クロという青年
彼の話
おう、最近よく会うなー。
…お前が会いに来てるんだろ、って? ま、そーなんだけどな。いいじゃねぇか、細かいことは。
さてさて、今回も小噺を一席。
彼はすがる。
青年は悩む。
全てが終わった後に起きたこととは─
これは面白くもないその顛末。
「ゆめまくら?」
「そ。この状況で俺があんたにしてやれるのはそんくらいだな」
「…ってなんだ?」
拍子抜けした表情の青年。きょとんとする彼。
「あぁそうか…この世界にはないのか?」
そんなことをぼやくと、青年は彼に説明を始めた。
「あー…つまりだな。夢に知ってる人…大概は故人なんだが。が現れて言伝てをくれたりする不思議な現象が、この世には存在するんだ」
「それが…『ゆめまくら』?」
「正確には“夢枕に立つ”な。…この世界にはそれと似たニュアンスの現象ってねぇの?」
青年の言葉に彼は思案顔になる。
「…未来を夢に見る予言者はいるが…そういう現象は聞いたことがない」
「そうか」
「もしくは、現象は存在しているがそれを体験した人はそのことを隠しているのか…」
「ふむ…どうもその線が濃厚な気がするな。何しろこういう世界だ」
納得した様子で青年が呟く。
「ともかく、その方法を使えば、ここから動かずとも彼女に会えるんだな?」
「夢の中の彼女、だけどな。会えるし、話もできる。起きたときに内容を覚えていてくれる保証はないが」
「いや、それでいい。…むしろ覚えていない方が幸せかもしれない」
そう付け加える彼に、困ったような顔をして青年が言う。
「…なぁ、さっきも言ったけどさ…」
「結構だ。俺はここから消え失せる気はない」
「…」
打ち消すように言い切られ、青年は圧し黙る。
「ここを出たとしても君の説明によれば、君に願いを叶えてもらうには死ぬしかないんだろう? ならば皆の損にならぬよう死ぬ」
「…まぁ、あんたがどうしてもそうしたいなら止めはしないけどな…」
言いながらも青年は溜め息を吐く。
「どうかしたか?」
「いや…俺には珍しい事なんだけどな。あんたに声を掛けたのを後悔してる俺がいるわけだ」
「何故?」
「出来ることがこれしかないってのがな…」
そうしてもう一つ溜息を吐く。
「事情を聞いたのは君じゃないか」
愚問を問うな、と彼。
「そーなんだけどなー…しょうがない。そっちが乗り気である以上俺が降りるわけにはいかねぇし」
覚悟を決めた風に青年は言うと、手に傘を握り直す。
「頼む」
「じゃ、目ぇ瞑れ」
「わかった」
彼が、すぅ、と一つ息を吸って目を閉じる。
「…」
そして青年は三度、小さく溜め息をつきながら、傘を彼の頭へ突き刺した。
かしゃん、と小さな衝撃音。
「もう目ぇ開けてもいいぞ」
声に、彼はゆっくりと目を開く。
「…うわ…」
ついさっきまで目の前にあったはずの壁や天井は消え失せ、あるのは視界いっぱいの闇と、全方位に無数に散らばっている、きらきらと光り輝くたくさんの球。
彼はふと下を見て、自分が何もない中空にいることに気付き思わず近くにあったものに掴まった。
「あはははは…誰でも同じ反応するもんだなぁ」
声がして頭上を見ると、青年が笑いながら見下ろしている。
「そんな必死にしがみつかなくても落ちねぇよ。落ちるならとっくに落ちてるだろ?」
にやにやと言われ、慌てて青年の足から手を離す。
「こ…ここは?」
恥ずかしさを誤魔化すかのように彼は問う。
その気持ちを知ってか知らずか、青年は辺りを見回すと光に目を細めながらこう言った。
「夢と夢の境目。“夢の通い路”だの“夢間”だの呼ばれてるみたいだがまぁ、夢の外側にあって普段は来られない場所、って認識で十分だろう」
「となるとまさか、あの球は…」
「そ。あの珠一つ一つが誰かの視ている夢ってわけだ。あんたの彼女のはー…あー、あれあれ」
目の上に手を当て、遠くを見るようにしていた青年が、その手を伸ばして遠く下の方を指す。
指し示されたその球はぼんやりと光っており、そしてほんのりと青かった。
「あれが…」
「んー…歩いてってもいいけど面倒臭ぇな。おい、手」
「?」
言われるままに手を繋ぐ。
「ちゃんと掴んどけよ」
その瞬間、彼の体が宙に浮いた。
さっきまであったはずの足場の感触が消えたのだ。
「!?」
がくん、と落ちる感覚があり─
「だーからいちいち目ぇ瞑んなよ」
それきり彼の体は落ちていかなかった。
恐る恐る目を開く。
ふわりと宙に浮く身体。
青年の持った傘が上へと開かれており、それだけで彼らは安定して浮いているのだ。
「道を繋いで歩いてくことも出来るんだが、俺はこのほうが楽だからな。っと」
青年がないはずの地面を蹴る仕草をすると、彼らはゆったり降下し始めた。
「手は絶対離すなよ。底がないからどこまでも落ちるぞ」
「あ、あぁ…」
自然と手に力が入る。
青年が小馬鹿にしたように笑うのが目の端に入ったような気がした。
「……」
徐々に、あのきらびやかな球たちが近づいてくる。
どうやら球には様々な大きさ、色があるようだ。
あるものは指の先ほどに小さく、あるものは雲のように大きい。
あるものは海の底よりも冷えきった色をしていて、あるものは今まさに燃え盛っているかのように輝いていた。
その一つに手を伸ばしかけて
「関係ない夢には触るなよ、引きずり込まれるからな。そんときゃ助けてやらん」
慌てて腕を引っ込めた。
ふわり。
「この辺でいいか」
足元に見えない地面が生じるのを感じる。青年は慣れた風に、彼は恐る恐る、二人はゆっくりとそこに降り立った。
青く光り輝く球が眼下いっぱいに広がる。眩しくて下を見ていられない。
「こんなに…」
「珠の見た目が大きいってことは、夢のスケールがでかいってことだ。ストーリー的な意味か、空間の広さとしてなのかはしらんが」
そう言いながら、青年が伸びをする。
「さてっと。じゃ、これ持って」
渡されたのは、先ほどまで青年が持っていた真っ黒な傘。
「用が済んだら取っ手を上にして掲げろ。引っ張りあげてやるから。で、戻りたくなきゃ手を離せ。置いてってやる。彼女の夢の中で幸せに暮らせるぞ」
「…は?」
「んじゃいってらっしゃい」
ぽん、と背中を一突き。抵抗する間もなく、彼の体は球へと落ちていった。
「…」
ある夢の上で青年が座り込んでいる。
その表情にはいつもの余裕は感じられず、その目は一点を見つめながら何も見てはいなかった。
青年は悩んでいた。
“失敗した”“もう帰れない”“幸せになってくれ”
そんな台詞が流れてくるが、そのどれもが青年を素通りしていく。
「…俺だってさぁ、別に鬼や悪魔じゃねぇわけよ」
青年が呟く。
それを聞くような生物はこの空間には存在しない。
「でも俺万能じゃねーし…」
ため息を一つ。
「つーかどーせ喰うんだから気にしなきゃいいのにさぁ」
そう言いながら頭をがしがしとかき、何かを振り払うように頭を振る。
「俺ってこんなに人間っぽかったかなぁ…やだやだ」
青年がうつむく。
球からひょっこりと飛び出した傘の頭に気づいたのは、しばらくしてからだった。
「あーもーなんだよめんどくせ…おっと」