デンジャラス×プリンセス
今のジャムカを屈服させることなど、フェイルにとっては造作もないことだ。しかし、それでは、この問題の根本的な解決にならない。これは兄ちゃんが乗り越えなくてはならない大きな壁。それをちゃんと理解しているからこそ、フェイルはその機会をお膳立てをしようというのだろう。しかしだからといって、あの男を見逃す義理などサーシャたちには微塵もない。
そんなことは百も承知とばかりに、フェイルが、ぴっと人差し指を突き立てる。
「何をおっしゃいます。極めてフェアな提案ではないですか。勝ったものが生き残る。実に動物的で、シンプルな手法です。一方は、満身創痍の現役バリバリの暗殺者様。片やもう一方は、臆病風に吹かれた警備ギルド期待の守護者(ガーディアン)。なかなか見ごたえのある勝負ではありませんか?」
「そうでしょう?」と、薄ら笑いを浮かべるジャムカに、フェイルが小首を傾げてみせる。
「へっへっへ……。兄ちゃん、アンタ見かけどおりのゴキゲンな男みたいだな。あのヤローを見捨てる気かよ」
ちろちろと真っ赤な舌を左右に振り動かしながら、ジャムカが地面に転がる自らの得物を見やった。直後、柄の部分を、すくいあげるようにして蹴りあげる。鋭く情報に飛んできた柄を胸の前で見事にキャッチ。凶悪な曲線を描くシミターを残された左手で掲げ、愉悦交じりに舌舐めずりをする。
「何をおっしゃいますか。仮にも、あの方の本業はガーディアン(守護者)ですよ。自分の命くらい自分で守れなくてどうします。それに、私にとって最も大事なことは、姫様をお守りすることに他なりません。可憐な女性ならいざ知らず、むさ苦しい野郎のことなど知ったことではありませんね」
「ちょっと! フェイルってば!」
強い眼差しで見上げるサーシャに、フェイルが静かに頷きかけてくる。僅かな波紋の揺らぎすら浮かぶことのない。フェイルのそんな凛とした瞳に、サーシャはそれ以上、何も言えなくなってしまう。
つかの間そうしてお互いを見合い、やがてサーシャは諦めとともに短い溜め息を吐いた。
「……兄ちゃん。話は理解したわね。そういうことよ。あいつは生き残るために、全力で兄ちゃんに向かってくるわ。死にたくなかったら闘いなさい。そして、勝つのよ」
「……た、たたかえって……。だって……。オレが……あいつに勝てるわけ……」
堅く引きつった笑みを浮かべながら、ゼノが臆病にも首を振る。今の兄ちゃんの相手は、決してジャムカだけじゃはない。仮に今ここで背を向けてしまえば、兄ちゃんはもう二度とあいつには勝てないだろう。
人生において絶対に逃げてはいけない瞬間が誰にもある。兄ちゃんは、今がそのときだ。
「お、オレは……。オレは……」
「へっへェ! ラッキーだぜェい! こんな展開になるたァ! やっぱり、あの時にお前を生かしておいて正解だったよぅーだなァあァあァッ!」
あの時、という言葉に、ゼノの目元が、ぴくっと反応した。深くうつむき、ぎりぎりと奥歯を噛みしめ──しかし、ダメだ。すぐさま情けない表情に転じ、緩んだ歯の隙間から掠れた声を押し漏らす。
「い、イヤだ……ッ! 助けて……。命だけは……。誰か、助けてくれェ……」
一方の暗殺者は準備万端。全身から、うっすらと真紅の闘気を立ち昇らせ、怯える獲物を真っ直ぐ瞳に捉えている。
無論、兄ちゃんが決意するのを待ってくれるほど甘くはない。
「へっへっへェッ! じゃあなァ! ゼノおぉおぉお! パティちゃんと、仲良くあの世で暮らしなよぉおぉおああかおこふぁんはいおんらいあえッ%2@##99>?!!ッ!」
