和尚さんの法話 「安楽死と後生」
仏教の本来はこういう病気のことじゃないですよね、病気というのは、第二の問題です。
第一は、解脱ですね、輪廻の解脱。
或いは、成仏。
これは死後の世界へ連続して行く問題ですね。それが第一です。
病気よりも健康なほうがいいんだし、貧乏よりもお金持ちのほうがいいだし、難産するよりも安産するほうがいいんだから、そういうことを祈ればそういう利益もあるということです。
これは迷信じゃないんです。
仏教は現当両益といいまして、当は、来世、死後の、ということですので、現世と来世の両方を説いてるわけです。
ですから現世利益はけっして迷信じゃないわけなんですが、現世利益でも初めから終わりまでというのでは、ちょっと物足りませんわね。
ま、兎に角お医者さんのご意見はと、聞いたら手術をしたほうがいいと、和尚さんはしないほうがいいと。
ところがお医者さんは100%ではないんだと、6割か7割の確立だけど、こういう場合は手術をしたほうが助かる例が多いとおっしゃる。
それは語主人が病気で、奥さんが来られての話しです。
和尚さんの寺の近くに、夢見地蔵というお地蔵さんがあるんですが、そのお地蔵さんは、困ったときにどうぞ夢でお告げを下さいといって、祈れば夢でお知らせ下さるというお地蔵さんなんです。
ご近所の方だったらいつもそのお地蔵さんを紹介するそうですが、その方は清水さんの下の方でした。
で、夢見地蔵さんでなければ夢のお告げをするんじゃないんですから。
たまたま夢見地蔵という名前が付いてるんですが、それは一番最初にご利益があったときに名前になってしまうんですね。
初めて安産のことをお願いして安産の利益を戴いた、するとそのお地蔵さんは安産地蔵と、そういうようなものであって、お医者さんの眼科とか、内科とかとかいうような専門的なものではない。
たまたまその名前になったというこというだけであって、眼のお地蔵さんだから耳は聞いてくれないのかと、そういうのではないんですよね。
ただ名前がそうなったというだけのことです。
ですから、その方は清水さんの下に住んでるというから、ここまで来るのが遠いから清水さんにも観音様がいらっしゃるし、滝にはお不動さんもいらっしゃるから、一週間くらい日を決めて、毎日お参りに行って、夢でどうぞお告げを下さいと、手術をしたほうがよろしいのか、しないほうがよろしいのかと、どうぞ夢でお知らせ下さいと、一所懸命にお願いしてみなさいといった。
其の方は、信仰ということをしたことがない。
皆さんが、あちこちへお参りするというけど、信仰はしたことがないというわけです。
まあ、信仰がなかってもいいですから、だめで元々なんですから、一度なさってみなさいと。
そしてその方は清水さんへお参りをしたんです。
夢は、そのお参りを実行した人が見ることが多いんですが、此の方の場合は、奥さんじゃなくてご主人が夢を見たんです。
そしてその夢は、どう判断したらよろしいですかと、相談に来た。
この夢の話しは、前回にもご紹介した話しになりますが、初めての方もいらっしゃると思いますので、紹介します。
櫓で漕ぐ舟がございますね、にさん人しか乗れない小さい舟ですね。
その舟にご夫婦が乗って、沖で揺れてるんですね。
その舟には櫓が無い。
だから波に任せてるより他はしょうがない。
ところがその舟は、波に揺られながら少しずつ海岸へ近付くんです。
その海岸を見たら小屋が一軒ある。
舟に揺られながらも其のご主人は身体がしんどいんですね。
早くあの海岸へ着いて、あの小屋で休みたいんだがなあと思ってた。
そうしましたら沖の方から大きな波が寄せてきたんです。
そして其の波に乗って舟は海岸へ上ったというんですが、ところがえらい勢いで上って、舟がひっくり返って渚へ投げ出されてしまったんです。
舟も小屋も壊れてしまったんです。
それで夢が覚めた。
と、いう夢の話しを聞かされて、和尚さんは、これはやっぱり手術はいかんというのではなかろうかなと。
舟に櫓が無いというのは、手段の方法が無いわけですね、然しながら舟が少しずつでも海岸に近付くということは、養生さえしていれば少しずつ治っていくということですね。
沖から大きな波が寄せるというのは、助かるという意味になってきて、この波は手術とちがいますかね、ところが結果が悪いですね、渚へ投げ出されて木っ端見陣になった。
手術をすれば結果はこうなるということで、手術をしなければ、少しずつでも暇はかかるけど治っていくと、こう判断しますね。
そしたら私は手術はしませんと言って奥さんが帰った。
そして後にその報告をいただいたんですけれども、お医者さんは手術はしたほうがいい、早いほうがいいと、こういう。
親戚の人が訪ねてきて、お医者さんはどう言ってるのかと聞くので、お医者さんは手術をしたほうがいいと。
それなら手術をしたらどうですかと、こうなる。
自分の方の親戚よりもご主人の方の親戚の立場というのを考えますわね、お医者さんが手術をしたほうがいいというのに、嫁さんがしませんと言って、助かればいいんですが、ご主人が死んだ場合に立場が無いですよね。
ですから初めはしないつもりだったんですけれども、そういうことになってきて自分の立場が無いと思ったんですね。
と、いうことは夢のお告げを信じきれなかったんですね。
何遍もそういうお告げを見た人なら信じたんでしょうけど、初めての人だったので信じられなかったんですね。
そして、手術をして結果は亡くなった。
そういうことがあったんです。
ですから今のお医者さんも名医といわれるお医者さんでも80%しか当たらん、20%の誤診があったという。
ですからこの人はもう助からんから安楽死してあげましょうかと、こういうことになってもですよ、助かるかも分からないんですよね。
ですので、一心不乱に祈れば苦痛も和らぐ。
例えば本人さんが意識不明になってしまうと、もう苦痛は分からない。
神仏というのは霊魂ですからね、霊魂というのは身体の中に自由自在に入ってくるでしょ、そして悪い所は治療できるんですよ。
『お地蔵様が治す』
一、
「復た次に観世音、若しくは未来、若しくは現在の諸の世界の中、衆生命終の時に臨んで地蔵菩薩の名を聞くことを得て一声耳根に歴る者是の諸の衆生、永らく三悪道の苦を歴ざらん。
如何に況や命終の時に臨んで父母眷属是の命終の舎宅、財物、衣服を以て地蔵の形像を塑画し、或いは病人の未だ終らざるの時、眼耳に見聞せしめ、眷属等舎宅等を以て病人の為に地蔵菩薩の形像を塑画すということを知らしめば是の人、若し是れ業報にして重病ならんも、斯の功徳を以て即ち除癒して寿命益せん。
若し復た業報にして命尽くれば応さに一切の罪障、業障有りて悪趣に堕すべき者ならんも、斯の功徳を承けて命終の後即ち人天に生じて勝妙の楽を受け、一切の罪障悉く皆消滅せん。」
― 地蔵菩薩本願経 ―
この地蔵本願経というお経の中に、観音様に対していっしゃる、観音様が現れてきて、そしてお釈迦様は、この地蔵はこうだぞ、こうだぞと言って、観音様にお説きになる。
作品名:和尚さんの法話 「安楽死と後生」 作家名:みわ