ぶち猫錬金術師
アクセルは苦笑いしながらそう言った。
「はぁ。もう言ったって、どうして」
「代価だにゃん。人に物を借りるときは代わりのものを差し出せと、親から教わったんだにゃ」
マーブルはゴロゴロと咽を鳴らした。
その様子があまりに猫らしいのでアクセルは必死に噴出すのをこらえる。
「いいんじゃないの。旅は道連れというし、仲間が増えたところで旅の目的は変わらないんだから」
トマスは八本目のタバコに火をつけると、美味そうにふかした。
「そんなのんきな」
「改めて、オレはアクセル=ブラントといいます。どうぞよろしく」
紳士らしく丁寧に挨拶をした。
「こ、こちらこそ」
「それで、旅の目的についてはある程度聞いたけど、オレは何をすればいいんだい」
アクセルはマーブルのほうを向いて、腰に手を当てた。
「先ほどのとおり『メタトロン』と『テトラグラマトン』を名乗る神どもに制裁の一撃を与えてほしいのです」
「制裁の、一撃」
アクセルはマーブルの凛とした態度に度肝を抜かれたのか、息を呑んでいた。
「さよう。あなたがもし、世界を見聞するという目的を達成したいのなら、これほど有意義なことはない、と考えますが」
「というと」
「結果的に『神の理論』を超越することが出来ます。つまりこの世の理とかすべての事象を捉えることが出来ると思うのです。すなわち、世界の王になることも夢や理想ではありますまい」
「な、なるほど。たしかにやってみる価値がありそうだな」
「よかった。僕は心配だったんです。でもあなたの腕を買った甲斐がありそうなので、一安心ですにゃ。ただし」
と、マーブルは付け加えた。
「ただし、命の保証は出来ませぬ。万が一死ぬようなことがあっても、我々は責任を取れない、このことだけは覚悟しておいてください」
「相手は神だから、保険すら適用されないんだったな」
アクセルは王子だから、死ぬなどということは縁が遠いことだと思ったのだろう、常に守られて生きてきたからである。だが今度は自分の身は自分で守らねばならず、危険と隣り合わせになるわけだった。
「にゃあ」
マーブルは何度も顔をこすりつけた。
「あしたは雨かにゃあ」
マーブルの予報どおり夜が更けて嵐になった。
窓から大荒れ模様の景色を見ていたシホは腹立ち紛れに枕をかじる。
「雨どころか大嵐。これじゃ船出せないじゃん」
「朝になれば晴れるだろ」
寝台へ寝転がり、小さな本を読みふけるトマスは、あくまで冷静に、何の気はなしに呟く。
「どうしてトマスはのんきにしてられるのかなあ。早くマーブルの呪いを解きたくはないの」
「騒いだところで元に戻りはしないさ。お前こそどうして気にする」
「責任があるの」
トマスはシホの感情が不安定になりつつあるのを意識してなのか、起き上がり、シホの頭をなで、落ち着かせようとつとめた。
「責任とは」
「あのとき、メタトロンがマーブルに魔法をかけたとき、私めがけて術をかけたんじゃないのかって。もしかしたら、私を庇ってマーブルは。そう思ったら、一日でも早く元に戻してあげたくて」
「そうだったのか」
トマスはシホを胸に抱き寄せ、軽く瞼を閉じ、シホの背中を長いことさすってやる。
次第にシホの嗚咽はおさまっていき、腫れぼったい顔を腕で隠すのだった。
「アルベルトのことは心配するな。きっと、どうにかなるさ。あいつはお前が思うほど今の姿に悲観していないかも知れないだろう」
「そうかな」
「そうだよ」
トマスのいつになく思いやりのある言葉で酔ったように、恍惚した表情でシホが頷いた刹那だった。
マーブルは擦り切れたローブに痣と傷をたくさんこしらえ戻ってくると、一緒にいたアクセルは疲れきった表情で床にへたり込んでしまった。
「いったいどうしたの」
「闇討ちにあってしまった。僕の正体がバレてしまってにゃ。アクセルにつられて酒なんか飲むんじゃなかった」
「マーブル、オレが誘って一緒に飲んだんだよ。酔っ払ってフード脱いだら、化け猫って騒がれて、このざま。オレがいたから殺されはしなかったけど、もうじき騒ぎが大きくなる。そうなる前に町を出よう」
「アルベルト。お前、下戸だろ。なんで大事なこと忘れるんだよ、このバカッ」
「ねえトマス。やっぱり一日も早く元に戻そうよ、マーブルのこと」
これにはトマスも否定できなかったという。
早朝から住民に見つかり、港までの道を急ぐ一行を待ちわびていたかのごとく、髪を三つ編みした少女が船倉に積まれた樽の上から飛び降り、腰に手を当て一行に叫んだ。
「こっちだ、急げ」
なぜかマーブルたちを誘導する。
「あの娘、なんなんだ」
トマスの問いに皆も不審がるが、いまは逃げるほうが先決とばかり、少女の後を追うしかなかった。
「李先生、連れてきたよ」
「ご苦労さん、ユーリ」
倉庫の裏で待ち構えていたのは、メガネをかけた道教の僧。
腰には太刀を佩き、黄色の道士服を身に着け、にこやかな顔でマーブルたちに接してきた。
「わたしは李と申す旅の道士です。この子はユーリ=ケストナー。ケストナー家という由緒正しき血筋の娘です。突然ですが、わたしたちもあなた方の旅にご同行させていただけはしないかと」
「いきなり無礼だな、理由くらい言って欲しいがね」
「どっちが無礼だよ」
トマスの不躾な言いようにアクセルが小声でつっこんだ。
「わたしは先を読むことが出来ます、半分仙人みたいなものですから。わたしをお連れ下されば、役に立つこと間違いなしということを、お約束しますよ」
「ほんとかねぇ。胡散臭い。どうするんだ、アルベルト。お前に任せる」
マーブルは李とユーリのことを交互に見比べ、うなって考えた後、
「わかったにゃ、先読みの力というのがどういうのか知らないが、一緒にいくにゃん。助けてもらった恩もある」
「謝謝。ありがとうございます、アルベルト=マグナス殿」
李は名前を聞かずにマーブルの正体を見抜いたので、一同は固唾を呑んで様子を窺った。
「ど、どうしてコイツの名前を」
「あなたはトマス=ヴィスコンティ殿ですね。イタリアで噂を聞きました。修道会を破門されたとかで」
「く、詳しいな」
無表情ではあったが、低くうなるような口調でくわえタバコを強くかみ締めた。
「いまじゃ修道士をやめ、ただの人ですよね」
「何を言いたい」
「いえ。ただなんとなくですが、そちらの可愛いお嬢さんとお似合いだと思いましてねえ」
李には何でもお見通しらしかった。
トマスはシホのほうへ視線を走らせ、頬を赤く染めた。
「お嬢さんじゃない。私にはシホって言う名前があるもんね」
「それはごめんなさい、シホさん。悪気はなかったのですが」
この言動から、シホの負けん気の強さをも、李は見抜けたのだろうか。
「ねえ、李先生。ここ早く立ち去らないと見つかっちゃうよ」
痺れを切らしたのか、ユーリは追っ手を気にしてか、李を急かしていた。
「詳しい話は海上で、というのはいかがです。わたしたちも様々な追っ手から逃げ回るのに少々疲れました。あんまり走ったので足がむくんじゃいましたよ」
「あなたたちも追われていたの」
ユーリはシホの言葉に頷いた。