デンジャラス×プリンセス
「……あはァ! ……ゼーノちゃんよォ。なーんでオレが、あの時てめェをぶっ殺さなかったか分かるかァ? ……それはなァ。お前に教えてやるためだよぉ? 生きるよりも辛い、死を超越した苦しみ、ってやつをなァ……」
なおも身を起こそうとする兄ちゃんをジャムカが無造作に蹴り飛ばす。またしても地に返り討ちにされた兄ちゃんを傲然と眺め、ジャムカがお得意の甲高い哄笑を撒き散らした。
「ひゃはひゃはっ! でも、お前は正しいよぉ! あのときも、そうだったなァ! オレには勝てないと悟るや、しっぽを巻いて逃げ出したんだからよぉ! くっくっ! しかし、そんなお前が今では立派な守護者(ガーディアン)たァなァ! そのコトを知った時はマジで驚いたぜェ! てめェのことしか考えねェ臆病者が、まさか人様を守る仕事に就くとはなァ! まったく笑わせてくれるぜェい!」
壊れた奇声を放ちながら、ジャムカがシミタ―をメチャクチャに空に振りまわす。その次の瞬間、黒衣の暗殺者が断続的に激しい咳を吐き散らした。苦しげに歪められた唇から、幾筋もの流血が滴り落ちる。「くそっ!」と口元を拭いながら悪態をつくと、ジャムカは血の塊を含んだツバを地上に吐き飛ばした。
「いいかげんにしなさいよ、アンタ」
そんな彼を瞳に見据え、サーシャは静かに告げた。
「……んぁ?」
「確かに、アンタの言うことは正しいわ。アンタらみたいな悪党は、人が人であるかぎり、未来永劫いなくならないでしょうね」
「でもね」と続け、ふるふると揺れる右手のナイフを眼前の暗殺者に向かって突き出す。
「それでもこっちは、アンタらみたいなクズをこの世にのさばらせておくほどお人よしでもないし、人間に絶望もしてないのよ」
魔力も体力も、ほとんどこの体には残っていない。それでも信念という闘気を全身に漲らせるサーシャに、おどけた調子でジャムカが返答する。
「へェ……。だったらどうするってんだい? お嬢ちゃーんっ?」
「兄ちゃん、いいの? アンタがこのヤローをブチのめさないってんなら、アタシが代わりに、こいつを殺(や)っちゃうわ……?」
視線を横に流し、サーシャは怪訝に眉を寄せた。視界に映ったゼノの姿が思いもよらないものだったからだ。
「う……く……。あ……っ」
兄ちゃんの顔からは先ほどまであった怒りの感情が綺麗に霧散していた。代わりに黒い絶望と恐怖で塗りつぶされたような、そんな今にも泣き出しそうな表情に豹変している。
「うぅ……ダメだ……。やっぱり……ダメなんだ。オレはあいつに……勝てない……っ!」
「……? 兄ちゃん……?」
予期せぬ事態に、眼前の敵から意識を反らしてしまったのが最大の過ちだった。
「ひゃはあァッ!」
硬直した意識を強襲する鋭い奇声に、反射的にサーシャが振り返った瞬間。見えない何かがサーシャの胸元付近で盛大に弾け飛んだ。何が起こったのか判断する余裕すらない。気がついたときには、まるでそこだけ時が止まってしまったように四肢の自由が一切利かなくなる。
「くっ? な……に……?」
穴の開いた風船から空気が漏れていくかのように、急速に全身の力が失われていく。すぐに体を支えることが困難になり、落ちた片膝からサーシャは地面へ吸い込まれていった。地に倒れた衝撃すらも感じない。首から上はまだ何とか機能が残っているようだが、それ以外はまるで人形にでも取って替わられてしまったかのように、指先一ミリ動かせない。
「ひいやァッ! 油断したなァ? 嬢ちゃーんッ! これがオレの奥の手! 魔導道具(マジックアイテム)! その名も『緊縛運命(きんばく・デスティネーション)』だァ!」
こちらに向かって腕を勢いよく差し出した状態で、ジャムカが高笑いを弾けさせる。よくよく目を凝らすと、その指先からは半透明に輝く糸状の細い物体が伸びており、サーシャの身体を絡め取るように巻きついていた。
「その名の通り、こいつは行動不能系のアイテムでなァ。この魔糸に触れた部位の自由を強制的に奪っちまうシロモンなのさァ。ちなみに闇市場(ブラックマーケット)でしか売られていないレアもんでェーすッ! ふへへェっ! ずっとこのチャンスを狙ってたのさァ! オレだって、なにも考えなしに余裕ぶっこいてたわけじゃないんだぜェ」
勝ち誇るジャムカに、サーシャは「しまった」と内心で毒づく。完全に油断していた。あいつはサーシャにこのアイテムをヒットさせる機会を、ずっと狙っていたのだ。
と、そこで更なる異変に気づく。
「な、に……? この……甘ったるい、匂い……」
「ふへへェ! 気がついたかァ? こっちはインスタントのお手軽アイテムたァ違い、正真正銘の魔導ッ! その名も『魔香の誘惑(ミルキー・デモン・ペイン)』だァ! ふへへェっ! しかもこいつァ、そこらへんの魔導とは、ちょいと違うぜェ。あまりにもヤバすぎて魔導協会に禁術指定された『幻魔(げんま)』の一種なのさァ!」
「……な、ん……です……って?」
禁術とは、黒時代より受け継がれている罪深き魔導の総称のことだ。一口に禁術とは言っても、そこには大小様々な魔導カテゴリーが存在し、『幻魔』もそのなかの一つに数えられる。その多くは非人道的かつ破壊的なもので、現在では系統・術式など、すべての情報が魔導教会によって厳重に監理、または封印されていた。しかしそれでも、この男のように自らの私欲を肥やすため、その禁を破り、また新たに開発をしてしまうような輩も少なからず存在している。一説には禁術を専門に扱う闇ギルドもあるらしい。
「ふひゃッ! 禁術は莫大な力を得られる代わりに、発動には条件が設定されていてよぉ。ちなみに『幻魔』(こいつ)の発動条件は『オレが死にかかっていること』さァッ! くくッ! この『魔香の誘惑(』を十分ほど吸い込めば、もうそいつは最後ッ! 初めは天にも昇るような多幸感! お次は地獄に叩き落とされるような鬱症状の嵐ッ! そうやって激しい幻覚症状に翻弄され、この世の天国と地獄を味わった挙句に死に至るのさァッ!」
黄ばんだ歯を剥き出しにし、ジャムカが更に絶叫を捲し立てる。
「その有様と言ったら、もうヒデェもんだぜェッ! 身体じゅうの穴からは、汁という汁がドッパドパッ! 脳細胞はメチャクチャに破壊され、ヨダレやらションベン塗れになりながら、みるみる痩せ細っていっちまうッ! そうなったら、もう人間ですらなくなっちまうなァー! つまーりぃ! オレが何もしなくても、嬢ちゃんたちは地獄行きが決定してるってわけさァ! ……でーも、それじゃァ、面白くもなんともねェよなァ?」
ぐりんぐりんとサーシャとゼノに交互に首を巡らし、ジャムカが底冷えのするような邪悪な笑みを形作る。
「ふへへェっ! 嬢ちゃんはイイ感じに狂い始めてきたら相手してやるとして……。ゼノォ! まずはテメェとの腐れ縁を、今ここで完全に断ち切ってやるぜェあァ!」
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro