デンジャラス×プリンセス
「……人間はね。無意識に感情の動きが表情に出てしまうものなの。表情はみんな同じ筋肉で作られ、そこに大差はない。口ではそう言ってても、アナタは紛れもなくシャナンさんを愛している。そう思う根拠は、まだあるわ。離れ(ここ)に来る前のこと。アタシが「奥さんとシャナンさんが不倫をしてるかも」って言ったとき、アナタの表情には、驚きじゃなく、強い怒りの感情が先に出た。血の繋がっていない家族だとはいっても、普通そんなことを聞いたら、まず驚きが先にくるはず。でも、アナタは違った」
あの瞬間に彼女を支配したのは、強烈な怒りと憎しみが入り混じった感情だった。驚きが先にこなかった理由は他にもある。恐らく、彼女は以前から二人の関係性に疑いを持っていたのだ。それゆえに彼女に衝撃はなく、代わりに愛する人のスキャンダルを指摘され、抑えようもなくカッとなってしまったのだ。
「血縁関係にないとはいえ、アナタたちは家族同士。それでも、いつかはお互いに結ばれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのかもしれない」
そうやって、エリナさんはシャナンさんを密かに想い続けていた。
「そんななか、領主さんと村長さんによって、アナタの縁談話が持ち上がった」
村長さんの立場、この村の置かれている状況。聡明なエリナさんのことだ。すべてを理解し、大いに葛藤しただろう。一時は自分が犠牲になることで、すべてを丸く収めることも考えたかもしれない。
「そんなときにアナタは知ってしまった。愛するシャナンさんと、お義母さんが不倫関係にあるかもしれないという事実を」
そのことを知ったとき。当時の彼女はどれほどの衝撃を受け、そして傷ついたことだろう。
村を守るという名目で、好きでもない男との結婚を迫る村長さん。
自分の想いや悩みも顧みず、好き勝手な振る舞いをするツンデレ。
そして余所から嫁いできて、さらに愛する人を奪っていこうとする奥さん。
すべてが許せなかった。
だから、エリナさんは決断した。
自らの想いを最悪の形で裏切ったツンデレに裁きを与え、そして村長さんと奥さんが守ろうとしているこの村を、LOP協会の接収の名のもとに葬り去るという恐ろしい計画を。
小さく息を吐き、サーシャは口を閉じた。二人だけの空間に堅い沈黙が垂れ込める。どれくらい経っただろう。俯き加減のエリナさんが、その美しい顔を、ゆっくりと上げた。これまでとは打って変わり、儚げな眼差しで声を漏らす。
「……人間って、ホントに未熟な生き物よね。こうした方がいいと頭ではわかっていても、理性だけじゃ、どうにもならないんだから」
緩やかな嘆息とともに紡ぎだされた言葉は、どこか諦めにも似た響きを伴っていた。
「最初に、お父様から縁談の話を切り出されたときは、怒りよりも哀しみのほうが強かったわ。もちろん、結婚相手を勝手に決められるのは嫌だったけど、すごく申し訳なさそうに頭を下げるお父様を見てたら、それ以上、何も言うことができなくなっちゃって。それに、アタシも子供じゃないもの。お父様の置かれている立場くらいは理解してるしね」
現在のエリナさんの声には、先ほどまでの刺々しい威勢が殺がれているような印象がある。どちらかというと、普段接していたエリナさんのものと近い。
「当時は、村の人たちに「結婚決まったんだって。おめでとう」とか、いつも祝福の言葉を投げかけられていたっけ。でも、当然アタシは喜ぶ気になんかなれなかった。アンタたちはそれでいいかもしれないけど、アタシは何なのよ。好きでもない男と結婚させられて、それでどうやって幸せになれっていうのよ、って具合に。正直、表面上は穏やかに見えても、内心は不満でいっぱいだった」
美少女には似つかわしくない無骨な銃を手の中で弄びながら、エリナさんが続ける。
「それでも、当時のアタシはそれでいいと思ったの。アタシだって、権力者の娘ですもの。いつかは、そんなこともあるかと覚悟していたわ」
「でもね。一つだけ心残りがあったの」と、自嘲気味に表情を崩し、エリナさんが言葉を繋ぐ。
「アナタの言う通りよ。アタシは子供のころからずっとシャナンを想い続けていた。心から愛していたの。無理だと分かっていても、彼との慎ましやかな生活を夢見ていたこともあったわ。それが永遠に叶わなくなってしまうと知ったときの気持ちが、アナタには想像できる?」
それでも、あの人が笑ってくれさえすれば、それでよかった。
触れれば散ってしまいそうな繊細な眼差しで、彼女はそう告げる。
「彼のためだったら、アタシは何でもできる。覚悟なんて大げさなものじゃないけれど、シャナンとの大切な思い出を胸に、アタシは運命を受け入れることを決めたのよ。でも、そんなとき。偶然、知ってしまったの。シャナンと、お義母様……。いえ、あのアバズレが不倫関係にあるっていう事実をね」
清楚な顔立ちが憎々しく歪められる。
「それを知った時にね。すべてがバカらしくなっちゃったの。ああ、アタシの悩みや苦しみなんて誰も分かってくれないんだって。そうしたら、すべてがどうでもよくなっちゃって。大切にしていたはずの想いも、人間も、しがらみも。ぜーんぶ、嘘のように一瞬にして消え去って。最後に残されたのは、シンプルな願望。『アタシは生贄なんかになるもんか』」
純粋に育てられた愛も、裏切りという劇薬を与えられることで、いつしか黒ずんだ花へと変貌してしまったのだ。
「あとは、知っての通りよ。綿密な計画を練り上げ、この村ごとシャナンたちを破滅させようとした。LOP犯罪の村となれば結婚どころの話じゃないものね。ま、そのせいで、ちょこっと窮屈な生活になっちゃうけど、あの領主の息子(スケベオヤジ)と結婚するくらいならよっぽどマシだわ」
殊勝に沈んでいた唇を斜めに持ち上げ、いかにも悪人然とエリナさんが嘲笑する。
「……エリナさん。アナタ、本気なの? 本当に、心からそんなことを望んでいるの?」
サーシャの問いに、エリナさんが怪訝そうに眉を寄せる。
「……は? いまさら何を言ってるの? 当然じゃない。だから、こうやって苦労してライセンスを取ったり、臆病なモンスターを必死に手懐けたりして、計画を成功させたんじゃない」
「……アタシにはどうしても、この計画を絶対に成功させたいという、アナタの強い意思が感じられてこないのよ。魔導キーのトリック一つとっても、そう。あんなの、ちょっと知識を持っている人ならば、すぐに見破ってしまうはず」
それだけじゃない。この事件は一見、精緻に組み立てられた計画そうに見えて、その実、所々にぞんざいな部分が目についた。まるで、こちらを試してくるかのように。
「こう言っちゃなんだけど、アナタなら、もっと細部に至るまで完璧に仕上げることができたんじゃない?」
「……何が言いたいの?」
「エリナさん。アナタもしかして、すべてが終わったら自首するつもりだったんじゃないの?」
サーシャの指摘に、エリナさんの肩が微かな反応を見せた。そのリアクションは、当たらずとも遠からずといったところだろうか。しかし完全に肯定とは言い切れない。微妙な反応だ。
「自首? ふふ。そんな殊勝なコトをするくらいだったら、始めからこんな大それたことしてないわ」
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro