デンジャラス×プリンセス
「ふん。てか、べ、別にアンタのことなんか心配してないわよ。ただ……今は村も大変なときなんだし。腕の自信のある人間がいた方が何かと……」
「守りたかったんだ。おチビちゃんのこと。今のオレには、それが何よりも大事だと思ったんだ」
穢れのない両瞳が、真っ直ぐサーシャに注がれる。こんな風に面と向かって言われると、逆に言葉が出てこない。この兄ちゃん、こんな清々しい顔で、なんて恥ずかしいセリフを吐きやがるんだ。
「し、知らないわよ、そんなん言われても!」
何とかそれだけを返し、ぷいっと顔を反らす。本来なら助けてもらったお礼の一つでも言うべきなのだろうが、そうするにはいかにも決まりが悪すぎる。その結果、作りだされた不機嫌な顔で明後日の方向を向くサーシャに対し、兄ちゃんはあくまでも笑みを絶やさない。
「はは。相変わらずだな、おチビちゃんは。でも、よかったよ。こうして助けることができてさ」
地面に倒れ伏すモンスターを、兄ちゃんが木刀の先端で示す。
兄ちゃんいわく、こいつの正式名称は『ソリッド・ボア』と言うらしく、人の多い場所には生息しない、極めて凶暴な辺境型モンスターらしい。
「ふーん。初めて見たわ。モンスター図鑑みたいなのがあったら迷わず登録するところね」
側に落っこちてた小枝の枝先で、ちょいちょいと小突いてやる。うーん。それにしても、なんていう大きさだ。アタシの体の三倍はあるぞ。こんなのに上から襲われたら間違いなく圧死してたな。こんな人里離れたところで、サンドイッチ・エンドなんて。いや、マジで笑えないから。
「安心しろ。気絶してるだけさ。殺してはないよ。こいつも、時期に回復するよ」
女の子だから、殺生は好まない、とか思ってやがったのか? ふっ。甘いな、兄ちゃん。最近の女の子は、モンスターの死体くらいじゃ驚かないんだぜぃ。
しかし、この兄ちゃん。頭を弱いが、やっぱり腕は確かだ。この凶暴なモンスターにも臆することなく立ち向かい、正確に弱点である眉間を狙い撃ちしている。しかも、不殺生。相当な経験と実力差がなければ、こうはうまくいかないだろう。もはや芸術の領域だ。
「おチビちゃんがAに行くなら、オレも行く。決めたんだ。ついていってもいいだろ?」
枝葉の隙間から注がれる月明かりの下、木刀を腰に差し直した兄ちゃんが穏やかに笑む。
「……し、知らないわよ。兄ちゃんの、勝手にすればいいじゃない」
早口で捲し立て、兄ちゃんの返答も待たずに歩き始める。そんなサーシャの後を、すぐに軽やかな足取りが追ってくる。
「そっか。ありがとう。じゃ、おチビちゃん。これから、よろしくな」
つーか、おチビちゃんじゃないっての! と強い意思を籠めた視線を投げかけ……ふっと目元を緩める。
まあ……いっか。それに、この兄ちゃん。どうせいくら言っても直らないだろうしね。
「あ、それとさ。おチビちゃんに、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「あによー。足元暗くて集中して歩いてるんだからー。……よっと。くだらないこと言わないでよー」
「ああ。あのさ。さっき言ってた「フェイルぅ〜!(はあと)」って人は、もしかしておチビちゃんの恋人のこと……ギィぃいいいいいやゃああああああぁあぁ!」
秘技。その名も「口封じの炎獄」発動。
めらめら荒れ狂う煉獄の炎にくるまれ、地面を盛大に転げまわる兄ちゃん。
……いずれにしろ、こいつといると退屈しないですみそうだ。
サーシャの懸念をよそに、それからの旅路は、すこぶる順調。快適なものとなった。
