デンジャラス×プリンセス
奥さんが、エリナさんとツンデレの実の母親ではないことは、すでにご存じの通り。エリナさんの母親が病で他界し、その後に村長さんが再婚したのが、この美人でうら若い奥さんというわけだ。そうやってこの村に嫁いだのが、ちょうど二年前のこと。
「初めてこの村に来た時のことは、今でも鮮明に覚えています。村を訪れた私を、みなさんで出迎えてくれて……。エリナさんがブーケを私に手渡してくれたときは、思わず涙がこぼれてしまいました」
たおやかに紡がれる奥さんの声に、懐かしさの色が帯びる。
聞くところによると、この若奥様も両親とは幼い頃に死別しているようだった。天涯孤独という意味ではツンデレと似たような境遇だが、唯一違う点は、彼女は都市部に居を構える富豪の老夫婦の養子として迎え入れられたということ。その後、高齢だったら老夫婦は数年前にどちらも他界してしまい、またしても一人になってしまった彼女は水商売などをして生計を立てていたらしい。その店を偶然訪れたのが、当時、最愛の妻を亡くして憔悴していた村長さんだったというわけだ。
村長さんとは一回り以上も年の離れた夫婦で、当初は村人たちもびっくりしたそうだ。若くて、ピチピチ。それでいてこんなに美人とくれば、田舎暮らしの男じゃなくても、驚くだろうな。
「なるほど。ツンデレ……じゃなくて、シャナンお坊っちゃまが無実なんだとしたら、奥さんは真犯人に誰か心当たりはありますか?」
サーシャの質問に、奥さんが人差し指を唇に添え、考える仕草を見せる。少しの間を置き「いえ……。私にもわからないわ。ごめんなさい」と、白くほっそりした右手をもう片方の手で触れながら答えた。どうでもいいけどこの人、仕草の一つ一つが、いちいち官能的だな。フェイルの意識を奪っておいたのは正解だった。
「シャナンが犯人ではないとすれば、当然、私たちが疑われるのも承知しています。実際、この村で宝物庫のカギを開けられるのは、私たち家族の誰かしかいないのですから。ですが、これだけは誓っていえます。犯人は、私たちのなかには絶対にいません」
サーシャの内心を見透かしてか、奥さんが強い口調で切り出した。凛とした眼差しを真っすぐ注ぎながら、続けて彼女の口から、その名が告げられる。
「この事件の犯人、それは『ジョーカー』に他なりません。村人たちは、シャナンが戯れで『ジョーカー』の名を語ったと考えているようですが、あの子に限ってそんなことは絶対にないんです」
視線が落ち、奥さんの美しい顔が小さく歪められる。
「『ジョーカー』と名乗る人物の悪名は、都市に住んでいたころから聞き及んでいました。お店に来たお客様が、よくおっしゃっていたんです『彼に盗めないものは何一つない』、と」
『女王の命をいただく』。
その瞬間、サーシャの脳裏にあの時の光景──炎に包まれた城内において、真っ赤な鮮血で染めあげられたレイピアを誇らしげに掲げる──『ジョーカー』の姿が──鮮明に描き出された。
どくん、と鼓動が激しく脈打つ。同時に、すべての感覚が一時的に停止。次にそれを自覚したときには、すでに心音が暴力的なまでに乱れ狂い──途端、サーシャの脳の一部が焼け切れるかのようにばちいっと火花を散らした。
まずい! 自らの存在の消失にも似た危機感が脳を駆け巡る。だ、ダメ。ダメよ! しかし抵抗する意思とは裏腹に、急激に意識が冷たく遠のいていく。
ジョオウノイノチ。ジョオウノイノチ。ジョオウノイノチ……。
暗く、深遠な闇の淵からサーシャを捕らえようと伸ばされる、底冷えのするような低声。激しく抵抗するサーシャを嘲笑うように繰り返される地獄の旋律に、成すすべもなく意識が真っ黒い穴に堕ちかけ──サーシャは反射的に自らの舌を奥歯で強く噛みしめた。噴き出してくる血の味と鋭い痛みが、自らを惑わす幻覚を一瞬で霧散させる。
「……どうされました?」
心配そうに顔を覗き込んでくる奥さんの姿が視界に戻り、すぐさまサーシャは表情を作りなおした。「あ、いえ。なんでもないです」と急ごしらえの笑顔を張りつけ、正常な思考の立て直しを図る。
しまった。どうやら、またやってしまったようだ。不甲斐ない自らに内心で舌打ち。普段は問題ないのだが、何かのキッカケで〈スイッチ〉が入ってしまうと、今みたいに呆気なくコントロール不能に陥ってしまうのだ。
まったく。アタシは何をしてるんだろう。本人を目の前にしたのならいざ知らず、記憶のなかの亡霊にすら、いまだに振り回されるなんて。
未熟な自分を叱りつけたいのはやまやまだが、今はそのときではない。思考を事件に切り替える。
奥さんが言うことは、ある意味ではもっともだった。『ジョーカー』ならば、宝物庫の結界すら破れるかもしれない。実際に、ヤツは城内に張り巡らせていた魔導障壁を単身突破し、母である女王の寝室へと難なく潜入を果たしたのだ。いくらLOPを守護するための結界とはいえ、確実に守りきれると誰が言いきれるだろう。
「とにかく、私たち家族のなかに、犯人はおりません」
そう断言されては、何も言い返すことはできない。
「……そうですか」
その後、いくつかの質問をし、仕事が残っているとのことで奥さんはこの場を辞去した。
第二幕 守護者と『ジョーカー』とアタシ
「あ! こんなところに。捜しましたよ、姫様!」
場面は移り、村内にある茶菓子屋。休憩がてら、店先のベンチで、のほほんと黒蜜団子を頬張っているサーシャを発見するや、フェイルが憤慨した様子で歩み寄ってきた。
「毎度のことですが、私が一体何をしたのというのです。そもそも、美女を前に「ハァハァ。ギュイン!」してしまうのは、健康優良男子であれば至極当然の反応。それにも関わらず強制スリープ状態にされたあげく、道端に放置プレイとは。およそ人ならざるもの行為とは思えませんぞ!」
顔を合わせるや「ぎゃーぎゃー」喚き散らしてくる。そんなメガネ野郎を一瞥し、サーシャは深く溜め息をついた。毎度のことながら、美女が絡んでいるときだけやかましいんだから。
「アンタが本当の意味で有能な騎士だったら、アタシはこんなに苦労をしなかったのにね」
「な! 挙句の果てに、『アンタ使えないわよ発言』なんて! あああ、あんまりです! こんなにも姫様のことを想い、姫様のために身も心も捧げているというのに!」
何言ってんのよ。あんたが想っているのは、いつも美女とニャンニャンすることだけでしょ。滝のごとく涙を流すナイト・エロードを無視し、串に刺したダンゴを、ぱくり。とろりと艶やかなタレがほどよく甘くて、とっても美味し(はあと)。
「うおおおお! それにしても……何たる非道! 何たる悲劇! あれほどまでの美女を前に、ぐーすか寝てしまうなんて……っ! 男として最も恥ずべき行為です!」
まるで十年来の親友が他界してしまったかの勢いで天を仰ぎ、号泣。いや、もはや慟哭の域だな。他のお客さんたちも、何事かと集まりだしてきた。どうでもいいけど、お前この段階で、すでにキャラ崩壊を起こしてるぞ。
「……それで、彼女はいかがでしたか?」
作品名:デンジャラス×プリンセス 作家名:Mahiro