デンジャラス×プリンセス
状況も忘れて叫ぶサーシャに、フェイルはメガネの奥の瞳を神妙に細め、説明した。
「よくぞ聞いてくださいました。……あの後、宿屋で打ちひしがれていた私は、とある男性客と知り合いました。聞けば、そのお方。都市部のバーで働く「マロンちゃん」なる、ご婦人に相当入れこんでいた、ご様子。しかしある日、彼女が『中年の、いかにも金を持ってそうな小太りのオッサン』と腕を組み、夜の宿屋街に消えていく現場を偶然にも目撃してしまったそうなのです……。
同じ傷を背負った者同士。私たちは、すぐに意気投合しました。二人で盃を交わし、お互いの主張をぶつけ合う。傷ついた戦士たちの、つかの間の安らぎの訪れです。お酒も、どんどん進みます。その後、ふらふらの体で宿に戻った私は、そのまま二日酔いでダウン。夕方近くにようやく回復し、その後、私は静かに瞑想をはじめました。今の自分に足りないものはなにか。なぜ私は彼女との『聖戦(ベッド・イン)』を拒絶されたのか。それらの解を模索し、そして己の弱さを乗り越える境地に到達するべく、私は悟りを開くことを決心したので──」
もう限界だった。すべての力を籠めた一撃(その名も『デストロイ・アッパー』)で、この真正ダメ男をメガネごと粉砕する。「あばぽよーん!」と奇怪な悲鳴を吐きだし、その後、上空五メートルから一直線に地面に激突するダメダメマン。体力さえ残っていれば、こんな空気を読まないボケなどさせなかったのに。ああ。自分が情けない。
「お前なんか知るかっ! 死ね! ミステリーで一番初めに殺されるヤツより先に死ねっ! 死んでしまえっ!」
ありったけの力で罵声を浴びせるサーシャに、フェイルが涙目になりながら抗議。
「め、メガネ男子からメガネを取り上げた挙句、あろうことか第一被害者より先に死ねとは……。姫様。それは、あまりにも酷──」
刹那、緩みきったフェイルの目元が鋭く引きしめられた。ぶんっと残像を生みだす速度で憤慨するサーシャをさらうように抱きかかえると、その場を天高く離脱。間髪入れずに、つい今しがたサーシャたちが立っていた位置に断続的な爆発音が轟いた。十メートル四方ほどの巨大な孔が、霧の谷の地面に深々と穿たれる。
「……『第四地・厳斬咆哮陣(だいよじ・げきざんほうこうじん)』ですか。そんな状態で、まだそんな魔力が残っていたとは。さすがと褒めておきましょう」
微震動すら感じさせることなく、ふわりと片足から着地し、フェイルが術者に低い美声を送る。目線の先では満身創痍の暗殺者が獣めいた唸りを交え、こちらを睨み据えていた。
「っ……! て、てんめェ……っ! オレの黄金の右手を、よくもォ……」
右目に続き、右手首から先まで失った不運な殺し屋が、猛獣のように喘ぎながら、憤る。
「オレの黄金の右腕……? ふむ。姫様に振りかかる火の粉を振り払うのが、私に課せられた役目なのですが……いや、そうでしたか。アナタ様の大切な黄金の右手とは露知らず、それは大変失礼を致しました。私には、ボロクズ同然のゴミくずが姫様に飛んできたように見えたものでして」
「くっ……! てめェッ! ナニモンだァッ!」
皮肉たっぷりに謝罪するフェイルに、ジャムカの激怒の炎が一層燃え盛る。
「アナタ様に名乗るほどの者ではありませんよ。まあ、どうしても呼びたければ『氷の騎士(ダス・アイス・リッター)』。または『喪失の子供・F(ロスト・チャイルド・エフ)』とでも、お呼びくださ……」
言葉半ばで、ずがんと股の間に蹴りをブチ込んでやる。声なき悲鳴を漏らして悶絶に暮れる『エロ思春期野郎(エロスト・チャイルド)』に、この場を預かるものとして一喝。
「フェイル! アンタふざけてないで、とっとと、このバカを何とかなさい! アンタが登場してから、せっかくの緊張感が台無しになっちゃったじゃない!」
いついかなる状況でも、こいつは自分のスタイルを崩すことは決してない。いい意味でも悪い意味でも(ほぼ悪いことばっかだけど)マイペースなのだ。おかげで、この男と一緒にいて、場が締まった試しが一度もない。
げしげしと足蹴りするサーシャとその下僕を奇妙そうに眺め、ふと何かに思い立ったようにジャムカの眉が中央に寄せられる。
「フェイル……? ……長身のメガネ男に、チビ女(ガキ)のコンビ……。ま、まさか。てめェら……」
「そ、そこまでです。今は……私たちの素性など、栓無きこと……」
足下を盛大に揺らし、両手で股間を押さえた元騎士がそう告げる。あの様子だと、どうやらこちらの正体に少なからず心当たりがあるようだ。しかし、今売出し中の暗殺者がビビるほどの相手とはとてもじゃないが思えない。とんでもない、へっぴり腰。最低だ。
「さ、さあ、姫様。もう、この場には用はありません。村へ戻りましょう。すぐに特製美味しい紅茶を用意しますゆえ」
「……な? ど、どういうことだ、てめェッ!」
さも当然のように、フェイルが眼前の敵に背を向ける。その行動にさすがのジャムカも、動揺を隠しきれないようだ。しかしサーシャだけは、そんなフェイルの真意をそれとなく察していた。腐れ縁とはいえ、このメガネとは長い付き合いになる。今何を考えているのかくらい、大体分かってしまうのだ。
はたして、フェイルの薄い唇から穏やかな低い美声が紡がれた。
「正直、アナタを斬ることなど、【結婚に焦った独身アラフォー女性を口説くこと】くらい、私にとっては容易なこと。しかし、それでは何の解決にもなりません。だからと言ってアナタのような小悪党を見逃したとあっては、頭に元がつくとは言え、栄えある『ロード・ナイト』の名が廃るというもの。……ですから、どうでしょう。ここは取引をしませんか?」
「取引……だァ?」
「そう。この闘いは、アナタのものです。そうでしょう? ゼノ様」
にこりと微笑み、フェイルが自らの愛剣を無造作に放りなげた。コバルトブルーの美しい彫刻の施された剣が、空中に美しい放物線を刻み、この場から遠ざかろうとしていたゼノの真横に音を立てて突き刺さる。どうやら、この機に乗じて逃げ出そうとしていたようだ。びくりと半身で振りかえった兄ちゃんが、捨て猫のように怯えきった表情で剣、続いてフェイルへと視線を向ける。
そんなゼノに、にこやかな笑みを送り、フェイルが今度はジャムカに瞳を動かす。
「さあ。これからアナタにチャンスを与えましょう。今ここで、ゼノ様と一対一の私闘(バトル)をなさってください。見事、勝利すれば、アナタの命は保証します。どこへなりとも、お好きなところへどうぞいってらっしゃいませ」
ある程度の予想はしていたこととは言え、フェイルのその提案には、さすがのサーシャも異を唱えざるをえない。
「ちょっと、フェイル。アンタのことだから、そんなことだろうと思ってたけど。でも、さすがにそれはないんじゃないの?」
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro