ぶち猫錬金術師
今後のことを思えば、マーブルにとってこれほどの苦痛はなかったはずである。
愛する女にも会えず、正体すら明かせない、四肢は獣同然、肉球つき。
なぜ自分だけがこのような目に遭うのだろう、とでも主張するかのごとく、マーブルは肉球のついた両手で顔を覆っていた。
「アクセル様がお帰りだぞ」
どこぞの店の主人が一言発すると、町中がワッと沸きだした。
次第に人だかりができ、マーブルもその騒ぎに参加することと相成った。
「アクセル様、今度の冒険はいかがでした」
若い娘が黒髪長髪を後ろで束ねた少年に語りかけると、アクセルと呼ばれた少年はもそもそと口を動かした。
すらりと伸びた長身で青いベストと白いコットンのズボンがよく似合う、洒落た格好の若者である。
背負った大剣はクレイモアソードだろうか。
二メートルはある大きな剣なので並大抵の騎士などには使いこなせない代物だった。
「海原はよかったよ。世界は広いってわかったんだ。みんなのいてくれるおかげだよ」
「何を申します、アクセル殿下のお父様が統治しておられるからですよ」
この会話でマーブルにもアクセルがこの国の王子であることが判明したわけだ。
アクセルの人柄をもう少し知ろうというのか、マーブルが耳を傾けていると、買い物を終えたトマスとシホがやってきた。
「ここにいた、マーブル。心配したんだよ。それよりこの騒ぎは何なの」
「あのアクセルという王子様が冒険からお帰りになったんだと」
三人は人だかりから少し離れ、遠目からアクセルのことを観察していた。
「ちょっとカッコイイんじゃない。アクセル様って」
シホは見たままの感想を言っただけなのだろうが、トマスはといえば、
「そうかね。ああいうのは、どこにでもいる」
いつもと変わらず無表情だが、口調は少々荒かったのでマーブルはトマスの些細な変化に気づき始めていた。
「すいません、アクセル様ってどんな人なんですか」
興味があるのかシホは、先ほどの店の主人に尋ねていた。
「アクセル様はご両親も立派な方でね。ノルウェーヴィーキングの末裔なのさ。まあ、ヴィーキング、つまり、ヴァイキングといっても昔の話で、今は政治が中心なんだよ。少しでも経済状況をよくするためにと、アクセル様は御自分で広い世の中を見聞し、この界隈の航路を他勢力から守っていらっしゃる。というわけだね」
「ふうん。偉いんですねえ」
「わしらの主だもの、当然さね」
主人は鼻息を荒くさせて店に引っ込んだ。
「そうとう興奮してるね、あれは。でもアクセル様って、顔もよくて実力もあって、しかも王子様なんて、三拍子どころか四拍子もそろってるなんてステキ」
「どうだか」
噴水の縁に腰掛けタバコをふかすトマス、トマスがタバコに火をつけた瞬間である、アクセルは何を思ったのか、群衆を避けてトマスとシホの前へやってきた。
そしてシホの手を握ると、唐突に宣言した。
「オレ、理想の女神に出会った。彼女と結婚する」
トマスは灰が落ちるのもかまわず、口をあんぐりと開いたまま呆けていた、が、しまいには火傷寸前でタバコを捨てた。
「おいおい、理想の女神って、ふざけてんのか」
トマスがアクセルに毒舌すると、アクセルはただシホを見つめ、
「ふざけてなどいない。大真面目だ。名をなんと言う」
「シホ、です」
「シホか。美しい名だ。やはりオレの妻にふさわしい。両親に会ってくれ、きっと幸せにするから」
アクセルはシホの返事も待たずに腕を引き、王宮へ駆け出そうとした。
だがトマスはそれを制した。
「待て、アクセル様、といったか。あんたはそれでいいかもしれないが、嬢ちゃんの気持ちはどうなる」
「えっ、シホの」
アクセルはシホの手を離し、トマスを振り返った。
「そうだよ。まったく、王子様ってやつは、みんなこうなのかね」
「シホちゃん、きみはどうなんだね」
それまで沈黙を守っていたマーブルがようやく口を開いた、その口調は何故か重々しかったが。
「たしかにアクセル様はカッコイイと思ったよ。でも会ったばかりだし、急に結婚ていわれても、正直困る。それに私は家に帰るっていう目的が」
「結婚してみないとわからないこともあるじゃないか、さっきも言ったけど、幸せにするから」
アクセルはそこまで言ってもなお、食い下がってくる。
「そんな安っぽいブーツよりも、高級な靴を買ってあげるし、服だって」
「安っぽいって言わないで」
シホの感情的な怒号に、アクセルは肩を大きく震わせた。
「気に入ってるの」
「アクセル殿下」
マーブルはフードを目深にかぶったままで話しかけた。
「お話したいことがあるのですが、よろしいですかな」
アクセルは頷き、マーブルと二人で食堂へ入ってしまった。
「さっきはどうして、あんなに怒ったりしたんだ。アクセル殿下の言うとおり、安物じゃないか」
トマスが穏やかに話しかけると、シホは、
「そんなことない。ただの安物なんかじゃない。大切にするって約束したでしょう、だから」
ほかにも何か、言いよどんでいるようにも聞こえた。
トマスはシホの言葉の意味を理解できたのか、それ以上何も言わず、シホを見守るかのようにして横に立ち、タバコをふかしていた。
食堂に入ったマーブルとアクセルは、適当な料理を注文すると、席に着いたマーブルは、自分の素性を明かすことに決めた様子でフードから耳をちらりとのぞかせる。
「人間じゃなかったのか」
「いいや、人間ですよ。今は正体を隠して放浪する身、マーブルと名乗っていますが、本当の名はアルベルト=マグナス、と申します。クレイモアを所持しているあなたならば、もしかしたらメタトロンを倒せるかも知れぬ、と踏んだのでこうしてお話しする所存と相成りましたわけで。ところで、船はお持ちですか」
「持ってるけど、それがなにか」
「じつは海原を越えたいのです。しかしこのへんの船は運賃が高いと知りました。もしよろしければ、あなたの船を拝借できないかと。あまり持ち合わせはないのですが、心ばかりの値段はお支払いしますゆえ」
アクセルは肩をすくめて返答した。
「そういうことかい。わかった、船は貸そう。そのかわり、オレの願いを聞いてくれないか」
「なんなりと」
アクセルはマーブルに耳打ちをする、その内容は。
第四話 ケストナー家の娘
「あ、戻ってきた」
トマスと噴水の縁に腰掛けていたシホは、店から出てきたアクセルとマーブルを見つけると、勢いよく手を振った。
「遅くなってすまない、アクセル殿下も一緒に旅をしてくれるそうにゃ。心強い仲間だろう」
とは、マーブル。
驚いたのはシホである。
「その相談してたわけ」
「まあにゃあ」
マーブルは小声でぼそり、と呟いた。
「まさか。アクセルさんが船を貸す代わりにオレも連れてけ、とか、いったんじゃないでしょうね」
「ぎく。な、なぜそれを。どこかで聞いていたのかッ」
「やっぱりね。そんなことだろうと思った」
トマスの表情を窺いながら、シホは尋ねる。
「どうしよう、マーブル、いえ、アルベルトの秘密も教えなくちゃいけなくなる」
「それなら、もうとっくに」