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和尚さんの法話 「平家物語の往生思想」

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然しながらそういうのを断ち切って、そして極楽往生を願うことのできる今の私は有難いと言っているのですね。

全てそういう考えは、私の善智識と。
だからこれは出世間の立場ですね。

世間を断ち切ってしまっている。世間ではこうはいきませんね。
出世間は本当はこうでなければならないのですが、なかなかこうはいきませんね。



「と申させ給いければ、法皇仰せられけるは、此の国は粟散辺土なりといえども、忝(かたじけ)なく十善の余薫にこたえて万乗の主となり、随分一つとして心に叶わずという事なし。」

粟散辺土というのは、小さい粟を撒いたような日本の国だというのですね。
小さい島が飛んで、そういう小さな国のことを言っているのですね。
それでも十善の行いを守ったらしいと。そのおかげで、天皇さんのお后になったと。



「就中、仏法流布の世に生まれて仏道修行の志有れば後生善処疑い有るべからず。
人間の仇なる習い、今更驚くべきにはあらねども、此の有様見奉るにせん方なうこそ候へ」 

転変浮世の有様ではあるけれども、あまりにも今の貴女のお姿を見れば哀れでございますねと、昔に比べると哀れですねと、同情なさるのですね。



「と仰せければ女院重ねて申させ給いけるは、我が身平相国の娘として天子の国母となりしかば、一天四海皆掌のままなり。――― 百官悉く仰がぬ者や候いし、清涼 ・ 紫辰の床の上、玉の簾(すだれ)の内にてもてはやされ、春は南殿の桜に心を留めて日を暮らし、九夏三伏の暑き日は泉を掬いて心を慰め、秋は雲の上の月を独り見ん事を許されず。
玄冬素雪の寒き夜は、つまを重ねて暖かにす。」

何一つとして思いのままにならないものはなかった。
多くの家来たちが誰ひとりそして従わない者はいなかった。

九夏三伏とは、真夏の日の暑さですね。
九夏は夏の三ヶ月ですね、三伏は三伏の暑さと言いますから土用ですね。


『一谷を攻め落とされて』

「長生不老の術を願い、蓬莱不死の薬を尋ねても、只久からん事をのみ思えり。
明けても暮れても楽しみ栄えんこと、天上の果報もこれには過ぎじとこそ覚え候いしか。」

昔はそうだったと、いつまでも生きていたいということを考えて、いい物があればそれを求め、あっちでいい物があればそれを求め、何でも手に入った。

天上界というところも良い所らしいけれども、その時分の生活というものは、天上界の喜びよりも、自分の境遇のほうが上ではなかろうかと、すら思ったと言うのですね。

それほど何もかもが手に入って思うままになって、何ひとつ不自由が無かったと言うのですね。



「――― 一谷を攻め落とされて後、親は子におくれ、女は男に別れ沖に釣りする舟をば敵の舟かと肝を消し遠き松に群れ居る鷺をば源氏の旗かと心を盡(つく)す。」

遠くから見ると鷺は白いですね、それが群れを為して飛ぶ姿を見て、それが源氏の旗ではないかと思うて肝をつぶすと。



「さても門司 ・ 赤間の関にて戦いは今日を限りと見えしかば、二位の尼申しおく事候いき「男の生き残らん事千万が一にもあり難し。 
――― 昔より女は殺さぬ習いなれば、いかにもして長らえて、主上の後世をもとむらい参らせ、我等が後生をも助け給え。」 と、」

二位の尼が建礼門院に言うわけです。
もういよいよ入水するというときに、いかに源氏といえども女は殺さないだろうから貴女は生き長らえていただきたい。

安徳天皇を一人殺すわけにはいかないから、この子を抱いて私は逝きますけれども、貴女は生き長らえて後生を願ってくださいと、言うのですね。

これから察すると、建礼門院は身投げをしなかったのではないかと思いますね。

何かの本には一旦身投げをして源氏に助けられたと書いた文章もありますけどね。

二位の尼は安徳天皇を抱いて入水しますけれど、建礼門院はとめられて、我々や安徳天皇の菩提を弔ってくださいと、女は殺さないはずだから貴女は生き残って、と言うて飛び込んだ。
こういうことではないでしょうかね。



「かきくどき申し候いしが夢の心地して覚え候いし程に、」

この話を物語ってるんですね、こういうふうに尼が言うけれども、夢のような気がすると。


『祗王という白拍子』

「――― 既に今はこうと見えしかば二位の尼先帝を抱き奉りて舷(ふなばた)出でし時あきれたる御様にて 「尼ぜ我をばいづちへ具行かんとするぞ」 仰せ候いしかば、いとけなき君に向かい奉り涙を押えて仰せ給いしは、 「君は未だ知ろし召さず候わずや。 先世の十善戒行の御力によって、今万乗の主と生まれさせ給へども、悪縁に引かれて御運既に尽きさせ給いぬ。まず東に向かわせ給いて伊勢大神宮に御暇申させ給い、その後、西方浄土の来迎にあづからんと思し召し、西に向かわせ給いて御念仏候うべし。」

この世はつまらん所です。
苦しい所ですから貴方様も極楽浄土という善い所へお連れ申ししますと、こういうことですね。可哀相ですね。

まあ、然しこういう道を辿って、ようようここまで帰られたと、急転直下ですものね。環境がころっと変わってしまう。

お釈迦様は境遇が恵まれすぎて、こんなことで人生はいいのかと。そうお釈迦様は思われたのでしょ。

ところが、我々凡夫はこういう逆境に陥ったときに何かにすがりたいと思うのですよね。

善智識と、お話に出てきますが、ここでは仏縁があったから、おそらく前世からの仏縁でしょうね。

普通だったら殺されるか、死んでしまって終わりになるのでしょうね。
とても極楽往生を願って、というような境遇には至れない。


祗王という白拍子がいましたが、清盛の寵愛を受けていましたが、後に仏御前という白拍子も出てきますが、この白拍子というのは女の人で、歌を歌って踊りを舞って、生計を立てた人たちですね。

で、仏御前という名前を付けてるだけに仏教の歌を歌っているんですね。

「釈迦も始めは凡夫なり我等もついには仏なり」、というような歌ですね。

そういうふうに、その当時は仏教の教えというのは巷に染み込んでるんですね。

そして生計を立てる人たちもそういうふうな仏教の歌を歌いながら自分もそういう気持ちを持っていたわけですね。

その証拠に、祗王が清盛に捨てられて、一旦は死のうという気になるのですが親に説得をされて、妹も一緒に親子三人出家して隠遁するのですよね。

それも後生を願ってのことですね。

すると仏御前が清盛の寵愛を受けるようになって、始めは有頂天になっていたのでしょうが、自分もいつかは捨てられるだろう。

祗王が捨てられた如く、また新しい人が出来て、何時か自分も捨てられていくのだろうと。
もう私もそんな浮世を捨てて出て行こうと言うて、蒸発をするのですね。

そして祗王のあとを訪ねていって、そして四人で後生を願うという話になっていますね。
やはり極楽往生を願ったのですね。

祗王が二十歳かそのくらいで、妹が19歳くらいで、お母さんが40代ですよね、そういう年齢ですよね。


『滝口入道』

もうひとつこういうお話がありますね。滝口入道というのがありまして、横笛という題ですが。
仏門に入って、滝口という所で場所を守っていたのですね。