デンジャラス×プリンセス
「そうそう。そうやって始めから素直に出てくればいいのよ」
軽口混じりの視界に映し出されたのは、闇より深い黒衣に身を包んだ謎の集団だった。
顔面まですっぽりと覆う黒衣の首元には等しく深い血の色をしたスカーフが巻かれており、各々が全長二メートルは超えるであろう巨大な弓状の武器を手にしている。
「ふーん。奇襲とか汚い手を使うには、意外とマトモそうなやつらじゃん」
余裕の笑みを刻みながらも、サーシャは油断なく謎の襲撃者たちに分析の目を走らせた。およそ十人強と人数はそれほど多くはないが、集団としての統制は取れているようで、こちらを包囲するその構えにスキはない。
と、サーシャたちに一番近い位置にいた男が、手にした弓を大きく払うように振り動かした。途端、淡い光に包まれた右手の黒弓が、一瞬で月明かりを刃に灯すロング・ソードへと変化する。
あれは魔力結合の応用によって形態を自在にチェンジすることができる、通称『マルチ・ウェポン』。彼らの所持しているものはそのなかでも『ボーガン・ソード』と呼ばれ、遠距離なら弓、近距離なら剣と状況に応じて使い分けることができる万能武器だ。
「気をつけろ。おチビちゃん。こいつら、Aの連中じゃない。黒のバトルスーツに、特徴的な赤いスカーフ。国際的犯罪集団の呼び声高い、通称『黒衣の亡霊(シュバルツ・ガイスト)』だ」
兄ちゃんの声が、にわかに緊張の色を帯びる。ざっとその足もとが動き、サーシャの踵に小さく触れた。
「……『シュバルツ・ガイスト』なら、アタシも聞いたことがあるわ。確か、世界中で悪さしてる一大犯罪ギルドの名称よね。強盗、殺人、テロ・麻薬……。『世界に破滅と混沌を』っていう電波的な理念を振りかざし、世界中の人たちを苦しめる困ったチャンの集まりだとか」
革袋を締めるように、じりじりと包囲の輪を狭めてくる彼らを、サーシャは不敵に眺め回す。
「ああ。そのあまりの残虐非道ぶりに、Aに属することすら拒絶された連中さ。しかし、そんなヤツらが、なぜこんなところに……」
「それはなァ! おぉ〜前らを、釣った魚みてーにバッラバラにしてやるためだよォ〜〜ッ!」
瞬間、まるでこの場の空気が一気に淀むような不快な声が轟いた。反射的に、サーシャたちはそちらに振り返る。
「ひぃーさしぶりだなァ! ゼノぉおォおおおおぉおおおっッ!」
半ば絶叫めいた声量でその名が告げられた途端、ぎょっと兄ちゃんが瞳を剥いて反応した。「その声は、まさか……」と掠れた吐息を漏らす。
「ふひゃあっ! ひゃっ! ひゃっ! ずいぶんと見違えたじゃねえかァ。オレァ、うれしいぜェい……!」
視界が薄霧に覆われるなか、まるで神経に触るような残響を引いて近づいてくる声。
「あ……あ……あ……」
突然、兄ちゃん──ゼノ──が、呼吸困難を起こしたかのように鋭く喘ぎだした。その筋肉質の両腕は強張るように小刻みに震え、それを支えるはずの膝も不安定に揺れている。
何事かと兄ちゃんに声を投げかけ──突如、衝撃波めいた強烈な悪寒がサーシャの肌を襲った。そのあまりのプレッシャーに、サーシャは半ば強制的に意識をそちらへ引き寄せられる。
ゆっくり、焦らすように。この戦場に歩み寄ってくる一人の人物。
「最高だァ……。こうして、また昔のダチに会えるなんてよぉ……。今日は、ホントに最高の日だぜェい……! なあ? ゼノぉおぉおぉおおおぉおおおおッ!」
霧の奥から姿を現した人物を目の当たりにした瞬間、サーシャは鋭く息を呑んだ。
黒衣の犯罪集団を背後に従え、悠然と立ち歩く、その人物。
赤黒く発光する両目代わりの☆マークに、引き裂かれたように形作られた歪んだ笑みの口元。獲物の返り血で描かれたかのごとく黒服を鮮やかに彩る紅の紋様に、胸に刻まれし大きな十字の傷痕。
艶のある黒マントを颯爽と翻し、優雅に足を止めるマッド・ピエロの出で立ち。
その瞬間。限界まで見開かれたサーシャの瞳の裏に『あの時』の光景が一気に燃え上がった。
「おまったせェー! さあ……第二ラウンドを始めようぜェいッ!」
それは長年サーシャが追い求めていた、ジョーカーの姿そのものだった。
西から吹きつける霧の谷の湿った夜風が、動揺するサーシャたちを翻弄するように通り過ぎていく。
「へっへっへァあッ! ゼノォうッ。お前、ちょ〜っと見ないうちに、リッパになったじゃねェかァ! お前、アレかァ? こうしてツラを合わせるのは、あの日以来だよなァ?」
おどけるように両手を大きく広げ、黒衣の乱入者が道化師の面の下で、くぐもった笑いをこぼす。
「その声……。その口調……。まさか……お前は……」
戦慄の表情を浮かべながら、兄ちゃんが強張った口元を動かす。右手に握られた愛刀の木刀が、するりと滑り落ち、音もなく地面に転がった。完全に我を失っている。そしてそれは、サーシャも同様だった。最愛の母を殺害し、シルフィス城だけでなく、母国を混乱の坩堝陥れた張本人。サーシャの慎ましやかな幸福を蹂躙した悲願の仇敵を前に、とてもじゃないが冷静でいられるはずがない……。
いや、それは違う。正確には、目の前のこいつはサーシャの追い求める敵では断じてない。
理由は単純。本物の『ジョーカー』は、まず言葉を発しない。表情一つ見えることのない覆面の下で、淡々とターゲットを狙い定めるだけだ。ましてや、こんなに下品な話し方をしている時点で、別人なのは明白。
状況から見ても、恐らくこの偽『ジョーカー』がエリナさんを襲った犯人であることは間違いないだろう。口ぶりから察するにサーシャたちを待ち構えていたようだが、わざわざ自分から姿を現してくれるなんて好都合だ。こいつには事件の件で聞きたいことが山ほどある。この人数差を跳ね返すのは容易ではないが、兄ちゃんと二人ならやれないことはない。
そうすべてを理解していながら、しかしサーシャはこの感情の揺らぎを抑えることはできなかった。全身の血液という血液が、マグマのごとき熱量で爆発している。
視界にバチバチと稲妻めいたスパークが走り、冷静な思考が静かに、確実に、深く暗い憎悪に侵食されていく──。
ダメ……ダメよ。怒りで我を見失っちゃダメ! これじゃ、あの時の二の舞になっちゃう。落ち着け。落ち着くのよ、サーシャ……っ!
意識の奥底から表面化しようとするドス黒い感情に、激しく抵抗を試みる。と、堅く握りしめられた右拳から幾筋もの鮮血が流れ落ちていることに気づいた。爪が手の肉に食いこみ、まるで赤い涙のように滴を地面に垂らしているのだ。
「ゼ・ノォッ! まさか、ここでこうして、お前にまた出会えるなんてなァ。やっぱオレらは、運命の赤い糸ってやつで繋がっているってことだァ! ひゃーっ! ひゃっ!ひゃっ! ひゃァあァっああああァあッっ!」
夜空に甲高く吸い込まれていく下卑た哄笑を、サーシャは怒りで歪みきった顔で睨み上げた。意思に反して攻撃的に血走った瞳が、目の前の敵を食い入るように捉え続ける。
……ダメ。ダメよ。このままじゃ、同じことの繰り返しだわ。冷静になるのよ。落ち着け。落ち着け……。
「思い出すぜェ! なあァ! ゼノォ! 『あの時』のことをよォ!」
あの、とき……?
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro