕教というのがありますね。あれが昔の名残りですね。
死んでからでも、せめて枕辺でお経を読んであげるということになってるんですね。
お釈迦様がお説きになったお経には、こういうお経があるんだ、こういうお経もあるんだとお経の名前を言って説いて聞かせたんですね。

「是の如き諸経の名を聞くを以ての故に千劫の極重の悪行を除去す。」
お経の名を聞いただけで、千劫の、一劫の話しをしましたが、その千劫の間、生まれたり死んだりしたときの、そのとき行ってきた極重の罪を消して下さるというのです。

「智者亦教えて合掌叉手して南無阿弥陀仏と称せしむ。」
合掌して手を合わせよと、そして南無阿弥陀仏と称えよと、今これから死んでいくという人に説いて聞かせるのです。

「仏名を称するが故に五十億劫生死の罪を除く。」
そして南無阿弥陀仏と称えると、五十億劫の間、この世へ生まれて犯した罪を全部消して下さるというのです。

「其の時彼の仏、即ち化仏、化観世音、化大勢至を遣わして行者の前に至りて講じて言わく、善男子、汝仏名を称するが故に諸罪消滅せり。 我来たりて汝を迎う、と。」

ほんとうの阿弥陀様じゃないんですが、姿は如来様で、菩薩様方も姿は菩薩でもほんとうの観音勢至様じゃないんだけれども、仮の姿の菩薩様ですね。

下品になってくると化身になってお迎えに来て下さるのです。
南無阿弥陀仏と、阿弥陀様の名を称えたから、五十億劫の犯した罪が消えたから、だからこうして迎えに来たんだよ、と。
だから、死ぬときのあ念仏の功徳も大きいし、懺悔したらその功徳も大きい。

平素よりも、死ぬときの、臨終正念と言うて臨終のときが一番大事なんです。
平素から今が臨終だと思って称えよと。平生は無いんだと、今が臨終だという思いで称えよということですね。

上品上生から下品下生まで、それぞれに応じて神仏化仏の差はあっても、如来様は必ず迎えに来て下さるのです。

来迎が無くして極楽へ往生は無いんです。
それにもかかわらず、来迎待つこと無し、臨終称えること無しという宗派がありますが、これは間違いですね。

                                  ― 観無量寿経 ―




『法然上人法語』

六、
念仏の行者の存知候べき様は、後世を恐れ往生を願いて念仏すれば、終る時必ず来迎せさせ給う由を存知て、念仏するより外の事は候わず。

                                     ― 法然上人法語 ―

念仏の行者の心得ておかないといけないことは、来迎を信じて念仏を称えると。
それより他は無いんだということを教えてるんですね。
死後の世界はあるんだ、地獄はあるんだということを恐れて、往生を願い、念仏すれば命終るとき、必ず来迎して向えて下さるんだと、いうことを信じて念仏を称えよということですね。


七、
十方に浄土多けれど西方を願うは十悪五逆の衆生の生るゝ故なり。 諸仏の中に弥陀に帰し奉るは三念五念に至る迄、自ら来迎し給う故なり。

                                     ― 法然上人法語 ―