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和尚さんの法話 「仏教と医療」

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髪が長いとか短いとか多いとか、和尚さんのように禿げてるとか、こういう姿をしてると言うと、それは私の何々やと言うわけですから。

そのお墓で見えた霊魂は、今日法事をお勤めした人やなと、そう思ったそうです。
それは施主のお父さんの霊でした。

こんな顔形のこんな性格の人と違いますかと聞いたら、何で私のお父さんを知ってますのやと、施主が聞くんですね。

その施主さんとも其の時初めて顔をあわせてるんですから、その人のお父さんを知るはずがないですものね。

和尚さんは、この寺に来て間もないときでしたから、檀家さんの家を案内して回ったけどれども、その方の家に行ったときはそのご主人は仕事に出て留守でしたから、今日始めて顔をあわせたわけです。

この法事はその方のお父さんの33回忌でしたから、和尚さんの歳は29歳。

ですので、お父さんが亡くなられたときは、まだ和尚さんは生まれていなかったわけです。

だから和尚さんは、施主さんのお父さんを知ってるわけが無い。

なのになんで親父を知ってるんですかと、聞くわけです。

ということは和尚さんの言うことは合ってるんですね。
それだったら、和尚さん、霊魂はあるんですかと、聞いた。

冥福を祈ってるんですよね、それでも霊魂はあるんですかと聞くということは、半信半疑だったわけですね。

法事とは、亡くなった方の冥福を祈ってるんですから。

枕経から始まって、葬式、中陰、百か日、場合によっては月参り、三回忌と、こうあるわけですが、これはみな冥福を祈るんです。

だから霊魂があってのお勤めですよね。

他にも霊を見たという体験がございまして、檀家さんの家へ月参りに行ったんですが、お勤めをしていますと、弘法大師が現れたんです。

こういう場合は、和尚さんの経験で、弘法大師を信仰してる人がいるか、信仰していた先祖がいるか、どっちかですね。

この家を守ってくれてるんですね。

それでお勤めの後で、奥さんがお茶を出してくれましたときに、ちょっとお聞きしますが、お宅は弘法大師を信仰していますか、と聞いた。

このお家は、和尚さんの檀家さんですから直接弘法大師は関係ないですけれども、個人的に信仰する場合がありますからね。

で、奥さんは、いいえとお返事された。

ご主人が来たので、ご主人に弘法大師が現れたと言うてますんやけど、してませんな、とこう言う。

ご主人も、弘法大師は信仰していないと。

ですが、親が非常に弘法大師を信仰してたというのです。

もう親は亡くなってるんですね。

毎月21日は弘法大師の縁日ですから縁のある人がその家へ集まって数珠回しをしたり、坊さんに来てもらって弘法大師の話をしてもらったりしてたというのです。


それで弘法大師が今も守ってくれてるんですね。

これで和尚さんが見た弘法大師の霊魂は証明できますね。妄想ではないということです。

弘法大師は死ぬ前に、兜率天に行くといってますね。

そして次にこの世へ生まれてくるときは弥勒様と一緒に出てこられます。

弥勒は、お釈迦様のお弟子さんですね。

兜率天という天上界は、次にこの世へ出て来られる仏様が居られるところです。

だからお釈迦様も、兜率天にいらっしゃったわけです。
そしてこの世へ生まれて来られたんですね。

最終、仏様に成られるお方は必ず兜率天にいらっしゃるのです。
「わしは死後、兜率天に往生する。

そしてお前たち縁のあるものを守護するぞ」と、遺言をされてるのです。

本年3月21日寅の刻に死ぬと遺言されたのです。

もうひとつ弘法大師の話がありますが、これも檀家さんなんですが、そこへ和尚さんが始めて参りに行ったんです。

やはり同じようにお勤めしていると弘法大師が現れたんですね。
そして聞いてみると、誰も弘法大師を信仰していないと。

では、家のどこかに弘法大師のお姿を見たことはございませんか、と。
無いと思いますけど、一応みておきますとのこと。

それから毎月、参りに行ってたわけですが、ところが一向に無いんですね。

それから何年かたって、そこの長男が、自分の部屋を欲しがるんですね。

初めの頃はまだ小学生の小さいときでしたが、だんだん成長して、自分の部屋を欲しがるようになったんです。

その家は昔はお医者さんだったんですね、家の門があって、今は物置になってるわけです。
そこを自分の部屋にしたいと言ったわけです。

それで門を大掃除したんです。
そこに古い箪笥があって、箪笥の上の戸棚を開けると、中に弘法大師の木像が見つかったんです。

それで和尚さんが、弘法大師のことを言ってたのは、このことだったんだと分かったんです。

ところがこの木像は今まで見たことがない。

然しながら自分の家の箪笥に入ってたんだから、我々は知らないけれども先祖の誰かが弘法大師を信仰してたに違いないということになったんです。

だからあ和尚さんが見た弘法大師のお姿は妄想ではなかったということになりますね。

先祖の誰かが信仰をしていたから弘法大師が子孫を守ってくれてるんですね。


『四分律』

では本題の、仏教と医療の接点のお話をご紹介いたいます。

この最初にお話するのは、戒律を説いたお経なんですが、その中の四分律というお経です。

お釈迦様のいらっしゃる時代は、仏教団は統一して、分裂もなくあったんですが、お釈迦様がお亡くなりになると、私はこう思う、という違いが出てくるわけなんですね。

それはその人の個性によってとり方が違ってくるから、どうしても自分の都合のいいように解釈してしまう。

そこに宗派というものが出てくるんですね。

この四分律も、お釈迦様がお亡くなりになってから書かれたものですが、最初はお経よりも、律のほうを大切に考えたんですね。

戒律が大事だというので律をとったわけです。

その頃は書いたものよりも記憶で伝えていったんですね、そしてそれが本になって伝わってきた。



一、
「提婆達多即ち耆婆の所に往き、語りて曰く 「仏所服の薬を服せんと欲す。 汝、我に薬を与うべし」 と。
耆婆曰く、 「世尊の服し給う此の薬は那羅延と名づく、此の薬は是れ余人の服す所に非ず」 と。
提婆達多即ち耆婆に云わく、「若し、汝、我に薬を与えざれば我、まさに汝を害すべし」と。
爾の時耆婆、薄命を恐るるが故に乃ち薬を与う。
提婆達多此の薬を服するを以ての故に忽ち重病を得て身心共に苦しむ。
其の時提婆達多則ち心に思えらく、「我が今日の如き救う者有る事無し、只独り、如来有るのみ」と。
時に世尊、提婆達多の心念を知り給い、身に施薬の光明を出して提婆達多の身を照らし給い一切の苦痛をして即ち休息せしめ給う。」

― 四分律 ―


「提婆達多即ち耆婆の所に往き、語りて曰く 仏所服の薬を服せんと欲す。 汝、我に薬を与うべし」 と。

耆婆(ぎば)というのは、仏教教団のお抱えの医者ですね。

そしてお釈迦様もお薬を飲まれてるんですよね。

いろんな宗教の中には、薬もいらんという宗教もありますが、仏教は教団の中にお釈迦様が医者を抱えてたわけです。