デンジャラス×プリンセス
「て、てめェ……ッ! くそおッ! なんにも見えねェええええ! どこにいやがるうぅううう!」
「ふふ……。油断したわね。(運勢)最凶の暗殺者さん」
見当違いの方向を向いて叫ぶジャムカに、サーシャは微笑み混じりに告げる。
「何が起きたのか教えてあげようか? このペンダントは『浄化の装飾具』って言ってね。相手の攻撃的意思を含んだ魔力を無効化、吸収し、さらにそれらを純魔力として蓄えることができるスペシャルなアイテムなの。アタシに悪意のある魔導は通じない。アンタの幻魔も吸収し、善なる魔力へと変換させてもらったわ」
魔力にも陰と陽があり、他人を害しよとする意思を放てば、そこには必ず陰が生じてしまう。あらかじめ魔導が封じ込められた魔導道具まではガードできないが、『幻魔』などという他人を侵害しようとする意志の塊のような魔導がサーシャに効くはずもない。
「んだとぉおおおおぉッ! じゃ、じゃあ、さっきまでのテメェは……」
「あは。そ。すべて演技よん。騙されちゃったァ? 気をつけて。女の子は、みんな女優なのん(はあと)。ちなみに、今のは『第三天・光射手の矢(サジタリアス・アロー)』よ。参考までにぃ」
ぱちりと片目を閉じて解説を締めくくる。
「くッ! 浄化の装飾具だとぉ……? そんなモン、ブラックマーケットでも聞いたことがねェ……? て、てめェッ! まさか、そいつァ……」
「兄ちゃんッ! 今よ! 早く、こいつにトドメを……」
驚愕するジャムカから兄ちゃんへ振り返った瞬間だった。
「だ、ダメだ……。勝てない。助けて……。誰か助けてェ……」
「……兄ちゃん」
まるで幼児のように地面に這いつくばってこの場を遠ざかっていこうとするゼノを、サーシャは、つかの間、呆然として見つめることしかできなかった。
結果、やっと手に入れた決定的な勝機が、手のひらに舞い降りた一片の雪のごとく儚くも失われる。
内臓を貫くような衝撃がサーシャの横腹を強襲した。思考を巡らす間もなく、サーシャの小さな体が薄霧の揺れる宙へと吹き飛ばされる。つかの間の硬直時間を経過し、直後に重力によって暴力的に地面へ激突。全身に纏わりついた慣性に振り回され、暴風に巻き込まれた紙風船のようにサーシャの小さな体が激しく翻弄される。
「……驚いたぜェ。まさか今回のターゲットが、LOP持ちのお嬢さんだったァなァ……」
握りしめるように押さえつけられた右目から、ぽたぽたと鮮血を滴らせ、ジャムカが歪んだ笑みを口元に刻む。と、痛みが襲ってきたのか一瞬だけ表情が悲痛に崩された。しかしそれも長くは続かず、舌打ちしざまにツバを吐き捨てると、すぐに邪悪な顔つきが戻ってくる。
「てめェ。一体ナニモンだァ? 『第七天』だけでもタダモノじゃねェのに、よりによってLOPだとォ? お前みたいなガキが、何でそんな大層なブツ持ってやがんだよ。……と。まあ、ンなこたァ、今はどうでもいいかァ」
目の前の戦闘に直接関係のないことは即排除。戦士としての最適化された思考展開は、まさに強者の証。
早々の自己完結を終わらせ、ジャムカが無造作に顔から手を引き離した。痛々しく閉じられた右目で、しかしなおも表情に不気味な笑みを浮かべる暗殺者が、サーシャへ一歩ずつ足を進める。右へ左へと不安定に体を揺らしながらも、全身から立ち昇る燃えるような闘気は一切衰えることはない。
「消すぜェ。さすがにもう切り札はねェとは思うが、これ以上、隠し玉持ってたら、たまったもんじゃねェからなァ」
