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くらげの浮かぶ、境界線

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 家に帰ると、私はそのまま二度寝することにした。どうせ今日は午後からの講義だ。昼頃まで寝ていても問題ないだろう。
 窓の向こうには未だくらげが漂っている。やがて翼の生えた猫が空を飛びまわり、青白く光る鷺が西の空へと消えてゆく。
「昔もっと曖昧だった、か」
 ふと、昔のことを思い出す。十余年前のことだろうか。その頃、私はもっと山奥の辺鄙な村のたった数人の子供の一人だった。
 その村は、自然と人間の生活圏が『曖昧』で、狸が鼬なんかが良く人の前に現れるような村だった。
 村には神様が棲んでいた。神様を直接目にしていた訳ではない。ただ、『曖昧』にその存在を感じていたのだ。
 ある夏の日のことだった。私は村の男の子たちと一緒に昆虫採集の為に山へと出かけた。そして、はぐれた。
 山を彷徨っているうちに、開けた場所に出た。鬱蒼とした森の中、木々の向こうにそいつは居た。
 ずんぐりむっくりとした蛇のような、いや、芋虫のような生物。大きな身体を持っており、子供なんか頭から飲んでしまえそうな大蛇の神様。
 ――後で聞いたら、それは野槌という神様だったという。山の神さまで、古事記ではカヤヌヒメノカミ、日本書紀ではクサノオヤカヤノヒメとされ、後に妖怪にされてしまった神様だ。ツチノコの原型とされ、栗鼠、鼬、鹿、人であっても食べてしまう悪食な神様だ。
 その時、私が生きて帰れたのは運が良かったからだ。踵を返し、急いで山の中を駆け巡り、家に辿り着けた頃には、私は高熱で倒れていた。三日三晩苦しんだ。これも、野槌の所為なのだという。野槌に見られた者は、病気になったり、高熱を出して死んだりするという。そう言う意味でも、運が良かったのだ。
 そう、昔はもっと『曖昧』だった。不思議と日常の境界も『曖昧』だったし、死と日常の境界線も『曖昧』だった。
 ――いや、本当はそれらはいつも隣にいるのだ。ただ、私たちが気が付かないだけで、必ずそれらは隣にいる。良く言うだろう? 『誰も見てなくても、神様は見ている』、と。
 そう、神様は見ているのだ。神様は、妖怪は、精霊は、ずっと私たちのことを隣で見つめているのだ。
 死や異界への境界が厳格になったんじゃないんだ。私たちの目が『曖昧』になってしまった。だから神様も妖怪も精霊も見えなくなった、見ても分からなくなってしまった。
 そのことに、私は床の中で気付いた。気付いた頃には、私は眠りの中に落ちていた。

 目を覚ますと、講義開始の時間を疾うに過ぎていた。私は頭を抱えて、そして諦めた。もうこの時間だ。間に合わない。昨日の天辺ほどから今日の昼までなので、半日は寝てしまった。かなりもったいない気がする。
 どうせ家のいるのならば、と、洗濯機を回す為にベランダに出る。
「――ねぇねぇ、お昼ご飯まだなの?」
 狸が喋った。
「夢じゃなかったっ!」
 私は頭を抱えた。
 その日から、時間が止まろうが止まらなかろうがその類が見えるようになり、色々な事件に巻き込まれる羽目になるのだが、それはまた別の話だ。