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和尚さんの法話 「来迎往生」

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至誠心というのは、今もう目の前に現れて一所懸命になってる姿を誰でも見れるわけですわね、ところが深心というのは深い心というので様子を見ても分からんけど、その心の中には深く沈んでいると。

例えの話をしてみますと、今の親は簡単に子供を殺しますけど、普通だったら親というのは、子供に木の上に立ってみるというのが親ですわね。

子供が帰ってくるのが遅かったら、木の上へ登って、まだかまだかと子供が帰ってくるのを心配して見ている。
というのが親だと、そこから親という字が出来てるというのですね。

和尚さんもそうですが、私も子供のころにはまだ親らしい親でしたよね、実際に木の上に立って見ているということはなくても、心配はしていましたから。

和尚さんも、自分の子供がまだ小さかった頃に、遊びに行った子供の帰りが遅いと、寺の塀の上から、子供はまだ帰ってこないかなと見ていたそうです。

やはり子供のことは心配ですから気にかかりますね。
深心というのは、親が普通の親らしい親ですわね、子供を思う親らしい親の心。

例えば、法話を聞きに集まってきてる。 
そして皆さんに子供さんがいらっしゃる。 
そして和尚さんが話しをしているときは和尚さんの話しを聞いていますから、そのほうへ心が集中してますね。

そのときは、子供のことは忘れていると思うんです。

ところが、近所の人が飛び込んできて、今誰々さんの子供が事故にあいましたよーって、知らせてくれたらお話を続けて下さいというような気持ちにならないと思うんです。

自分の子供が事故にあったと聞いたらびっくりして飛んでかえるんじゃないですか。
その飛んで帰るということは、まだ表へ現れてない、奥へ沈んでる。深い心ですね。

それじゃ、子供に対する愛情が無いのかというと、そうじゃない、危険なことを知らされたら飛んで帰りますね。


『深心。至誠心。』

和尚さんの子供の頃の話ですが、小学校で授業を受けてるいと、ひとりの人が教室へ知らせに来たんです。
先生の子供が、和尚さんの寺の山の上から落ちたという知らせです。
山へツツジの花を取りにきて、崖から滑って落ちてしまったんです。
それで気絶をしてしまった。

それを気付いた人が学校へ走っていって、校長先生に、今貴方の子供が寺の山から落ちて気絶してますと、知らせにきたんですね。
それを聞いた校長先生は、びっくりして教室の窓から飛び出ていったそうです。

そしてその子供は助かったそうですが、その子供が息を吹き返して言ったのは、山から落ちてきてお堂の横へ落ちたんだそうです。

そして、お堂の屋根のあるところから坊さんが出てきて、空中で自分を受け止めてくれたというのです。
そこで気絶をしてしまったというのです。

そのお堂は、地蔵堂ですので、その中から出てきた坊さんは、それはお地蔵さんだということで評判になったそうです。

その校長先生は、絵描きさんにそのときの空中で子供を受け止めるところを絵に描いてもらって寺へ寄付したそうです。

その校長先生だって、授業を教えてるときは夢中になって、子供のことは忘れていますが、その知らせを聞いたらすぐに飛んでいった。

それは深心というのは心の奥から出てくるんですね。
飛んでいくのは至誠心です。

この深心というのが一番大事ではないかと思うのです。

深心というのは、絶えず出てきてないけれども、心の奥に沈んでていざとなったら出てくる。

至誠心というのは、一所懸命になってるのが至誠心。飛んでいったのが至誠心ですね。
その心の中の根本にあるのが深心。

で、廻向発願心というのが、自分が極楽往生を願うときに、こういうことも致します、ということをどうぞ極楽往生の条件に入れて頂きとうございます。と、極楽往生のために廻向する。それを廻向発願心といいます。

善いことをしたことをみんな極楽往生の条件にして下さいませというて、阿弥陀様に頼むわけです。
それを、深心と、至誠心と、廻向発願心と、これを三心と言うのです。

「三心を具する者は必ず彼の国に生ず。
復(ま)た三種の衆生有りて当さに往生を得べし。
何等かを三となす。 一には慈心にして殺さず、」
殺生をしないということですね。
人ばかりではなく、虫も殺さない。

「諸の戒行を具す。」
ちゃんと、正式に仏弟子に入ったら戒律というのを受けるわけですね。
おまえはこういう戒律を守りなさいと、お師匠さんに言われたらそれをずっと、守っていくということです。

「二には大乗方等経典を読誦し、」
この阿弥陀経とか、般若心経とかいうのは大乗経典でして、そういう経典を読むということですね。

「三には六念を修行し、」
例えば、天に生まれるにはどういうことをしたらいいか、浄土じゃなくて天上界へ生まれるには無条件では往生することは出来ない、こういうことをすれば天上界へ生まれるということがお経に出てくるんです。
其の中に六つの条件があるわけなんです。それを六念というのです。
その六念を修行するということですね。


『廻向発願心』

「廻向発願して彼の国に生ぜんと願ず。」
そういう功徳によって、どうぞ極楽へ往生させて戴きたいという願いを持つ。
それを廻向発願心といいます。

「此の功徳を修して一日乃至七日すれば即ち往生する事を得べし。」
それを一週間守る。 少なくとも一日は守ると、そういう行いをすれば、それが条件となって極楽往生が叶う。

「彼の国に生ずる時此の人精進勇猛なるが故に、阿弥陀仏、観世音、大勢至、」
大勢至というのは、阿弥陀様の左側が観音菩薩、右に大勢至菩薩と、その下に無数の菩薩様方が極楽にはいらっしゃるわけです。
観音、勢至というのが阿弥陀様の両手両足となって働いておられるお方で、お釈迦様には文殊、普賢となってますね。

「無数の化仏、百千の比丘、声聞大衆、諸の諸天七宝の宮殿と與(とも)なり。」
極楽には宮殿があって、その宮殿が金銀瑠璃玻黎など、七宝の宝によって出来てる。
それはこの世の金銀瑠璃玻黎じゃないんです、同じような物が、如来様が神通力で現してるのです。
そういう金銀瑠璃で作った宮殿ですね、建物ですけれども、一緒に迎えに来てくれるんです。
霊界ですから、不可能ではないんですね。

「観世音菩薩は金剛台を取り、大勢至菩薩と与(とも)に行者の前に至る。
阿弥陀如来、大光明を放ちて行者の身を照らし給い、諸の菩薩と手を授けて迎接す。
観世音、大勢至、無数の菩薩と共に行者を讃歎して其の心を歓進す。」
よく極楽へ来ましたね、お念仏をよく称えましたねと言って、観音様や勢至様がほめて下さるんですね。

「行者見己りて歓喜踊躍し、自身其の身を見れば金剛台に乗じて仏後に随従して弾指の頃の如くに彼の国に往生す。」

行者というのは、これから死んでいく人ですね。
その姿を見て大いに喜んで、ふと見れば観音様が持ってきたその金剛台の蓮の台の上に自分がすーっと、乗ってる。

そして、極楽へ往生するのにどれくらいの時間がかかるかと言うと、指をぱっとはじくだけの時間だというのです。
金剛台へ乗ったなと思ったら、ふっと気が付いたら極楽へ移ってるんです。

それくらいに時間が早いという意味ですね。