先ほどの『第三天』は、ジャムカが放った『幻魔』をペンダント内に吸収し、純魔力として還元・応用利用して発動したものだ。その際、ペンダント内の魔力を発動するには、少なからずサーシャ自身の魔力も必要となり、先ほどの一撃によって、そのなけなしの魔力も完全に底をついてしまった。
くどいようだが、魔力の源は、精神力だ。限りなくそれが0に近いなか、今のサーシャには、唯一自由に扱える意志力で倒れないように足元を固めるのがやっとだった。
「バカだな、てめェ……。あの一撃でオレを殺(や)れたのによォ。甘いこと考えてるから、こうなっちまうんだぜェ……」
先ほどの光景の再現か。サーシャの眼前で、暗殺者のシミタ―が一直線に振り上げられた。どうやら今度は首を飛ばすわけではなく頭蓋から一気に両断するつもりらしい。
「その甘さが命取りになるんだァ。お前は、オレをマジで怒らせた。もう容赦はしねェ。油断もしねェ。お前を女子供だとも思わねェ」
月夜に冷たく輝きを滑らせるシミタ―の切っ先同様、残されたジャムカの片目がギラリと凶暴な光を過らせる。わずかながらもこの男にあった理性のタガは、すでに欠片も存在しなかった。最凶の暗殺者が示す通り、出会うものすべてに災厄を振りまく悪魔と化す。
「恨むなら、そこで這いつくばってる腰抜け(バカ)を恨むんだなァ。……じゃ、そういうわけだァ。嬢ちゃん。あの世で楽しく暮らせよォおォおおおおおおおおおおッ!」
握った柄に、ひと際強く力が籠められ、殺意の刃が苛烈に振り落される。
その光景を、今のサーシャには、ただ黙って見上げることしかできなかった。
ちくしょう……っ!
まだ『ジョーカー』を……。お母様の仇をとっていないのに……。
こんなところで終わっちゃうなんて……っ!
──お母様っ!
容赦なく襲いかかる死神の刃に、サーシャが成すすべもなく瞳を閉ざした──その瞬間だった。
突然、戦場に一陣の突風が駆け抜け、サーシャの髪を大きく巻い上がらせた。次いで、ジャムカの凄まじい絶叫が天に迸る。
何が起きたのかと上向けた瞳に──右腕から大量の鮮血を噴出させ、絶叫を振りまくジャムカの姿が、まず映った。状況を理解しようと目を凝らすと、シミタ―を所持していたはずの右手首から先が失われていることに気がつく。そして、そんなサーシャの、すぐ前方。ジャムカの腰ほどまでしかない小さな体を守護するように、静かに、しかし圧倒的な威厳を湛えて立ちはだかる長身の背中。
「遅れて申し訳ございません。姫様」
蒼い軽鎧を軽やかに翻し、惚れ惚れするような流麗な動作で、その場に跪く。
端正な細面にメガネをかけた、元シルフィス城・最強の騎士。
「ふぇ、フェイル……」
「はい。呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンで、ございます」
往年の相棒が、真っ白な歯を見せ、微笑む。この状況を見れば、一目瞭然。サーシャのピンチに、今度こそフェイルが駆けつけてくれたのだ。
有事の際でも、その物腰は一切変わらない。優雅に、そして穏やかに振る舞うフェイルを前に、サーシャはうっすらと涙が滲んだ目元を拭い、それから感動の再会を果たすべく、ちょうど膝下の位置にあるフェイルの顔面を──問答無用で思い切り蹴り飛ばしてやった!
「いだいっ! い、いきなり、何をなさるのですか!」
カエルのように地面にみっともなく引っくり返ったメガネ野郎に、サーシャは怒鳴り声を炸裂させる。
「はあ? 何をなさるのですか! じゃないわよ! こんな土壇場で、しかもいきなり現れやがってっ! つーか、アンタ今の今までドコでなにしてたのよ!」
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro