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デンジャラス×プリンセス

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 遠い過去に押し込んだはずの記憶が、強制的に脳裏に呼び起こされる。
 
(……あ、ああっ! お、おかあさんっ……? おかあさぁんっ!)
(さ、サーシャ……。サー……シャ……)
 
 母の心臓を貫く漆黒の大剣。そして、それを無感動に引き抜く仮面の男。 
 空中アートのように華々しく舞い散る鮮血。
 何人たりとも犯すことができない。この世で最も尊いものが儚くも奪われた瞬間。
 
 それは幼いサーシャの目の前で、繰り広げられる惨劇の記憶。
 
 ……ジョー……カー……ッ!

 瞬間、二つの『ジョーカー』の姿が、眼前で、ぴたりと重なった。同時に、危ういバランスでサーシャを維持していた境界線が、直後に音を立てて破壊される。
『ジョーカー』以外の、すべての景色が一瞬にして蒸発する。
 もはや、理性ではどうにもならなかった。
「……消えろ」
 俯いたサーシャの唇から自動的に言葉が零れる。周囲が濃密な夜に染まるなか、青白く発光する右拳を気だるげな仕草で胸の前へと持ち上げた。感情の一切排除された声で詠唱を展開。
 蓄積された魔力が急激に高まっていき、ゆらゆらと行き場を求めてサーシャの身体の輪郭から放出される。と、異変に気づいたのか、偽『ジョーカー』がゼノからサーシャへと意識を移す。しかし、もう遅かった。 
 きらきらとブルー・トパーズのように美しく彩られた右腕を、さらに天高く掲げる。
「……消えろ。消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ! 消えてしまェえェえェえェえェ!」
 詠唱完了。【第七天・魔導『神の粒子』】発動。
 魔力の解放された拳から眩い光球が爆発的に膨れ上がり──一瞬にしてこの空間のすべてを灼きつくす。
 サーシャを爆震源に、霧の谷は凄まじい大爆発に見舞われた。

 光の爆炎が収束し、辺りが静まり返ると、サーシャは、がくりと膝を落とした。
 加熱した意識が急速に冷えていく。魔力が著しく減退した頭で周囲を見渡すと、サーシャを中心点に、霧の谷の黒緑の大地は、あたかも巨大隕石の落下に見舞われたかのごとく円周上に地形ごと吹き飛んでいた。
 兄ちゃんも、あの黒衣の集団も、そして『ジョーカー』も。サーシャ以外の、すべての生物が、この場から消失している。
 それも、ある意味では当然のことだった。先ほどサーシャが唱えたのは『第七天』と呼ばれるカテゴリーに属する大魔導で、威力・攻撃範囲ともに最高クラスの部類に数えられる。彼らも腕には多少の自信があったのだろうが、あの状況下では、成すすべもなかっただろう。
 しかしその代償として、術者に圧しかかる負担も相当なものだった。現に、今では満足に立つことすらままならない。肉体同様、魔力と精神力も互いに密接な関係性にある。しばらくは、まともに動くことすらできないだろう。
「……くっ。それにしても……アタシって、ホントに……ば、か……ね……」
 喘ぐように呟きながら、腰の革袋に手を伸ばす。指先を少し動かすだけで電撃めいた痛みが全身を迸るなか、袋から取りだしたのは親指ほどの大きさの種子。エルミナの種だ。意思とは無関係に震える手で口のなかに押し込み、ゆっくりと噛み砕く。ほのかな甘みが口中に広がると同時に、身体じゅうに重くわだかまる疲労感が、いくらか和らいできた。エルミナの種子には吸収性の高い魔力が含有されており、食べるだけで失った魔力を回復させることができるのだ。大陸南部の亜熱帯地方でしか採取されないレア・アイテムであり、サーシャは万が一のために常に携帯するようにしていた。
 エルミナの実を力なく咀嚼しながら、サーシャは、ぼんやりと思い巡らせる。
 またしても同じ過ちを繰り返してしまった。荒ぶる感情に身を委ねるがまま、武装した魔力を暴発させてしまったのだ。冷静に、冷静に、と努めていても、いつもこうだ。
『ジョーカー』。
 目の前にいた人物は、偽物だと判っていたはずだった。しかし、殺人的なまでに膨れ上がった狂気を止めることはできなかった。過去と現在の垣根が崩壊した瞬間、サーシャの心の奥底で青白い炎が噴き上がり、瞬く間に燃え広がってしまったのだ。
 そうなってしまえば、もうお終いだった。人としての理性が木端微塵に崩壊するや、すべてを虚無の彼方に葬り去るべく、見境なしに大魔導をぶっ放してしまう。例えそこが街の中心だろうと何だろうと一切関係なしに。
 今回も、そうだ。サーシャの身を案じてついてきてくれた警備の兄ちゃん──ゼノという名前らしい──もろとも巻き込んでしまったのだ。
 ここから周囲を窺ってみても、人影一つ見当たらない。さらに濃密さを増した魔力霧が、視界にどんよりとわだかまっているだけだ。
 唯一の望みは、詠唱した魔導の性質くらいだろう。『神の粒子』は術者を起点に威力を増しながら拡散発動されるため、中心点付近は意外と損害が少ないのだ。幸運、というべきか、兄ちゃんはサーシャのすぐ近くにいたため、少なくとも絶望的なまでのダメージは受けていないと思われた。兄ちゃんの実力を鑑みても、助かっている可能性は高いだろう。
 ここでこうしていてもしょうがない。何はともあれ、兄ちゃんを捜そう。サーシャは地面に両手をつくと、すぐに倒れそうになる足元を気力だけで制し、何とか立ち上がった。
 結局、偽『ジョーカー』の正体も、エリナさんを襲撃した目的も分からずじまいとなってしまった。しかし、いまさら後悔してももう遅い。とにかく、兄ちゃんを連れて一度、村に帰ろう。その後のことは、それから考えるしかない。どろどろの思考回路はひどく鈍く、うまく考えがまとまらない。
 呼吸をゆっくりと整え、それから歩き出そうとし、ふと周囲の闇が一段濃くなった。ぎこちなく頭上を仰ぐと、星空が瞬いていた夜空には、いつの間にかどんよりとした暗雲が垂れ込めている。これから天気が崩れるのだろうか。月を覆い隠すように次々と流れてくる雲をしばらく無心で眺め、それから改めて一歩を踏み出す。
 それにしても、とサーシャは思う。
 こんなザマで、果たして本物の『ジョーカー』と、まともに相対することができるのだろうか。戦略も戦術もなく、ただ怒りに任せて暴れ狂う。その先にあるものは、紛れもなく自滅の道だ。サーシャは生涯を賭けて追うと誓った仇敵に、醜い敗北を喫することとなる。
 まるで鉄塊のような足もとで一歩、また一歩と進んでいた──その瞬間だった。
 理屈ではない。本能が瞬間的に危機を察知し、直後、サーシャは無意識に地面に転がった。数瞬遅れ、断続的な破裂音が鼓膜を激しく揺らす。
「ひゃあはッ! なかなかイイ反応してんじゃねぇかァ!」
 凄まじい痛みが脳を直撃するなか、短く背後を振りかえる。つい今しがたサーシャが立っていた場所に、淡く赤光に明滅する数本の矢が突き立っていた。まずい、と脳内で叫ぶや、地面に刺さった矢の群れが一際眩く発光。直後に連鎖爆発を引き起こす。
 衝撃波めいた爆風を受け、サーシャの小さな体が宙に翻弄される。押し殺した悲鳴を上げながら、サーシャは数十メートルの距離を成すすべもなく吹き飛ばされた。
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro