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和尚さんの法話 「お経を実行する」

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若しも切りあっていたら死んでいたに決まってるんですからね、相手は大勢、自分には死相が出てたし。

そういう世の中の運命というのを信じない人が命を落としたり怪我をしたりする。
そういう人たちを助けてあげたいという気持ちになって易者になった人なんです。
自分のお金儲けのために易者になった人とは違うわけです。
人助けのために只観てあげていたのです。
観てあげたから幾ら下さいと言った人ではないのです。
そういう人なんです。

その人の書いた書物を見ますと仏教の教えと同じことを説いてあるんです。
そして節約をして贅沢をしたらいかんと。

そして神官と僧侶の運命は予測し難し。
悪いという運命が出ていてもそうならずに抜けていくと。

それは信仰を持ってあるからだということを書いてあります。
だから信仰が大事だということです。

これは坊さんや神主さんが言っているんじゃなくて一般の人ですよね、在家の人ですね。

そういう人が言うことだから重みがありますね。

これは身に染みて体験した言葉ですね、それが仏教の精神そのままですね。

昔は易者でも医者でも只みてあげていたのですよね。
御礼にといっておいていく人もあるけど、それはいただいておくというようなことでね。

診察代がいくらで薬代がいくらでというようなことは昔のお医者さんは言わなかったそうです。

易者も道を歩いていて悪い人相の人に出会うと気をつけるようにと言ってあげても、いくら出せというようなことは言わなかった。

只というわけにいかないのでと相手が出せば受け取るということでした。

ところが、何時の時代からか、易も医者も商売になりきってしまったんですね。
それで易のほうでは売卜者と言うて、さげすんだのです。
と、いうことで、信仰によって運命が違ってくるということです。

善因善果、悪因悪果で、いつのことか知らないだけで、悪いことをするからそういう目に遭うんだということです。

ですから悪いことをしないで善いことをしなさい。
特に信仰をしなさいということです。

その善因善果、悪因悪果は昨日や今日の行いがすぐに来るということも無きにしも非ずですが、だいたいが時間があるのですよ。

例えた話が今日種を蒔いても明日芽が出ませんね。
時間がかかって芽というのが出てくるわけです。
場合によっては何年もかかって芽が出るというものもありますね。

そういうことで、あのときやったのが今来たんだと、この世のことだったら見当がつきますけれども、生まれん先の前世の行いの善悪の行いというのは、なかなか信じ難い。

あなたは前世でこんなことをやったから今こんな目に遭うんだと言われてもなかなか信じられないですね。
然しそれを信じなければ、我々は凡夫ですからね。


『殺生の業』

お釈迦様がいれば宿命通で観れますから、今こんな目に遭うのは前世でこういうことをやったからなんだと分かるけど、ところが我々は凡夫だからそれが分からないですよね。
だから信じるよりほかないわけです。

信じる人と信じない人の信じ方の違いは、仏縁の深い浅いの違いになってくるわけなんです。

仏縁のある人は、同じ話を聞くと、前にも聞いてるので、本人は分からないけれども、前に聞いてあるものだから抵抗なくまたこの世で因果の話を聞いても抵抗なく信じることが出来るわけです。

だから殺生の業の一番きついのは地獄へ落ちる。

それからまたこの世へ生まれてきても、極端ないい方になるけれども短命として生まれついてくる。

業が弱ければ病弱として生まれる。
その原因は殺生の罪だということです。


それから強盗の罪もまた地獄、餓鬼、畜生に落ちる。
偸盗ですね。

この罪を犯した者は、貧窮に落ちる。

貧乏ですね。非常に貧乏に困る。
人のものを盗った人はそういう罪を受けるんですね。

そしてあの世へいってはその報いを受け。
またこの世へ生まれて人間となっても、まだ業が残ってる。
あの世で尽きないでこの世へ引きずってかえってくる。


そのときに二つの果報を受ける。
一つは貧乏。

一つには、親戚とか友達とか財産を共有するんですね。

共有ですから自分の思うようにならない。
遺産相続みたいなもので、判子を押してくれないと自分のものにならないんですね。

それから邪淫の罪。不倫ですね。
そのときは面白いかもしれませんが、地獄、餓鬼、畜生の罪を受ける。


『妄語の罪』

そして今度は、自分の妻や夫に不倫をされる。
夫に愛人が出来て常に夫婦で喧嘩をする。そして妻も愛人もどちらも愛想が無い。

それから妄語の罪。嘘ですね。
この罪を犯した者は、人から悪く言われ批難ばかりされる。
そして人に騙される。詐欺にあったりするわけですね。


或る奥さんが相談にきたわけですが、その家は白生地を扱う商売をしているわけです。

染物ですね。
それで取引先が倒産をして、自分のところも倒産したわけです。

ところが、ここが倒産をするはずがないんだというわけです。

いままであんなにうまくやってきていたのに倒産するなんてあれはきっと嘘だ、計画倒産したに違いないんだと、主人が言います。
と、言うてきた相談だったんです。


これと同じような話で、また別の人が来まして。

大きな借金がある人で、友人知人を訪ねていって、支払いの目途がついているのだけど、日にちが足らんのでといって、必ず支払うからそれまでの間だというので、判子を押して欲しいというわけですね。

そうすれば待ってくれるんだというようなことです。

そしてそれを信じて押したわけです。
ところがそれを言うた人が逃げてしまったんです。

それでその人の借金を全部、その人が払うようなことになったんです。
それで一家離散してしまったわけです。

それも仏教からいうと、その人も同じことを前世でやってあるわけです。


最初の計画倒産の話ですが、和尚さんがその話を聞いていたら、大きな大広間が見えてきて、その奥に殿様が居て、その両脇に大勢がずーっと並んで座っているんですね。

皆座っているのに殿様から二三人目の人が、一人頭を下げているのです。


これは殿様にお叱りを受けているんだと思って見ていたのですね。

それが向かい側の人の武士に対して、頭を下げながら眼で知らせているんですよ。

なんとか助けて欲しいというように感じるんですね。

或は、お前はなんということをしてくれたんだ。
殿に嘘ばっかり告げたじゃないかと。

だから拙者がこういうめにあうんだ、君はひどいじゃないかと。
君が一言助言をしてくれたら拙者は助かると。

そんなことを言え無いので眼で合図をしてるわけですね。
ところがその合図をされてる武士は知らん顔。

その知らん顔した武士が、和尚さんに相談しに来た奥さんの主人だなと、和尚さんはそう思った。

これは前世がそうだから出て来るんだと。

だからその主人は、前世で人を引き摺り下ろしたか。

或は、その人が失脚しておいたら自分は出世すると。

或は、自分が出世するためにやったのか、なにかそういうことをしたわけです。
そういうことを前世にしてあるから今こういうめにあう。