というのも、この兄ちゃん。思っていた以上に優秀な男なのだ。足場の悪い場所に差しかかれば周囲の地形を巧みに利用して新たな道を作り出し、モンスターが出現すれば攻撃のスキを与える間もなく即座に打ちのめす。
とにかく、サバイバル能力がズバ抜けて高いのだ。兄ちゃんが持ってきたパルテナという魔力を媒介にした明かりのおかげで明かりも十分に確保されており、視界もすこぶる良好。
おかげでサーシャは気楽なものだ。鼻歌混じりに兄ちゃんが拓いてくれた道を遊歩していればいい。
「うむうむ。貴公はよくやっておるぞ。褒めてつかわす」
「はは。それは、どうも」
屈託なく兄ちゃんが笑みを漏らす。その間も、周囲の警戒は決して怠らない。無駄な力が一切抜けた自然体は実力者の証だ。この兄ちゃん。はたして一体どんな経歴を持っているのだろう。少しだけ興味が出てきたぞ。そう考えるや、サーシャは勇ましく前方を歩く傭兵仕様のプレートアーマーのたくましい背中に声を投げかけた。
「ねえねえ、兄ちゃんってさ。警備の仕事をやる前は何をしてたの?」
「ん? 警備の仕事の前?」
「うん。兄ちゃんみたいな実力者が、一ギルドで、しかも守護者(ガーディアン)なんて地味な仕事してるなんてさ。もったいないと思って」
サーシャの指摘に、兄ちゃんは少年のような顔を振り向かせて言った。
「地味だなんて、そんなことないよ。警備業っていうのは、大切な人やモノを守る重要な仕事なんだ。とても立派で、やりがいのある仕事さ」
「大切な人やモノねー。でも兄ちゃんさー。結局は守れなかったわけじゃーん」
途端、兄ちゃんの表情が引きつったように固まった。ん? どうした兄ちゃん。しかしそれは長くは続かず、すぐに兄ちゃんの顔にいつもの柔和な笑みが戻ってくる。
「そ、そうだね。……はは。おチビちゃんの言う通りだよ。情けない。……ホントにオレは、いつまで経ってもダメな男のままだな」
斜めに伏せられた兄ちゃんの唇から、ぽつりと声がこぼれる。
「え。ちょっと。やーねー。冗談よー。じょ・お・だ・ん。そもそも、兄ちゃん全然ダメダメじゃないじゃない。ほらほら。一応、高レベルのギルド・ランカーなんだしー」
「他人の評価なんて関係ないよ。大切なものを守れなきゃ……意味がないのさ」
そういう兄ちゃんの笑顔が、とても悲しげに見えるのはなぜだろう。兄ちゃんは顔を上向けると、まるで何かをふっきるかのように「よし!」と気合を発した。「それより、事件だ。ここまで来たら絶対に犯人を捕まえよう!」と、溌剌と声を張り上げる。
「待ってろよ、犯人!」と、勇ましく両足を繰り出す兄ちゃん。……うーん。どうやらこの兄ちゃんも、色々とワケありのようだ。
しかし、サーシャはそれ以上、話に踏み込もうとはしなかった。人間誰しも、振り返りたくない過去の一つや二つは持っているものだ。それを事情も知らない他人が無遠慮に詮索するものじゃない。
重要なのは、その苦しみを他人に見せるか、どうか。強さの基準は、何もケンカの強さだけで決まるわけじゃないのだ。
そういう意味でも、やっぱりこの兄ちゃんは強い男なのだろう。
「さあ、おチビちゃん! いつまでも時間は待ってくれないぞ。スピードアップするけど、ついてこれるか?」
「はっ。誰に向かって言ってんのよ。当たり前でしょ。てか、アタシはおチビちゃんじゃないっての!」
がやがやとやかましく騒ぎながら、サーシャたちは偽『ジョーカー』を追う。
やっとのことで山脈を抜けた先には、打って変わって広大な空間が広がっていた。
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro