友と少女と旅日記
気になった私は、気付かれないようにそのあとをつけてみることにしました。彼女の姿は図書室へと吸い込まれていきました。
私は扉を少しだけ開けて、中の様子を窺うことにしました。テーブルに教科書とノートを広げて、鉛筆を手にした彼女が椅子に座っていました。ノートに何か文字を書こうとするたびに俯いて、何度目かのときに彼女はついに泣き出してしまいました。
さすがに見ていられなくなって、私はそっと近づき、持っていたハンカチを彼女に差し出しました。
「ほら、涙で濡れた顔がウザいんで、さっさと拭いてください」
「あ、ネルちゃん……。ごめんね、起こしちゃった?」
「んなこと、どうでもいいんですよ。ほら、さっさと泣き止む!」
無理やりハンカチを彼女の顔に押し当ててゴシゴシと顔を拭いてやりました。痛い痛いと言うのを無視していたので、なんだか本当にいじめているような気分になりました。
「さあ、これで綺麗になったんで、もう泣かないでくださいね」
「あ、ありがとう。ちょっと痛かったけど……。というか、ネルちゃんのハンカチ汚しちゃったね。あとで洗って返すよ」
「いいですよ、ハンカチくらい。代わりならいくらでもあります。あんたの使ったハンカチなんかもう使えませんし、あんたにあげますよ」
いちいち謝られるのもお礼を言われるのもめんどくさかったので、私は言い放ちました。こう言われれば、さすがに彼女も『それでも洗って返す』とは言えないようでした。
「それよりあんた、こんな時間に勉強ですか? 寝不足になって授業に集中できなくなったら本末転倒ですよ?」
「んん……、そうかもしれないけど、やっぱり眠れなくてさ。私が頭悪くて、みんなに迷惑掛けちゃったのは事実だし、少しでもいじめられなくなるようにって……」
「そんなに酷い成績だったんですか? ――今は教科書の問題集を解いているところでしたか。ちょっと見せてもらってもいいですか?」と尋ねただけで、何故かまたウルウルとした目になりやがりました。
ノートを見る前に、ちゃんと許可を得ようとしたところに感動したんだとか。そんなことでいちいち目を潤まされてめんどくさかったですが、同時にそれだけ彼女がつらい目に遭わされているのだと思いました。しかし、それにしても――、私は教科書とノートを見比べながら言いました。
「これはさすがに酷過ぎやしませんか。私も全く擁護できないんですが……。なんでL.E.862年に魔王を倒した英雄の名前がエヴァンスなんですか。どんだけ長生きしてるんですか」
「だって、有名な英雄って言ったら、他に思い出せなくて……」
「で、こっちのノートは数学ですか。えーっと、どれどれ、……まあ、そもそも公式から間違ってるってのはお約束ですよね」
「うぅ……、ごめんね、物覚えが悪くて……」
「私に謝られても困るんですが、少しくらいなら勉強見てあげましょうか。私も眠れなかったですし」
私がそう言うと、彼女はまた申し訳なさそうな顔をしたので、軽く睨みつけてやって、口を開かせませんでした。
それにしても考えてみれば、図書室は私たちにとっては安寧の場所と言えるような場所でした。ラファエラたちのようなタイプは偉そうにしているだけで、読書に興味があるような奴は少なかったので、静かに過ごせる場所だったのです。
そんな落ち着ける場所で二人で勉強しながら、一夜を過ごしました。同室しているというのに、あれだけ長くお喋りをしたのは初めてだったような気がします。普段は目を合わせるだけで、罪悪感に苛まれて、何も言えなくなっていましたから。
そして、数日後に予告通り新しい教育係の先生がやってきました。その先生は派手好きで嫌味なおばさんといった感じで、誰かがその先生に訊かれた問題を間違えるたびに、教室には激しい叱責の声が響きました。それ故、私を含めて誰からも嫌われるのに、さほど時間は掛かりませんでした。
彼女でさえも、あの先生は苦手だと言っていました。何度も補修を受けさせられたせいもあるかもしれませんが。――そして、あの事件が起きたのは、その教育係の先生が来てから3週間後のことでした。
あれはその日の昼休みの時間のことで、私はお昼ごはんを済ませて、少々お花を摘もうとして化粧室へ向かいました。そのとき、化粧室の出入り口の前で教育係の先生とすれ違ったので、軽く会釈をしてから、洗面台の前まで行きました。
――そこで見たのです。おそらく個室から出てきたばかりで、教育係の先生とは顔を合わせていないであろうあいつを。そして、その手にあったものは、教育係の先生が手を洗うときか化粧直しのときかに外したと思われる指輪がありました。
「それって……」
私はうっかり呟いてしまいましたが、何も気付かなかった振りをした方が得策だったかもしれません。あいつは驚いて、こちらに目を向けながらも、すぐに落ち着き払って指輪を自分のスカートのポケットに入れて、念を押すように言いました。
「…………誰にも言うんじゃないわよ。言ったらどうなるか、分かってるわね?」
「……私は何も見てませんし、何も知りませんよ」
「そうね、それでいいわ。お姉さまにも、このことは秘密なんだから」
そう言って、あいつは私の肩を突き飛ばすようにして、化粧室をあとにしました。そう、教育係の先生の指輪を盗んだのはラファエラ、――ではなく、イルマだったのです。
「そうだったのね、私はてっきり――」
先生は、私のここまでの話を聞いて、口に両手を当てて驚いたように言いました。
「ラファエラが犯人だと思っていましたか? 彼女はああ見えてビビりですから、イルマと同じ状況になったのなら、素直に指輪を返していたんじゃないでしょうか。
イルマは逆に、私が気味の悪いことを言っても動揺してはいなかったので、肝は据わっていたと思います」
しかし、いくら肝が据わっていたと言っても、次の展開にはイルマも動揺したようでした。順を追って説明しましょう。まず昼休み時間もそろそろ終わりを告げるという頃に、次の授業のために女子全員が教室に集まりました。
しかし、なかなか教育係の先生が現れず、何かあったのかとみんなが騒ぎ始めた頃、ようやく教育係の先生が飛び込んできました。そして、大切な備品が盗まれた可能性があるので全員の持ち物検査を行なうと言い出したのです。
指輪をなくしたと言うのは、自らの落ち度を認めることになるためにプライドが許さなかったのでしょうか。一つだけ言えるのは、女子の誰かが犯人だということだけは確信している様子だったということです。女子トイレで指輪を置きっ放しにしてしまったことは自覚していたのでしょう。
イルマの席は私のすぐ左隣だったので、私は横目で様子を窺いました。あいつは目を伏目がちにし、自分の両腕を抱いてガタガタと震えているようでした。指輪をどこか別の場所へ隠す時間も余裕もなかったんだなと、そのときの私は思いました。
一方、ラファエラは『めんどくさいことになったわね』という顔をするだけで、我関せずという様子でした。彼女も面食らったように目を白黒させるだけで、自分とは関係ない話だと思っていたようです。