解読不能な咆哮とともに、ジャムカがシミタ―の切っ先を天高く突き上げた。次の瞬間、その延長線上の遥か上空の夜空に、黒紫に明滅するぶ厚い雲が怒涛のごとく押し寄せてくる。うっすらと注がれていた月明りは完全に掻き消され、周辺にはごうごうと不穏な雷鳴が轟きはじめた。
あれは! 『第五天・雷迅絶天翔(だいごてん・らいじんぜってんしょう)』! あの男。まだあんな魔力を隠し持っていたのか。
「もはや満身創痍といったジャムカ氏は、全魔導を総動員し、一気に勝負を決めることを選択したのでしょう。そして、その判断は正しい。現状でのゼノ様に、あれを防ぐ手立てはありません。いずれにしろ、勝負は一瞬。先に一撃を決めた方の勝ちでしょう」
激しい雷鳴が交錯するなか、冷静にフェイルが戦況を分析する。その言葉が意味する通り、先手必勝を仕掛けていったのはジャムカだった。戦意を喪失し、ほとんど無抵抗に等しいゼノに対し、自身のすべての魔力を注ぎこんだ渾身の魔力を解き放つ。
「うるァるるるェるっるうァあァあァあァアあァあァアッっッ!」
術者の絶叫に呼応するように、天空から轟音とともに一筋の雷が降り注いだ。じぐざぐの軌跡を描きながらシミタ―の先端へ激突し、爆発めいた光が炸裂する。目にしみるような閃光が収まった後、そこにはバチバチと激しくスパークする電撃を纏った曲刀が誕生していた。
「ふへっへっ! へっへっへっ! ひゃァっ! ひゃあっ! ひゃあっ! ひゃァああやァあァァあァァあァッ!」
魔力によって雷刀と化した暗殺者の得物が、地を引き裂くような唸りを乗せて眼前の標的に据えられる。
「あ……あ……あ……っ」
ガチガチと歯の根を噛ち合わせ、ゼノが一歩、また一歩と退いていく。その様子からは、すでに戦意の欠片すら見てとることはできない。そんな彼の視線の奥で、銃口のごとく狙いを定められた雷刀の尖端から黒紫色の雷球が生まれ、見る間に膨張しはじめていく。右目と右手を失ったことによる影響からか、どうやらジャムカは接近戦を避け、より確実な遠距離からの砲撃を選んだようだった。通常、魔導チャージにここまでの時間をかけるケースも、ほとんどない。
つまり、この一撃で確実に兄ちゃんを仕留める気だ。
「兄ちゃん! アンタそれでいいの! こんなトコで、こんなヤローに負けて……。本当に、それでいいのッ?」
サーシャの口から思わず声が飛び出す。はっとしてこちらを振り返るゼノに、更なる言葉を投げつける。
「弱いままよ! このままじゃ、アンタは、ずっと弱いまま! そんなんで天国の妹さんに会うつもり? 大切なものを奪われたまま何もせずに殺されて! それで、どんな顔して会うっていうのよっ?」
臆病に細められていたゼノの瞳が、弾かれたように大きく見開かれた。その薄く開かれた唇から喘ぐような吐息が零れる。
「死ぬことなんて、いつだってできるじゃない! でも、生きてるうちにしかできないことだって、この世にはあるんだから!」
「お、おチビちゃん……」
「アンタは、一体何に怯えているのよッ! あいつには勝てない? 結構じゃないっ! だったら、勝つまで何度でも戦い続けなさいよ! それもしないで、逃げる理由ばっか捜してんなッ!」
兄ちゃんに叫ぶ一方で、なんでアタシはこんなに熱くなってるんだろうと、冷静に思いを過らせる自分がいることにサーシャはふと気づく。この抑えきれない感情は、一体どこからくるのだろう。自分自身で不思議に思いながらも、サーシャは心の赴くままに続ける。
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro