デンジャラス×プリンセス
兄ちゃんが警備を担当することになったのが、犯行日から数えて三日前。その間、彼は片時も、あの場を離れていない。睡眠も比較的安全と思われる日中に限定しており、その際も警備の人数を五人に増やしている念の入れようだ。
ティアラが宝物庫に保管されていたのは、犯行予告前日の段階で確認されている。それ以前に盗まれた可能性は皆無。
「うぅ……。犯人は、どーやってティアラを盗んだのよぅ。あー。わかんないぃー……」
喉奥で喘ぎながらヒマワリ色の髪を、メチャクチャに掻きまわす。連日の疲労にもかかわらず、枝毛一つ見当たらないキューティクルな指通りの自慢の髪も、今はイライラを抑える役目すら果たしてくれない。
ちなみにゼノの兄ちゃんだが、現在は大人しく村長の自宅で待機している。あれでも一応審判待ちの身であり、このままティアラが発見されなければ彼も責任を追及され、最悪、死罪もまのがれないだろう。
「いずれにしろ、このままじゃすべてが手遅れになっちゃう。早く何とかしないと……」
時間という枷が焦りとなり、柔軟な思考を阻害する。こういう時こそ平常心を保たなければならないのだが、それができない自分がひどくもどかしい。
「……兄ちゃんに見つからないで宝物庫のカギを開け、そこからティアラを盗むなんて芸当、どう考えても不可能だわ。そんなの人間業じゃないわよ……」
と、不意にそんなサーシャの考えを突き破る、ある可能性の種が生まれた。
いや、すべてを可能にする怪物が一人だけいる。
その名は『ジョーカー』。
かつて大陸最強を誇ったシルフィス城の警備網をいとも容易く突破し、最愛の母である女王を殺害した最大の敵。
もしかして、この事件は本当に『ジョーカー』の仕業なのだろうか。サーシャの心のなか。真っ暗に塗りつぶされた空間に、ぱっと斜めから注がれるライトの光を浴びた道化師の後ろ姿が浮かび上がる。ひどくゆっくりとした動作でこちらを振りかえり、煩悶するサーシャを嘲笑うかのように真っ赤に染まった唇が薄い笑みを形作られた。あの極悪非道の悪魔が、この小さな村の人々を惑わすために、こうしてこの地に降り立ったのだろうか──。
「あ〜。まーた、やられたわー」
幻影に翻弄されるサーシャの意識に、ふと届いた声。無意識に声の主を目で辿ると、そこには憤慨した様子で手に持った布団叩きを上下させるオバサンの姿があった。
「奥様。どうかなされたのですか?」
異変にいち早く察知したフェイルが、ウェスト周りを幸せ太りさせたオバサンに声をかける。
「ん? あら〜、イイ男ぉ! いや、お兄ちゃん聞いてくれるぅ? 最近、妙なモンスターがこの辺りに棲みついちゃったみたいでねェ。なんか……。なんとか……? 名前は忘れちゃったんだけど、そいつが民家をメチャクチャに荒らしていくのよー。ホントに困ったもんだわァ」
「モンスター、ですか。それは災難でしたね」
同情するようにフェイルが端正な眉を寄せる。
「でしょう? 何か聞くところによると、珍しいモンスターらしいんだけどさァ。少しの隙間から、するっと家のなかに侵入できちゃうらしいのよねェ。出かけるときは、ちゃんと戸締りするようにしてるんだけど、ほら。今は真夏でしょう? 少しでも窓を開けておかないと、熱くて家のなか蒸し風呂状態になっちゃうからさァ」
「侵入、ですか。それは性質が悪いですね」
「そうでしょぉー? ところでお兄ちゃん、確か村長のお客人だったわよねェ? 評判は聞いてたけど、近くで見るとますますイイ男だわー。ねェねェ? お兄ちゃん、彼女とかいるの? よかったら、今度オバサンと、おデートーしないー?」
きゃぴきゃぴと世間話に花を咲かせる二人。そんな彼女たちを前に、サーシャは小さく嘆息した。まったく、もう。人の気も知らずに、いい気なもんだ。げはげはと爆笑を炸裂させる二人から顔を反らし、くるくると肩口の毛先を弄びながら、事件解決の突破口を探るべく思考を回転させる。
そもそもこの事件の犯人像として、まずツンデレに深い恨みを抱いている人物が浮かび上がる。それは、これまでの事件の経緯を見ても明らかだ。
その点から考えると、犯人は動機が存在する村長か奥さんに絞られる。エリナさんに関しては今回の事件の依頼者であるわけだし、何よりあれだけ献身的にツンデレのために働いているのだ。そこに嘘や虚偽の香りがあればすぐに気づくが、そんな様子はこれまで一度もなかった。
エリナさんはツンデレを深く愛している。それは疑いようもない事実。嫌いになったのならともかく、現在も愛している人を破滅に追い込むようなことをする人間が果たしているだろうか。少なくともサーシャの知る限り存在しない。だから、除外。
続いて、今回の事件によって犯人が得るメリットについて考えてみる。犯人の主とした目的がツンデレを抹殺することだと仮定して、果たして今回のように村中を巻き込む大事件にまで発展させる必要があったのだろうか。
ツンデレが罪人として裁かれるには、大前提としてティアラが消失したという事実が必要だ。そのためには必然的に村の外部の人間、つまりLOP調査団に事実を掌握されなければならなくなり、そうなってしまえば容疑者である村長一家も管理責任を問われ、村人ともども厳しいペナルティを課せられることになってしまう。
そう考えると、一連の事件は犯人にとっても、およそ割にあわないことなのではないか。犯人の目的がツンデレを抹殺するだけなのだとしたら、もっとうまいやり方があったはず。
そういう意味では、この事件によって目に見えるメリットを得た人間というのは存在しない。それは犯人も承知のうえなのかもしれないが、それにしたってあまりにも不利益が多すぎる。
一番得をした人間が犯人だという定石が当てはまらない不可解極まりない事件。その動機はおろか、犯行手口に至っては解明の糸口すら見当たらない。タイムリミットは刻々と迫っている。明日の早朝には調査団が訪れるため、少なくとも今日中には事件を完全収束させなければならないだろう。
ともすれば「うがぁー!」と発狂しそうになってしまうが、そこはぐっとガマン。厳しい状況だからこそ冷静さを失ってはダメなのだ。とは言いつも、心がざわついてしまうのは無理からぬこと。表情からも自然と余裕が消えてしまう。
「そうなのよぉ。それで結婚指輪が無くなっちゃってねェ。それから、もう亭主がうるさくて……。モンスターのせいだって説明してるのに「街で換金してきたんだろ」とかなんとか、男のくせにギャアギャアと……」
集中しようと気張っている時ほど余計な情報が入ってくるものなのだろう。焦燥で火照った意識に、フェイルたちの会話が流れ込んでくる。どうやら、先ほどの話の続きで盛り上がっているらしい。
「なるほど。確かに近頃は一昔前とは違い、行動領域を広げるモンスターが増えてきていますからね。それに、先日までの『紫月(パーピュア・ムーン)』の影響もあるでしょう。天空からの神聖な魔力波を受け、能力を活性・活発化させたモンスターが縄張りの外に多く出てきていると推測されます。明けた現在も、一週間ほどはきちんと戸締りをしておいた方がよいでしょうね」
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro