風の詩が聞こえるかい
「も一度会えないかな」
男の言葉からは、女への思いが充分感じられた。
「どうでしょ? たぶん一期一会ね」
突風のような山風が、吹いた。ひゅるるるとも ぴゅうとも聞こえた。
「風の詩(うた)」
「風の詩? ですか?」
「ええ、この季節だけに聞こえるんですよ。じゃあ」
「待って」
男は、車に戻ると、ペンと紙切れを探した。見つけたコンビニのレシートの裏に自分の電話番号と、メールアドレスを書いた。
「すみません。ミミズが這ってますが、僕のです」
「連絡など きっとしませんよ」
「それでも いいです。帰り道のゴミになっても」
見えない口元の代わりに、女の眼差しがきつく変わった。
「此処にゴミを捨てるわけにはいかないですね」
女は、ポケットに捩じ込むとグローブをはめ、エンジンをかけた。
「一週間後、風の詩を聞きにまた此処に来ます。よければ 貴女も…・・・」
女は、片手を上げると、その後姿は 坂を下っていった。
遠ざかるバイクの音に男はいつまでも耳を澄ましていた。
男は、そのあと風の音を聞くことはできず、車を走らせ、その場を離れた。
一週間後、天気は雨。
男は、仕事の都合もあり、其処へ出かけることができなかった。
そして、次の週。天気は快晴。ドライブ日和だ。
女には会えないと思いつつも男は出かけていった。
車を停め、あの水の湧き出るところまで向かう途中、道路にスリップ痕を見つけた。
近くで作業をしていたのだろう、軽トラックに乗った地元の人がふたり 車を停めておりてきた。
「此処、何かあったんですか?」
「あ、これかい? 少し前だったかっていっても十日? いや一週間くらい前だったかにバイクが車と接触してね」
「そうそう、雨でスリップした車が バイクの方へ突っ込んでったとか」
「そ、それで どうしたんですか? 怪我? 無事なんでしょ?」
「さあ、ワシらは、そこまでの事は知らんわい」
「此処の水 旨いじゃろ?」
男の耳には、もうそんな言葉は入っては来なかった。
地元の人が、立ち去ったあとも 男はその場を動くことができなかった。
作品名:風の詩が聞こえるかい 作家名:甜茶