和尚さんの法話 「仏教と医療」
そして、お釈迦様も薬を飲んで治療を受けられたり、弟子の中にも病気の者がでると薬を利用したという記録がたくさんあるわけです。
「提婆達多即ち耆婆に云わく、「若し、汝、我に薬を与えざれば我、まさに汝を害すべし」と。
爾の時耆婆、薄命を恐るるが故に乃ち薬を与う。提婆達多此の薬を服するを以ての故に忽ち重病を得て身心共に苦しむ。」
我々にはちょうどいいが、一般の人にとっては、この薬は効きすぎるというんですね。かえって、毒になりますよ、といったんですね。
薬をくれなかったら、おまえを殺すぞというようなことを言ったんですね。
其の時に、耆婆が命を失うことを恐れるから薬を与えようと。
提婆達多の苦しみを救って下さるのはお釈迦様しかないと、ほかの者に救うことは出来ないんだと。
お釈迦様やお弟子様方の阿羅漢には過去の業を知る通力があり、悪業を断つことが出来る。
今のお坊さん方はそういうことを信じないですね。
六神通というのがありまして、そのひとつに他心通というのがあるんですが、これはどれだけ隔ててあっても、人の思ってることを観るわけですね、今こんなことで悩んでるなと、わかるんですね。
で、提婆達多は今ああいうことで悩んでるな、とお釈迦様は見るわけですね。
そして薬に匹敵するような光明を出して提婆達多の苦痛をとるわけです。
こういうお経があるわけです。
このお経は阿含経とかと同じ古いお経なんです。
こういうふうに古いお経の中には、お釈迦様ご自身が光明を放って、提婆達多の病気を治すというお話ですね。
今も新興宗教のなかに、手をかざして光明で病気を治療するというようなのがありますね。
元を辿っていけば、こういうことなんですね。
ただ、仏様は最高ですから、そういう方がなさるのと、我々凡夫がするのとでは、それはもう大違いですね。
根拠は、このお経にあることなんですね。
全く根も葉もないということではないわけです。
現在でも、加持とか祈祷とかございますが、それとよく似たものですよね。
まあ、そういうことで地蔵菩薩、観音菩薩、そういう方のお力が加われば病気ということは、治るということがあるわけです。
その人の持った業というのがありますね、その業が病気となって現れるわけです。
大怪我をするというのではなくて、ちょっとお腹を壊したり、風邪をひくとというのはそうでもないけれども、念の入った病気とか、大怪我とかそういったのは仏教では、宿世の因縁というわけです。
その因縁というものと、信仰というものとの兼ね合いですね。
業が深いは、信仰は浅いはと、いうのではちょっと治りにくいですね。
『地蔵菩薩本願経』
二、
「若し臨終の人有って、その眷属等其の人の舎宅財物衣服等を以て地蔵菩薩の形像を塑画(そが)すという事を知らしむれば、此の人業報を以ての故に重病ならんも、斯の功徳を承けて即ち除癒して寿命増益すべし、又若し業報に依りて命尽くる事有らんも応さに一切の罪障、業障皆消滅し、悪趣に堕すべきも此の功徳を承くるが故に命終の後即ち人天に生じて勝妙の楽を受くる事を得べし。」
― 地蔵菩薩本願経 ―
「若し臨終の人有って、その眷属等其の人の舎宅財物衣服等を以て地蔵菩薩の形像を塑画(そが)すという事を知らしむれば、」
そういうものをお金に換えて、ですね。
仏教では、大事なものをはなすというのをいうわけですね、大事なものをはなすというのはしにくいですよね、いらん物ならはなしやすいですが、自分が大事にしているものは、それはなかなかあげることが出来ない。
ですからそういうものをお金に換えて、それをもって仏様に、この場合は、地蔵菩薩の形像を描いてもらうとか、或いは彫刻してもらうということです。
病人のために、病気を治してもらうために大事なものをお金に換えて形像を作るぞ、お堂を造るぞといって、納得させるわけですね。
「此の人業報を以ての故に重病ならんも、斯の功徳を承けて即ち除癒して寿命増益すべし、又若し業報に依りて命尽くる事有らんも応さに一切の罪障、業障皆消滅し、悪趣に堕すべきも此の功徳を承くるが故に命終の後即ち人天に生じて勝妙の楽を受くる事を得べし。」
若し、病気が治らなかったとしても、あの世へ行ったときに、あの世はこの世の連続ですから、若しも供養してあの世へ行ったら、それ相当の報いを受けて、悪道へ落ちるべきところを助けてもらえるということです。
あの世へ行ったら天上界へ生まれて安楽なところへいける。
だからこの世で助からんというときは、あの世へ功徳を持っていけるわけです。
これは、地蔵本願経というお経にこういうことを説かれてるわけです。
『霊現記』
次は、和尚さんのお寺のお地蔵さんの縁起ですが、その中の一部分をご紹介します。
三、
「其の頃会津四郡に大疫病流行して死する者数を知らず。諸民これを嘆き悲しむ。
時に何処からともなく来たりて日々家々を巡り、病の軽重によりて、或い三日或いは四日、五日、七日と日限りを誓約して地蔵菩薩の御名を唱えさせ給うに、其の日限りの如く疫病を治するを得たり。
――三僧或る家人に告げて曰く、「此の後病災貧困の苦に有る者はまさに地蔵菩薩を祈願すべし。
彼の菩薩は、現世に於いては病難を救い命を延べ、意、誠なるも貧困なる者には幸福を授け、家内の安福を守護すべし。
特に婦女は安産を祈るべし、必ず利益を乞うむるなり。
又これ等の因縁に依りて後生は必ず善処に引生し給うべし、聊(いささか)も疑うこと勿れ、吾等は会津遊行派の西光寺の地蔵菩薩の使いなり」とて去り給う。これ西光寺の三体の地蔵菩薩化身して現じ給うならん。」
― 地蔵様のお話と霊現記 ―
「其の頃会津四郡に大疫病流行して死する者数を知らず。
諸民これを嘆き悲しむ。
時に何処からともなく来たりて日々家々を巡り、病の軽重によりて、或い三日或いは四日、五日、七日と日限りを誓約して地蔵菩薩の御名を唱えさせ給うに、其の日限りの如く疫病を治するを得たり。」
大疫病が流行ったときに、お地蔵さんの名前を何日と、日を誓約して称えると病が治るぞと、教えて回ったんですね。
「特に婦女は安産を祈るべし、必ず利益を乞うむるなり。」
お地蔵さんも嘗て輪廻転生してきてるときに、女性にこの世へ生まれて来たことがあって、自分もお産の苦労をなさってるので、お産というのは大変な苦労だというのをよくご存知ですので、信仰すれば安く済みますよと、そういう誓願があるわけです。
「又これ等の因縁に依りて後生は必ず善処に引生し給うべし、聊(いささか)も疑うこと勿れ、吾等は会津遊行派の西光寺の地蔵菩薩の使いなり」とて去り給う。これ西光寺の三体の地蔵菩薩化身して現じ給うならん。」
仏縁があったら次に良い所へ生まれますよ、また仏縁が全く無かったら、その仏縁を結ぶことによって、少しでも良い所へ行けますよということですね。
ですから現世と来世と、現当両益(げんとうりょうやく)といいます。
現世の利益と来世の利益の両方の利益を受けれますということです。
作品名:和尚さんの法話 「仏教と医療」 作家名:みわ