デンジャラス×プリンセス
女王である母は、いつも民に優しかった。もちろん時には厳しい決断をしなくてはいけない場面もあったが、それでもすべての国民が笑えるように最善の努力をしていた。
ツンデレの言う通り、もしかしたら人間は平等ではないのかもしれない。それでも、すべての人たちには等しく幸せになれる権利が与えられているはずだ。
他人を自分のように愛すること。
最愛の母は、いつもサーシャにそう言っていた。
「幸せになってほしい、か」
ツンデレが、ぽつりと言葉を漏らす。そうだよ。この世に幸せになっちゃいけない人なんて、一人もいないんだから。
「……ふっ。見かけによらず年よりくさいこと言うんだな」
「アタシも、それなりに苦労してんの。いつの時代も人間、笑顔を忘れちゃおしまいよん」
「笑顔、か……」
ツンデレの顔が、青く冴えわたった大空へ向けられる。その憂いに満ちた瞳の向こうには、何が映し出されているのだろう。次の瞬間に地上に戻された表情は、どこか晴れ晴れとしているように見えた。
「ふっ。本当に、おかしな女だな」
「はあ? アンタにだけは言われたくないわよ」
「ふふ……。あはは! そりゃ、そうだ」
真っ白な歯を覗かせ、くすぐったそうに笑う。今までの根暗な印象が嘘のような、子供のような無邪気な笑顔だ。
恐らく、これが本来の彼の姿なのだろう。孤独と痛みで産み落とされた過去は、彼のの心へ頑丈な剣と鎧を作り出すことを強制した。しかし、今のツンデレには少なくともそんなものは見当たらなかった。サーシャと何ら変わらない、至って普通の少年の顔だ。
「この事件、お前がどんな結末に辿りつくか楽しみにしている。噂の『トラブルシューター』とやらの実力、見せてもらうぜ」
挑発するように顎を上向けるツンデレに、同じく不敵な笑みで応戦。
「ふっ。安心しなさい。アンタの一番の幸運は、このアタシが味方についていることよ」
お手並み拝見とばかりに、ツンデレが立てた二本指を額の前で振ってくる。
お、なんだ、そのキザなポーズ。ちょっと褒めたからって、カッコつけんなよなー。
大方の予想に反し、フェイルが戻ってきたのは、その日の夜のことだった。
「ただいま戻りました。姫様」
場所は、この村に来てからお世話になっている宿の食堂内。依頼人であるエリナさんの計らいでゴージャスな夕食を満喫していると、お客さんたちに紛れて一際目立つ高身長が姿を見せた。サーシャの元に颯爽と歩み寄り、恭しく跪く。
「……アンタ、今回はやけに早くない?」
イノシシ系モンスターであるワイルド・ボアのステーキを頬張りながら、胡散臭い目線を投げる。聞くところによると、この村から例の街までは馬車で約半日。徒歩だと約一日はかかる距離にあるらしい。こいつのことだから、乗り物代わりにどこかで野性モンスターの類でも調達したのだろうが、それにしたって早すぎる。
「何をおっしゃいます。私の仕事のモットーは、常に丁寧、迅速に、です。時間がないとくれば尚更、ですよ」
いつにも増してにこやかに告げるフェイルに、サーシャはこれ以上ないほど不審に細めた目で、ぽつりと呟く。
「……アンタ、またふられたんでしょ」
その瞬間、百点満点だったフェイルのスマイルが、ぴきっと音を立てて凍りついた。
「な、ななななっ? なな、何をおっしゃいますかかか。わ、私は、ふ、ふふふ、ふられてなど……そのようなこと……だんじき……断じて、そのようなことはああああありませんから」
尋常ならざる量の汗を顔面から垂れ流しながら、左右に激しく震える親指を突き出してくる。はい。どうやら完全に図星のようです。
この男は、その内面はともかく、外見だけ見れば確かにスマートなイケメンだ。ゆえに、幼少の頃から女性には事欠かず、ましてや振られることなど無きに等しかった(感じ悪いわよね!)。
しかし、それは裏を返せば『ふられる』ということに対して免疫がまったくないということでもある。よく失恋すると、しばらく立ち直れない人とかいるでしょ。こいつの場合は特に重傷で、途端にヘロヘロ・ボーイに変貌してしまうのだった。やっぱ人間、酸いも甘いも経験して、打たれ強くならなきゃダメよね。
かくして、エロメガネのガラスのイン・マイ・ハートは、ここに粉々に砕け散ちったのであった……って、どうでもエエわ。
「とにかく、ちゃんと情報は手に入れてきたんでしょうね?」
ずーんと巨大な影を背負いながらも、そこは優秀な騎士のはしくれ。仕事のこととなると、途端に表情が端正に引き締まる。
「はい。それは万事抜かりありません。まずは興味深い話題を、ひとつ。実はエリナさんなのですが、近々ご成婚を控えているという情報を入手いたしました」
「ご成婚……って、ええ!? け、けっこんっ? だって、エリナさんはツンデレのことが……。てか、相手は誰よ?」
予想外の話題に、サーシャは思わずテーブルに身を乗り出した。
「はい。お相手の方は、この地域を統治している領主様の、ご子息とのことです」
「ご子息? え? てことは、まさか、それって……」
「はい。お気づきの通り、政略結婚と思われます」
その後、フェイルから詳しい事情が説明され、それでようやく犯行予告があったにも関わらず、村長さんたちが出迎えにいった理由に合点がいく。
つまりこれは、泥臭い大人のお話なのだった。
事の発端は、この地域一帯の有力者が一同に集うパーティー会場の席。この地方では年に一度、各地域の長同士の交流を目的として親睦会が開かれるそうで、そこに十八歳になったばかりのエリナさんも村長さんの家族として参加したらしい。大勢の参加者のなかで、一際輝きを放つエリナ嬢。そんな麗しの美女を前に、多くの男どもと同様、渦中の領主さんの息子も一目で気に入ってしまったそうだ。
元々、領主さんと村長さんの家系は代々とても近しい間柄だった。そのルーツは、何でも黒歴史時代まで遡るそうで、現在まで領主と領民という垣根を超えた極めて有効な関係を築いているらしい。早い話が、家族ぐるみの深い付き合いってやつね。
そんな無二の友人から、突如降って湧いた『娘くれよ』発言。
当時は村長さんも、大いに戸惑いを覚えたことだろう。自然に恵まれたこのミダス村は、その土地柄、大部分が原材料などの加工・製造などで細々と生計を立てている。そんな小さな村にとって、領主さんが住んでいるような大都市は一番のお得意様。事実、様々な面で便宜を図ってもらってたり、優遇されていたらしい。
下手に申し出を断って、今まで築いてきた信頼関係を崩したくはない。それどころか、下手に不興を買ってしまえば、これまで通りの付き合いをしてもらえなくなるかもしれないのだ。そうなると、村の存続にも関わってしまう。
あの責任感の強い領主さんのことだ。悩んだ挙句に出した結論だったのだろう。
ぶっちゃけ、政略結婚自体はそう珍しいことではない。むしろ権力者同士の間柄ではよくあることだったりする。サーシャの母国でも、そのような事例は吐いて捨てるほどあった。とはいえ、政治の道具にされる当人──この場合エリナさんとしては──たまったもんじゃないだろう。
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro