ぶち猫錬金術師
「そうだよ、だからぼくが、きみたちを助けようって先生に言ったんだ。昨夜、猫さんが荒くれたちにボコボコにされてるの見つけて、すぐ助けたかったんだけど、そのお兄ちゃんが男たちをやっつけていったんで安心できた」
「何か悪趣味だな、それ」
アクセルは悔しそうな顔をし、小声で呟いた。
「おかげでオレはへろへろだよ」
「酒飲んでたからだろ」
トマスの毒舌に、アクセルは思わず握りこぶしを作る。
「とにかく。アクセル殿下の船に乗ろう。ここからが本当の旅の始まりになるのだからにゃ」
マーブルは毛づくろいをしながら、皆はマーブルの後に続いて、船の置いてある倉庫へと歩き出した。
「待て待てい。やっと追いついた」
ところがマーブルたちの行く先に息せき切って現れたのは、マーブルを猫人間に変えた張本人メタトロンだった。
以前は整っていた赤い長髪は、乱れに乱れ、汚れた衣服からは汗のこもった体臭を漂わせ、見た目からしてロクな目に遭っていないことが窺える。
「メタトロン。いまごろなぜ、僕の目の前に現れたのか」
マーブルの目つきは獰猛な肉食動物そのものに豹変する。
「こいつが噂の」
トマスは無表情のままメタトロンを見据え、アクセルは敵意を徐々に見せ始め、李は悠々とかまえ、ユーリは短剣を握り、シホは懇願するようにメタトロンの前へと進み出た。
「お願い。マーブルを、いいえ、アルベルトを元に戻してあげて」
「やはり、貴様がユーリ=ケストナーか。おとなしく『アキュアール』を渡すのだ」
メタトロンは、シホに烈風を浴びせると、意識を失わせ、あっという間に姿を消した。
「シホ、シホ」
必死にシホを捜すトマスだが、徒労に終わってしまうと、地面へとくずおれ、落胆の色を隠せなかった。
「ごめんなさい、ぼくのためにシホを危険な目に遭わせてしまって。でも大丈夫、きっと助けるから」
「どうやって助けるつもりだ」
トマスはうつむいたままでユーリを責めるようにいった。
「あいつの居場所はわかっている。神の住む城、天空城だよ」
「天空城、だと。どこにある」
「ぼくも行ったことはないので場所まではわからない。でも、この『アキュアール』が示してくれる」
ユーリは腰の鞘から剣を抜き放つ。
『アキュアール』は、水鏡のように透明感を帯びた聖剣である。
その美しさに誰もが心奪われるといわれていた。
特に武器を多く扱う騎士たちには、剣の魔性に耐えられるものが少ないと聞く。
「やれやれな回り道だにゃん、ではいくか。シホを救いに」
本心は計り知ることが不可能だが、マーブルもシホのことが心配のようだ。
「そうだね。思い知らせてやろうよ。ぼくとシホを間違えた間抜けな『神の使い』に」
ユーリは邪悪そうな笑みを目一杯浮かべ、狩りを楽しむといった様子だった。
「離して。私はユーリじゃないんだから」
シホはメタトロンの腕を振り払うと、鉄張りの床へと座り込み、胡坐をかいた。
「嘘を申せ、貴様がユーリ=ケストナーであることは明らかなるぞ」
「まだいうか、このっ」
「メタトロンはおるか」
シホが視線を走らせると、紫の分厚いカーテンの向こうで不気味な声を発するものの存在を認識した。
「趣味ワル。何あの色、いやな感じ」
「ひ、ひかえろ。テトラグラマトン様の御前なるぞ」
「と、そういわれましてもねぇ」
シホは鼻を鳴らすと、必死のメタトロンを嘲笑する。
「ふん、どうせ神とかいったって、大した事ないんでしょ」
「小娘、このワシを愚弄する気だな」
テトラグラマトンのくぐもった声が、シホの脳に直接響いた。
「だったらなに。私のいた時代には神なんてもの、天使なんてもの、存在すらしなかった。科学の力がすべてだからね。アインシュタインの理論とかが証明もしてきたし、あんたもインチキなんじゃないの」
「いわせておけば」
メタトロンがシホを押さえつけようとした刹那、テトラグラマトンの腕がカーテン越しから伸び、そして、自称『神』は、その容姿を現した。
栗色の髪に白い肌、見かけだけを取れば完全な人間の若者で、シホは、ギリシャ神話のアポロンを想像したに相違ない。
神の姿は、それほど、美男子だったのだ。
テトラグラマトンの腕は、まっすぐシホの咽元をきつく絞めていった。
「ぐっ」
シホは呼吸できず意識を失いかけた。だが、次の瞬間、テトラグラマトンは気まぐれを起こしたのか、手を離し、シホを床に投げつけた。
「貴様ら人間が、神に楯突こうなど。生意気にもほどがあろう」
「どうして」
シホは、絞められた首を押さえながら、神を見据えてこういった。
「どうして人間を困らせるの。アルベルトやユーリを殺そうと考えるの。あなた、きれいな顔してるじゃない、神様って言ったら普通、人間たちを守るものなんでしょう。傷つけたりしないはず」
「間違っているな、その道理。だから人間は間抜けなのだ」
テトラグラマトンは、シホの腹部に片足を乗せ、強く力を込めた。
「やめて」
「とくに、女は愚かの象徴。子を宿すことしかできぬ弱き存在。だから、殺す」
「テトラグラマトン様」
傷つくシホを見ていられなくなったのか、メタトロンがシホを庇うかのように躍り出た。
「今殺してはユーリたちをおびき出せませぬ、ここはひとつこの娘を囮にして」
「フン、まかせる」
シホは先ほどまでの勢いはどこへやら、テトラグラマトンの背中をいつまでも見送っていた。
「刺激しないほうがいい、あの方はこれから大仕事があり気が立っているのだ」
「大仕事」
シホは青ざめた表情でメタトロンを見上げた。
「世界を壊し、再構築するという大仕事だ。その邪魔をユーリやアルベルトにさせるわけにいかなかったのだ」
シホは驚愕したのだろう、両目を大きく見開き、小刻みに震え始めていた。
第二章 第一話 神話の嘘、ユーリの秘密
「青い空、白い雲。そして順風満帆。船旅最高。いやあ、酒がうまいですなあ」
李紅白は甲板に座り、昼だというのに老酒の瓶を傾けていた。
「おっさん。こんな揺れてるのによく飲めるなあ」
と毒づいたのはアクセル王子。李の人柄は認めていたが、あまりのウワバミぶりに呆れていた様子である。
「若い者が何を言いますやら。ささ、あなたも若き北欧の獅子ならば、わが国の老酒に挑戦なさい」
「いってること、無茶苦茶」
「ところで、世界の神話についての嘘、アルベルト殿ならばご存知ではありませんか」
李は昨夜からぶっ通しで酒を味わっていたもので、いい加減ろれつが利かなくなりかけてもいたようだった。
「にゃん。神話の嘘とは」
「創世神話ですよ。じつのところ、ユーリの出生とも関わりがあるのですが」
李は弁当を頬張るユーリに視線を送り、それからマーブルのほうへ向き直った。
「いかがですか」
「たしかに僕は錬金術師で、師匠も神話の類には触れていた、と思うんだが、僕自身は聞いてない」「そうですか。ではトマス殿は。ローマでいろいろ漁ったのでしょう、禁書、とか」
突然振られて動揺したのか、トマスは勢いよくむせ返った。
「俺は何も知らん」
「またまたぁ」