和尚さんの法話 「自殺願望者に告ぐ」
和尚さんは、そのテレビを見て、あの人はよく行の足りてる人やなと思うて見てたそうです。
例えば、俳優の田村次郎を呼んだんですが、この人は自殺をした人ですね。
あの人を呼んだときに、行者さんがもう田村次郎が乗り移ってしまって自分では分からんのですよ、本当に行の足りた人だったらね。
そして「死ぬんじゃなかった」と言うんです。
あなたは今どういう世界に居ますかと、他の人が聞いたら「真っ暗な世界に居る」と、言うんです。これは黒暗地獄ですね。
真っ暗な世界に居る。
死ぬんじゃなかったと、言うんです。
これは本当やな、と和尚さんは思ったそうです。
そしてこれはまた別なんですが、坂本竜馬を呼びました。
その人は自殺に関係無いんですけども、「私はあの世で、私を切った者と仲良くしてます」と。犯人と私は仲良くしてるといったそうです。
これも余談ですけど、明治天皇の皇后様だったか、ちょっと忘れましたけど、あの方が夢で、日露戦争のときだったか、のときに心配で日本がどうなるか心配で夢を見たんですね。
そしたら一人の武士が出てきてね、「ご心配なさいますな、日本は絶対に滅びません」と、こう言ったんですって。
それであなたは何方ですかと聞くと、「拙者は坂本竜馬でござる」と。こういう実話が残ってるんですね。
あの人は、殺されたんだから事故ですよね。
事故で死ぬとか、或は自殺で死ぬとか、ということになりますと、原則としては、あの世へ行ったら具合が悪いんですよ。
ところが、その人がこの世で非常に善いことをしてるとか、或は信仰を持ってたとかいうことになりますと、これは例外になってくるんですね。
とくに信仰を持ってると、如来様、菩薩様方の目からご覧になって、この者の信仰は本物だというように認められる人があるとしたら、その人がたとえどのような死に方をしても、それはもう絶対に救われる。信仰とはそれほど強いものなんです。
問題は、死の瞬間のそのときの心理状態とお経にはそう説いてあります。
「臨終の一念は平生百年の業に優る」と。
今これから死んでいくというときの、その一瞬の心境ですね。
その瞬間に悪念を持つか、善心を持つかと、それが未来を決定するわけです。
『平生百年の業』
今これから死んでいくというときの、その一瞬の心境ですね。
その瞬間に悪念を持つか、善心を持つかと、それが未来を決定するわけです。
この平生百年の業、と。
今我々が健康なときに、例えばこの百年間善いことばっかりしたと、悪いことはちっともしないと仮定して、ところがどうかの場合に死ぬ瞬間に、悪念を起こすとしますね、一瞬の悪念を起こすとしますね。
そうすると、この百年の間に積んだ善行の功徳が全部消えてしまう。
その逆もそうです。
平生百年の悪業。
悪いことばっかりしてきたとします。
ところが、臨終の一念に本然と悔悟して南無阿弥陀仏ということになると、その方は極楽へ往生できるんですね。
お念仏でしたらね。臨終の念仏を称えることが出来たらどんな罪があっても極楽へ往生できるんです。と、いうことになってるんですよ。
臨終のときのその刹那にどんな死に方をしてるのか、ということが問題なんですね。藤村操なんかでしたら、そのなんといいますか、悟った心境ですからそんなに悪くはないとは思いますけどね。
ただ、あの世を信じてなかったということがマイナスと思うのですけれども。
兎に角その死んで、まあ病気で死のうが自殺なさろうが、死んであの世が無いんじゃないんですから、あるんですから、だからショーベンハウエーじゃないですけども苦痛が消えないと。
この世で苦痛をするか、あの世で苦痛するかと思う違いだけであって。
そこへもってきて自殺をして義務を果たさなかったというもう一つ荷を背負うて向こうへいかんなりませんから良くはないんですね。兎に角あなたは死んでも無くならないということですね。
仏教の話となってきますと、まずあの世ということを勘定に入れておきませんと。
あの世というのを切り離してこの世のことばっかり見てたら間違ってくるわけですね。
ですから私は一概には言えませんかもしれませんけど、本当の信仰を持っておったら、どんな苦痛がきても、自殺という心境にはならないだろうと思うんですね、未来には自分には救いが待ってるんだという安らぎがある。
病気の人はどうなるか分かりませんが、そんな心境にはとてもじゃないがなれないということになるかもしれませんけど。
ですから皆さんが、健康な方ばっかりだと思いますが、そういう方に自殺願望というような話をするのは筋違いかもしれませんけれども、どんな弾みでね、我々は私も含めてこれから将来、どんな弾みで死にたいというような心境にならんとは限らない。
何が起こってくるか分かりませんよね。そういうときに少しでもお役にたてたらと思いますことと、またそういうことを皆さんが相談を受けることがないとも限らない。
ふっと、友達同士で、わしはもう生きてても面白くないし死にたいんだと、もらしたら、若しこの話がお役にたてば、こうだぞと話してあげれば如何かと思うわけです。
兎に角、まずはあの世ということを信じていただくということですね。
あの世を認めて下さってもですね、この世は苦しみで、あの世へ行ったら楽になると、そういうものではないということです。
兎に角、信仰の話であろうが、日常の道徳的な話であろうが未来ということの存在を信じるということですね、これは楽しみですよね、皆さん。ただ苦しいから死んであの世へ行って楽かというと、そうはいかんということですよ。
この世へ生まれてくるということは、良いこともあるし悪いこともあるが、平均してみたところが、おまえは人間界へ生まれていくのが相応しいというところだということで来てるんですね、我々は。
人間界へ生まれてきても幅が有りますから、裕福なところへ生まれる者もあれば、ホームレスのような者もあるということですね。幅があって、人間界でも上中下とあるわけですからね。昔の大名なんか結構なことですね、秀吉とか家康さんとかあるんですから。
ところが人間界へ生まれてきて身分がありますから自分の思うように何でもなるというような錯覚を起こして、またやりたいことをやると、清盛のようにね。そしたらまた転落していくわけなんです。
『死刑』
ですから、自殺をなさると、残りの分を持っていかんならんから、それはこの世で果たしておかないと、向こうで仕事が増えてくるわけなんですね。
そこから話が飛びますが、死刑囚なんかはね、本来は死刑にならんなんのに死刑反対論があるんでしょ。
ところが仏教からいうと死刑賛成論になってきざるをえない。
死刑せんならんのに死刑せずにあの世へ行ったら死刑の分を背負うていく。
そんなのは嫌だという方はこの世で果たして行ったほうがいいということになってくるわけです。
ですから刑を受けてすかっとしてあの世へ行ったら軽いですね。
逃れることの出来ない罪はしかたないけれども、そういう死刑されずに行ったらやれやれよかったと、そういうものじゃないんですよ。
作品名:和尚さんの法話 「自殺願望者に告ぐ」 作家名:みわ