和尚さんの法話 「自殺願望者に告ぐ」
死刑反対論は非常に慈悲が深いように思いますが、それはあの世という仕組みを知らんからそういうことを言うわけです。
そんなことも知らんとそういうことを言うてあの世へ行ったらやれやれと思うたら、こんな偉い目にあうんだったら死刑を受けたほうが良かったと思うことが多いんじゃないかと思うのです。
自殺する方の心境は、お先真っ暗でもう逃げ道がない。希望というのも楽しみも何も無い。
そういう心境ではないかと思うわけです。
希望を持つというても、ああそうですかと持てるものじゃないと思うのですが、日々のね、希望というのは楽しみですよね。
楽しみを見つける、趣味があったらいいですね。
だから趣味の無い人は一生暇でしょうがないと思いますね、寂しいと思いますね。
趣味といかんでも楽しみですね。或はテレビでもよろしいじゃないですかね。
相撲があるんだとか、何時からドラマがあるんだとね、サスペンスが好きだとか、犯人は誰やというので見てしまいますよね。
そういうようなものでもいいと思うんです。
そういう一つの喜びと言うか、楽しみですね。
『仏縁』
和尚さんの友人が、学生時代に肋骨を折って手術して、それは治りまして今も交際があるそうですが、今度は肺の癌で手術をしたんですが、それもまた助かりましたということですが、今も通院して様子を見てるそうなんです。
病院にはいろんな病気の人が大勢集まってきますね、それが皆と会うて話すのが楽しみだというんですね。そういうことでもそれは幸せですよね。
ですからそういうことでも見つけることは大事やなあと思いますね。ハイキングでもよろしいわね、なんでも自分の喜びが大きければ大きいほど充実してくると思いますけどね。
小さいながらでも喜びがあれば、死にたいというようなことはないのではないかと。だから死を願望なさる方はそれがない。
だけどそれを聞いて、ああそうですかと、すぐに喜びに浸ることは無理でしょうけど、現実的な話をすればそうなると思うんですね。
どういう弾みで自殺なさるか分かりませんね。和尚さんの在所で癌で自殺なさった人がいるんですが、或る人がね、あほやなあ、なにも自殺せんでも待ってたら死ねるんじゃないか、なんで自殺しよったんやと、笑ったんです。
そして今度は自分が癌になったんです。そしたら自殺したんです。
人に言うて笑ってたのに今度は自分が癌になって自殺したんです。
だから自殺者というのは、あんたは経験がないからと言われますわね、返答も出来ないとも思うんですけどね。
ですが私はあの世を認めてますし、自殺してもちっともいいことはないと思ってます。
ですからこの世の楽しみのついでにあの世を信じて頂きたいですね。
だから本当の仏教者であるならば自殺はしないと思うのです。
まずはあの世があるということです。
神仏があるということです。
だからお経に説いてある阿弥陀様を信じて、たとえ一遍でも、十遍でも南無阿弥陀仏と称えることができたら極楽へ往生できると、お経に説いてある。
そういうことをしていると死ぬことも忘れてしまうんじゃないかと思うのです。本当に極楽へ往生できるんだろうかと思うなら、先覚者に聞くということですね、その先覚者が間違っていると、オウムみたいなことになってくるわけです。
師匠を選ぶのを間違うと大変ですね。
前世の因縁がよかったら仏縁深まり救われていくということになるわけです。
仏教では因縁といいますが、この因縁の善し悪しですね、これが大事であって、皆さんがこうして仏法を知るということは皆さんはなんとなく見てるように思うのですが、袖触れ合うも他生の縁といいますね。
道を歩いておって、行きかう人と袖が触れるでしょ、それは前世の何かの縁ですよ。
たまたま袖をすれあったそれだけの縁だけれども、それも薄いけど因縁ですよ、前世で何らかの縁があったということです。近所の人だったとか、友達同士だったとか、ということになるのですが。
それが深い因縁ということになってくると、弘法大師が中国へ行きますね、密教を教わりに行くと、恵果阿闍梨はなんとおまえは来るのが遅かったな、と。
弘法大師が来るのが分かってたんですね、恵果阿闍梨は悟ってますから分かってた。
もう近いうちにあの世へ帰るから早くしないといけないというのですぐに伝授したという話がありますね。
恵果阿闍梨と弘法大師はいつも友達でね、いつも一緒に生まれてきて師匠となり、弟子となるんですよ。今回は、恵果阿闍梨がお師匠さんで弘法大師が弟子ですが、前の世では弘法大師が師匠で恵果阿闍梨が弟子だった、というようにいつも二人は一緒に生まれてきて、悟りの高い二人なんですね。
いつも一緒に生まれてきて真言密教を学んで広めて衆生済度していくということが弘法大師の伝記に出てきますよね。
お釈迦様には1250人の阿羅漢という方がいらっしゃいますが、あの方々はずーっと前世からお釈迦様と繋がってるんですよ。
インドという国は、小さい国がたくさん集まってインドという国が出来てますから広いですわね。
小さい国というのは、日本の昔の河内の国とか紀伊の国とかいうような今の県ですね、それと一緒で小さい国があったんですね。
お釈迦様の本拠は舎衛国の祇園精舎というところですわね。
そこを本拠としてあっちの国へ行き、こっちの国へいくと、法を説いては祇園へ帰ってくるんですね。
ところが、その当時はむしろ新興宗教で古い宗教がたくさんあったんですね。例えば代表的なのは婆羅門とかね。
皆さんはお釈迦様をどうとらえてるか分かりませんが、姿は人間の肉体がありますが、魂は如来様ですよね。
如来様が、衆生を済度せななりませんから仏教を広めたわけです。
長い時間の間に一人如来様がこの世へ出てきて仏教を広める。
その仏教がいずれ廃ってしまう。するとまた次ぎの仏様が長い時間の後に出てきてまた仏教を広める。
過去には無数の仏様が出てきて仏教を広めてるんです。
この次ぎにこの世へ出てきて仏教を広めるお方が、弥勒という仏様です。
皆さんもご存知ですね、弥勒菩薩です。
それまでの時間が五十六億七千万年。
これは仏教の時間からすると非常に短いです。
仏教では劫という時間が出てきますね。
一劫という時間ですが、これはもう例えて言うしかないわけですが、160キロ四方の真四角の大きな石があると仮定して、天人が百年に一度降りてきて、その石を羽衣で擦って上がるんです。
百年ごとに一度降りてきて石の上を擦って上がるんですね。
そしてその石が磨り減ってしまうと一劫という時間だというのです。
だからそういう時間と比べると、この時間は短いですね。
それで次ぎに弥勒という方が出てきて仏教を広めるわけです。
だから他の宗教と違って、教祖さんはお釈迦様一人と違うんです。
この地球上では、お釈迦様一人ですが過去には無数の仏有り、浜の真砂の数ほどの仏様がいらっしゃるわけです。未来も無数の仏が出ると。
そういう規模の大きな宗教なんですよ。
作品名:和尚さんの法話 「自殺願望者に告ぐ」 作家名:みわ