和尚さんの法話 「自殺願望者に告ぐ」
ま、昔の方々はそういった哲学者は、あの世というのを認めているわけなんです。
だから哲学者には自殺者はいないように私は思うのですが、藤村操は別としてね。
彼はまだ学生でしたからね。
ま、自分が真っ暗になってしまって、自分を消してしまいたい、逃避したいと、こういう気持ちであろうと思うのですが、然し消えないんですよね。
ショーペンハウアーは、自分は死にたいと思っていても、意識がこのまま続くんなら死ぬ意味がない。死んで悩みは解決しないんだったら、これは悩みはこの世で解決しなければいかんというわけで思いとどまったんですが。
自殺をなさる方は兎に角、現実逃避でここから逃れたい。
生きていたくない。こんな苦しみは嫌だ、とこういうことですね。
この世を逃れて、もっと楽なあの世へ行きたいと、そういう心境ではないと思うのです。
ゼロになりたいと思うのでしょうね。
ところがショーペンハウアーが言うたようにゼロにはならない。
和尚さんがあの世があるということをいろいろな経典も出して申しておりますが、あの世があるのは100%あるのは間違いないわけなんですよね。
『自業自得』
そしてその問題は、自殺してあの世へ行っても楽にならないんですね、かえって具合が悪いんです。
それは、法律とか、一般思想からいうと生きるということは権利だと、人間の権利なんだとそういう考えでしょ。生きることは権利だと。
で、仏教では生きることは義務なんです。
何の義務かといいますと、それは、皆さんはどうお考えですか、親があったから生まれてきた。
これは偶然だと、偶然生まれてきたと思ってるんじゃないでしょうか。
過去ということは勘定に入ってないわけですよね。ゼロからぽっと、出てきたと。
それで義務というのはどうなるのかというと、過去が有るわけですね、霊魂も不滅であると。
輪廻転生です、永遠の過去から永遠の未来へかけて不生不滅でいつ始まっていつ終わるというものではない。絶えず繰り返してるわけです。
それから脱して、如来に成るというのが仏教の教えなんです。
兎に角、過去があって、生存する世界は人間界だけではないんですよね。
肉体を持った世界はこの人間界だけですけれども、後は皆霊界です。
霊界に地獄、餓鬼、畜生(畜生はあの世にもこの世にもあるんですが)、修羅、人間(人間もあの世にもこの世にもありますね)、それからあとは天上。
天上界は二十八天あるわけです。天上界のほうが人間界より多いですね。天人のほうが人間より数が多いように思いますね。
そういう世界がたくさんあるわけでして、この世は人間界だけですけれども、あの世の人間界の上にまだ天上界というのがあって、天上界の上にもまだ上中下、上中下・・・とあるわけです。
この天上界というのもまだ輪廻の世界ですから、善いことをした人は天上界へ生まれるわけですわね。救われないけれども、善いことをした。
この世でいろいろと善いことをした。
悪いこともしたやろうけど、むしろ善いことをした、平均してね。
そういう人は善いところへ行くというわけですが、然しそれも迷いの世界ですから、信仰を持っていませんから。
ただ善いことをしただけですから善いところへ行くけど、救われないでまたこの世へ戻ってくる。
それを輪廻というのです。
ですから、自分が何処へ生まれるかということは、偶然じゃなくて自分が何処へ生まれなければならない原因を自分が積んでるということです。
つまり、善いことをしたか、悪いことをしたか、それが原因です。
善いことをしたら善いところへ生まれるし、悪いことをしたら悪い所へ生まれる。
それを自業自得というのです。
えらい突き放したようなことを言いますけど、これは仏教の真理ですね。
仏教の教えと言うものはお釈迦様が出てきて説いたからそれが通じるけど、お釈迦様が死んでしまったら後の世の中に通じない、とそういうものではないのです。
お釈迦様が出る以前から、お釈迦様が亡くなって未来永劫に仏の説いた教えは心理であるということです。
自業自得というのは、自分の業を自分が獲得する。
先祖の因縁じゃなくて自分がやったことが自分に来るのです。
良いことをしたら良い報いが来るし、悪いことをしたら悪い報いが来る。
それがやっかいなことに、三世に来るということなんです。
現世だけで通用しないということです。
我々が住む世界が現在世で、それに過去世と、未来世があるのです。
そして、現在世へ生まれてくるのは偶然ではなくて、過去世の自分の自業自得の結果として現世に生まれてきてるのです。
地獄も行かず、極楽も行かず、天上界も行かず、この人間界へ生まれてきたというのは、人間に生まれてこなければいけない自分の前世に責任があるのです。
それでこの現在世へ来たのであって、偶然来たのではないんです。
親が勝手に生んだという人もあるが、そうでもない。
自分の前世の因縁によって、この世へ生まれるべくして生まれてきたのです。
だから、どれくらいの寿命を生きていかんならんというのも、これも決まってるんです。
だから手相を観ても出てますね。
100%決まってるわけじゃないんですけど、行いによってそれが多少変わるんですね、良くも悪くもね。
持ってきた運命がそのとうりやっていけば、そのとうりいくんですけど、生まれてきて良いことしたり悪いことをしたりしますね、それが前世の因縁にプラスマイナスするわけです。そうするとこっちへ寄ったりあっちへ寄ったりするんです。
寿命も或は、30歳で死ぬか分からんような、一応の運命を持って生まれてきたけれども、或るときにその人が信仰に入ったとすると、その人の寿命が延びる可能性があるんですね。
或はその逆もあるわけです。
70歳まで生きるという本来の寿命を持って来ながら、殺生ばっかりしていると、50歳で死ぬとか30歳で死ぬということもあり得るんですね。
兎に角、一応の原則は自分がこの世に生まれてこなければならないという自分の前世の業を積んでるから、この世へ来たんだから、その業を果たすのが自分の、人間の義務だというのが仏教の人生観なんですよ。
生きるのが義務なんですよ。
例えば、70年なら70年の寿命を持ってきてると、自分では分からんけれども、まあ持ってきてるとします。
ところが面白くないから50年で死ぬとします。
すると20年は、果たさずにあの世へ行きますのでそれが付いてくるわけです。
それは消えてしまうんじゃないんですよ、その果たさなかった部分があの世へ持って行って果たさんならんから宿題みたいになるんです。
だからけっして逃れたいから逃れるというようなものではないわけですね。
かえって苦しみを背負って行くことになるんですね。
ですから他の宗教でも、自殺してあの世へ行ってもいいことはありませんとよく言いますが、それはそのとうりなんですね。
ずっと、以前にテレビでね、皆さんもご覧になったか分かりませんが、ある行の足りた人が出てきて、皆が知ってる有名な人を呼ぶわけです。
作品名:和尚さんの法話 「自殺願望者に告ぐ」 作家名:みわ