ナギとイザナギ
「拾った、だって。いったい何をどこで拾ったのさ、さぎり」
イザナギさんの不本意な命令で、さぎりを迎えにいき、僕の家に向かっている途中でさぎりが教えてくれたことがあった。
「この置物、海岸で拾ったの。神様の像みたいなんだけど、イザナギさんに似てたから、つい」
といって、見せてくれた小さめの彫像をバッグから取り出した。
その像は、肩に鷹を乗せて、弓を手に持った、立派な角髪姿の凛々しい、古代の貴族像だった。
「へえ。これがそこらに落っこちてる時点で、理解不能だよ」
「高そうな像でしょ。落とし主がいたら、探してるかもしれないし、でも学校があるから帰りにしようと思って、交番へ届けるの、忘れてたの」
「拾得物はすぐ届けないと、窃盗罪になるんだよ、さぎりぃ」
「ごめんなさい。私だって、すぐにでも届けたいわ」
でもまぁ、アタッシュケースに入った現金というわけでもないし、像をちょっと誰かに見せてからでも、いいだろう。
僕とさぎりは、急いでイザナギさんに見せることにした。
しかし、僕たちが例の像をイザナギさんに見せると、イザナギさんは押し黙ってしまったんだ。
僕とさぎりは顔を見合わせてしまっていた。
「これは俺に預けてくれぬか」
イザナギさんはその像を懐にしまった。
「どうするつもりなの」
「これはこのまま持っていてはいけない。さぎりに限らず、持っていると災いを呼び寄せてしまうものなのだ。だいじょうぶ、早めにかたをつけるから」
そうはいっても、それいちおう、拾得物なんですけど。
「ううむ、ナギは理屈やだからな。いいか。これは、人間の問題ではなくなってしまったのだ。俺に考えがある。まかせてはくれんか」
「うん。私はかまわないわ。イザナギさんにまかせる」
「さ、さぎりっ」
にこにこしながら答えるさぎりに、僕は呆れるしかなかった。
次の日、学校からの帰り道、イザナギさんを見かけたので、こっそりあとをつけてみることにした。
公園の茂みから深い森に通じた、不思議な道だった。目の前には盛り土してある墓のようなものがあった。
なんだっけ、箸墓とかいうのが、父さんの考古学の本に載っていたような記憶がある。
とにかく、あとを追ってみよう。
林の道を進んでいくと、やがて周囲は徐々に暗く、深い黒に染まっていき闇に包まれた。
これが俗に言うあの世、黄泉の国だろうか。話に聞いていたが、なんともいえない気味の悪さがある。
闇の中に浮かび上がる謎のあずまや。障子の窓からオレンジ色の光が漏れていた。障子を開け覗いてみた。
イザナギさんはイザナギさんとよく似た顔の女の人と向かい合って話していた、なぜかその表情は困惑していた様子で。
「どういうつもりだ、イザナミよ」
イザナギさんは懐から像をイザナミというひとに見せてから、叫ぶように言った。
「なぜ今になってこういうことをする」
「あぁら。あなたが悪いんじゃない。浮気するから。あんな小娘なんかに熱上げてサ」
「イザナミッ。これ以上何かするなら、考えがあるぞ」
「考え、ですって。嗚呼、腹の立つ。そうよ」
イザナミはすっくと立ち上がり、袖で口元を押さえた。
「あのときの宣言では、1000人くびり殺すと申し上げましたけれど、つまらないから、やめにしますわ。あなたはあれから、100人も産んでいらっしゃらないようですから」
「少子化が進んでいてな。と、そのことは論外だろ、論外ッ。どうする気だ、この人形にかけられた呪いは。今日はそのことで来たんじゃないかっ」
あのときの、宣言。なんのことだろう。僕は夢中になってさらに覗き込もうと力をこめた、すると、踏み台にしていた石が転がって、障子窓を破いてしまったのだった。しまった。
「ふふっ。あなたを追って来たのね、おいしそうなガキが」
イザナミは裂けた口元を僕に向けて舌なめずりをした、その様子があまりに不気味で背筋が凍る。
「や、やめろ、ナギに手は出すな」
「そう。そこまでいうなら、やめておくことにしましょうか。これ以上あなたに恨まれてもしょうがないですから」
イザナギさんは僕を背中にかばったまま、腰の剣に手をかけていた、イザナギさんが家にいるときはこんな剣を持っていたことなどなかったのに。
でも、そうか。僕はイザナギさんをこのとき初めて、かっこいい、と思えたんだよね。本当に神様だったのだと。ううん、たぶん、僕だけの神様なんだ、とね。
「何で来たんだ。誰にも見つからずにいたと思ったのに」
イザナギさんは僕に桃の実を持たせて、櫛を折って灯した炎であたりを照らし、いつもの公園まで導いてくれた。
この桃は黄泉の国で力が弱まるイザナギさんのお守り「大神津実命(おおかむづみのみこと)」というらしい。舌をかみそうだ。
「決まってるよ。僕はあなたが心配だったんだ」
「ナギ、おまえ」
イザナギさんは大げさに驚くことはしなかったけど、意外そうな顔はしていたっけ。
「ありがとう。まさか、心配されると思わなかった」
といって、にっこり微笑んでいた。
その笑顔を見たら、僕もなんだかほっとしたよ。
いつものイザナギさんだ、ってね。
「それにしても、あのイザナミってひと。僕は一生涯、好きになれないな」
「ナギは神経質だからなぁ。一度イヤなものを見ると、二度目はないって性格だろう」
僕は黙ったままうなずいた。
「ははっ。だろうな」
「あ、そうそう。あの像のことだけど、呪いがどうのいってたよね。どういうことなの」
「それか。まだ種明かしはしたくない」
といって、そっぽを向いてしまった。
「そんな。ここまで知ってしまったんだ、もう教えてよ」
「だめだ。それとな。さぎりにはこのことを黙っておいて欲しい。いいな」
な、なんだよ、それ。いいかげんにしろと、腹が立ってきた。
「いやだね。さぎりに黙ってられるかどうか、僕は約束できないよ」
「ナギ。頼む。もし約束を破れば、そのときは俺がこの手でおまえを手にかけねばならない」
イザナギさんは腰に佩いた十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて、刀身をギラつかせた。
十握というのは拳が十握りという意味で、昔は身体を使って測定していたため、成人男性の握りこぶし十個分サイズの長さの太刀という意味なのだ。
「言うのをためらったが。俺はあのイザナミを一度はこの現世(うつしよ)に呼ぼうと、黄泉に来たことがあったんだよ。だが、振り返らないと誓った約束を、俺は破って、つい振り返ってしまった。それからだ、あいつとのいさかいが始まったのは。あいつは国民を1日1000人殺すといった。だが俺は、1日500人産むと答えた。それがさっきおまえの聞いた一部始終のすべてだよ」
「そ、そういうわけだったの。でも、イザナギさん」
「約束を守ってくれ。さあ。守ると言え、ナギッ」
剣を大きく振るったイザナギさんの表情は、あきらかに悲しみを帯びてもいた。
それはきっと、自分がしたことへの後悔と、僕が従わない苛立ちに対して、だったのだと。
「わ、わかった。さぎりには言わないでおくよ」
イザナギさんは僕の答えを聞いて、剣を鞘におさめ、それから背を向け、光の見える出口まで歩き出した。