ぶち猫錬金術師
「本当だ。ヴァチカンの奥は怪しいぜ。南京錠を何重にもかけてやがる。俺たち関係者にさえ、それを隠しているかのようにな」
トマスの言動は、あくまで穏やかであった。
「まさしく『隠されしもの』。アポクリプスですか。ま、それはいいとしましても、ユーリの出生について少し語っておこうかと思ったしだいです」
「なんなのだ、いきなり」
「いえ、さして特別なことというわけではないのですよ。ユーリの両親は、つまりケストナーのご両親ですが、本当の親御ではなかったと、ユーリから聞いたのです。本当の両親がほかにいると。彼女はその両親を捜すため、旅をしているのです」
「へえ、そうだったんだ」
アクセルは瞼を細め、太陽の光に照らされ、甲板の上で鴎と戯れるユーリを眩しそうに見つめた。
「それで、その神話とどういう関連が」
マーブルの問いかけに李はしばらく沈黙した。
答えてよいものか、迷いでもあったのだろう。
「言っとけ。どうせあとで全部わかることだ」
トマスのいうことも尤もだ、と、李は思ったに違いない。
一呼吸おいてから、驚くべきことを口にする。
「その昔、テトラグラマトンと名乗る神には姉がいましてね、その姉のことを愛してしまったのです。姉神の名は、エル。じつはエルには恋人がいました。ルシエルといいます。エルとルシエルには双子の子供がいましたが、テトラグラマトンに見つかってしまい、殺されてしまったというものです。ところがじつは哀れに思ったテトラグラマトンの部下は、地上に双子を捨てたという。つまりは生きていたという説も飛び出てきました。これをどう見ます、錬金術師殿」
「ありそうでなさそうな、なさそうでありな話かにゃあ。まあ神話だから信憑性はないだろうにゃ」
「俺は、あると思う」
その場にいた全員が、驚いたような表情でトマスを見つめる。
「な、なんだよ、そんなに意外か」
「ありえにゃい。神話とかを小ばかにするトマスがそんなこというにゃんて」
「ありえない。トマスに限って、どういう風の吹き回しなんだ」
「お、おまえらなあ。特にアクセル。トマスに限ってとはどういう了見だ、おいっ」
半ば興奮気味に怒鳴りはしたが、大きく一息つくと、照れているのか小声で呟いた。
「シホがな。そういうの好きだから、つまりその、なんだ」
「はっはあん。シホの影響で変わっちゃったわけですかあ。なるほどねぇ。愛は人格をも変える、革命的だねぇ」
いやらしい笑みを浮かべ、アクセルは、懸命に意見を述べようとどもりがちなトマスを尚もからかう。
「てめっ、あとでおぼえてろよ」
アクセルを三白眼で睨みつけ、その雰囲気は恨めしげに見えるのだった。
「李さん。僕はまだわからないことがあるんだけど」
「はい、なんです」
「メタトロンのやつは僕の魔力が神にとって妨害になる、とこういったんだ。やつらは何を恐れているんだろうかにゃ」
李は酒を飲んでいても、こういう問いかけには結構まともに答えてくれている。
初対面の人間からは変態と思われるが、案外普通の人なのだろう。
「メタトロンたち神は、マグナス殿の力を恐れている、ですと。何を以って恐れる必要があるのだろう。最近、賢者の石でも作りましたか」
李は冗談のつもりで言ったのだろうが、マーブルは違っていた。
「そ、そういえば、それに近いものを作ってしまって、皇帝に献上しかけたかも」
「ええっ」
「そうだ。そういわれてみれば、あの依頼もおかしかったな」
マーブルの言っているのは、ルチアとの婚約パーティの一週間前にさかのぼる。
マーブルがまだアルベルトのときに請け負った皇帝や諸侯への献上品、それこそが『賢者の石』だった可能性があった。
「でも、それ陶器だったんでしょ、賢者の石は鉱石から作られますよ」
「ふつうはそうでも」
マーブルは李の言葉を否定した。
「あの陶磁器はそうじゃない。たしか生成法が師匠からの直伝のものだったはず。その素材に『賢者の石』を使った可能性は大いにあった」
マーブルの顔色は、次第に青ざめていった。
「そんな、馬鹿な」
「いや、赤が足りなくてつい」
と、頭をかき始める。
「それだけの理由で、賢者の石を溶かしちゃったとか。あり得ませんねえ」
「あり得ないのが錬金術師の技なのだよ、李さん。ていうかね、アルベルトは変わり者だから」
トマスはのんびりタバコをふかすと、マーブルをせせら笑った。
「『賢者の石』や『エリクシール』などといった不老不死の液体を作るような人間を、たしかに神様がたが放っておくとは、思えませんねえ。どうします、マグナス殿」
「いまは、シホを救うことだけ考えたい」
肉球のついた両腕を組むような格好をし、真剣な面持ちで船室に引っ込んでしまった。
「最近おかしいよなぁ、あいつ。なにか悩んでるんじゃないのかな」
アクセルは見張り台の上に立ち、マーブルのことを案じているようなことを言う。
「アルベルト、お前」
トマスもまた、友として、何かを察知しているようであった。
マーブルは船室にこもると、銀のロケットに貼り付けたルチアの似顔絵を見つめ、孤独にため息をつく。
その絵はアクセルに描いてもらった肖像画である。
いつだったかアクセルは宮廷画家から指南を受けてプロ級の腕前をマーブルに披露した。
「それほど上手くはないんだが、どうだい、そっくりかな」
「おお。似てる。上出来にゃん」
アクセルはルチアの顔を知らないはずなのに、本物のようなルチア像を描いてくれた。
「オレ、将来は画家としてもやっていきたいんだ。王子だからいけない、ってこともないだろうし」
マーブルは肉球をぷにっとさせ、アクセルの肩に手を置いた。
「なれる。男は一度決めたことに責任を持たねばならない。騎士の精神と同じだにゃン」
アクセルにはそういったものの、自分のこととなると話は困難を極めてくる。
「ああ、困ったにゃあ。ルチアに会いたいが、あの性格だと受け入れてはくれなさそうだ。かといってシホは今、敵に捕らわれてしまっている。しかし助けたところで僕のことを」
短い両腕で顔を覆ってしまった。
「アルベルト、やっぱりそうか。もしやと思っていたのだが」
扉の向こう側でマーブルの独り言を耳にしていたのは、トマスである。
友のことを案じ、やってきてみたのだが、想定外の事態となっていた。
「弱ったぞ、シホは俺のことを好きなんだ。今更アルベルトに乗り換えろなどと言えるわけがない」
「当たり前のこというな」
今度はアクセルまでもが話を横聞きして、トマスに突っかかってくる。
「でもな、オレだってシホのこと、諦めたわけじゃない。これからいくらでもチャンスはあるって、信じてるくらいさ」
「ガキに、なにがわかるってんだよ」
「わかるね。少なくとも、あんたよりはマシさ。シホのこと理解してる」
「寝たぜ」
アクセルは機関銃のごとくまくしたてていた文句を押し込め、急に押し黙り、トマスの顔を凝視する。
「俺はお前よりも早くあいつと出会ってる。それだけ愛情の深さが違うんだよ。そして本当の意味ですべてを理解している、と言えちまう」
「よせ。それ以上言うな。もういい、わかった。もういい」