ナギとイザナギ
僕はナギ。小学5年生。
漢字で書くと『凪』つまり、海が穏やかなときのこと。
たしかに僕自身、激情に狂うことは、ほとんどないけど。
ところで、僕とよく似た名前のお兄さん、イザナギさんのことだけど、どうしてあんなのが神様なんだろうって、とても不思議だ。
「あんなのとは無礼な子供め。これでも俺は神様なんだぞ」
「心の中を読まないでよ」
「神の特権だからいいんだ」
ほら、これだよ。まったく何と言っていいのやらね。
イザナギさんは『いざなぎのみこと』とかいう、かなり有名な神様らしい。
何をするかって、ご利益はたしか、子宝じゃなかったっけか。
まあ、ハンサムだと思うし、悪い人、いや神様か。ではない気がするんだよね。
でも、許せないことがある。
それは、父さんの酒を勝手に盗む癖があることだ。
「酒はお神酒といってな、われわれ神に奉納するもの。だから飲ませろ」
調子がいい。
嫌いではないし、憎めないのだけど、ほかの人間に姿が見えないからって、もうやめて欲しいな。
「あ、こんにちはナギ。あの、イザナギさん、いるかな」
同級生のさぎりだ、イザナギさん目当てでよくくるようになったクラスの女子だよ。
「きょうのプリントよ。ナギが風邪で休んだから、先生がもってくように、って」
「わざわざありがと、雨降ってるのに、ご苦労様だね」
僕はフン、と鼻を鳴らしてプリントをさぎりの手からすくい取った。
さぎりは苦笑いして上目遣いをする。
なんでそんな顔をするのかが、僕には疑問だった。
「やあ、さぎりか。きょうはなんだい。雨が降って濡れなかったかい」
「だ、だいじょうぶですっ、お気遣いありがとう。イザナギさん」
振り返るとイザナギさんが赤い顔でさぎりを出迎えていた。
そういえば、さぎりのやつ、イザナギさんがそばにいると、さっきみたいな顔をする。
いったいどうしてだか、僕には理解できないんだけどね。
「あのさ。さぎりは、なんでイザナギさんにだけ、会いにくるの」
イザナギさんが席を立ったときに、彼女に質問を投げかけてみた。
なぜそうしたかは、正直わからなかった、だけど、気になったんだと思う。
「えっ、イザナギさんにだけじゃないわ、ナギに用事があるからに決まってるでしょ。そのついでよ」
ふうん。そうかねぇ。僕にはそうは思えないな。
そのことについて、くちに出しはしなかったけど。
さぎりが帰ったあとで、イザナギさんは正座をし、僕を正面に座らせた。
この人が正座するときって、絶対なにかあるんだよな。
僕はイザナギさんの顔色を窺いながら腰を下ろした。
「おまえね。女の子にはやさしくしてやるもんだぞ、さぎりは繊細な子だし、いい子じゃないか。あんなつれない態度で追い返す馬鹿者は、おらぬぞ」
いつになく興奮気味で吐く息荒く言い放った。それで僕をたしなめてるつもりか。甘いな。
僕は眼鏡をぐいと持ち上げて言い返した。
「お言葉だけどね、僕はあれで充分やさしいつもりだよ。だいたい、ただのクラスの女子にやさしくしてやったところで、どんなメリットがあるのか、教えてほしいもんだよ」
「おっ、おまえねぇ。め、めりっと、て何だ。ドイツ語か」
「はあ。つまり、さぎりにやさしくしたら、どんな価値があるのか、て聞いたんですよ」
イザナギさんは誤魔化すように咳をして言った。
「ああ、価値ね。そうだな、女には子を産む能力があるから、ておい、ナギ。ちょっと待たんか」
僕は彼の言葉を聞き終わらぬうちに席を立っていた。
僕が学校を休んでいた日から数日後。
登校することもできて、ひと安心だったんだけど、べつの問題が発生していた。
最近、さぎりが不幸に見舞われている、というのを小耳に挟んだ。
「ほんとかい、さぎりの身によくないことが起こってるって」
「ええ、ほんとよ、大地。お守りを買ってもダメみたいだし、どうすればいいか、わからないの」
「さぎり」
僕たちは幼なじみで、お互いの家を行き来する仲だったから、僕だってちからには、なってあげたかったけど。
「なあ。ナギんとこの、イザナギさんに頼んでみたらどうだ、おれにはそのイザナギさんが、見えないけどよ。ほんとにいるなら、ちからになってくれるんじゃないのか」
さぎりは、机に突っ伏した顔をはっとあげると、とたんに青ざめた。
「だめよだめ。それはできないわ。迷惑よ、悪いからできないわ」
「だけどさあ」
大地は、とうとう僕のほうへ視線を泳がせる。
僕は肩をすくめて、さぎりのほうへ歩を進めた。
「僕が頼むんだったら、いいだろう。イザナギさんに聞いてみる」
「わかってんじゃねえか、ナギぃ。じゃ、頼むぜ」
まったくもう、イザナギさんといい、大地といい、どうして似てる人ばかりなんだろうねぇ。
「そりゃあ、怨霊の類かも知れん」
家に帰ってイザナギさんに尋ねたら、そう答えが返ってきた。
「おんりょう、ですか。でもなんだって、さぎりにとりついたんだろう」
「わからん。まあ原因があるはずだな。まずはそれを突き止めないと。しかし雨の日はダルイので明日にでも調査をするとしよう」
神様も雨はお嫌いなんですね。僕は初めて知りましたよ。ええ。
「あのう、イザナギさん。僕、どうしても聞きたかったんだけど」
「なんだね」
「どうして、僕やさぎりにイザナギさんが見えて、大地には姿が見えないんだろうって」
イザナギさんは、眠そうな顔で、
「ああ、それか。だってな、やつの氏神は、俺が苦手な出雲の、それも、スサノヲの末裔だからだよ」
といって頭をかいていた。
「大地が嫌いというわけじゃないんだが。ま、機会あらば俺が見えることもあるだろうがな」
「なんてアバウトなんだ、神々の世界」
僕は思わずツッコんでしまった。
「でもなんで出雲とか、スサノヲだと、まずいの」
僕の質問にイザナギさんは膝を強くたたき、痛そうに顔をゆがめていた。お茶目のつもりだろうか。ほんとに馬鹿だな、このひとは。
「よっくぞきいってくれった。いててえ。ああ、そうさな。何から話して聞かせよう。ナギは出雲の神話を知ってるのかな」
「さあ、あんまり知らないかも」
「読書家のお前には珍しいな。まあいい、あのな。スサノヲという神は、俺の産んだ次男なんだ。正確には離縁した妻のイザナミが産んだ第二子ということなのだが」
「第二子って、ああ。二人目の子供か」
「そそ。そして、そのスサノヲは長女である姉の天照大神に歯向かって、高天原という天界を追放されて、出雲へ旅立つと。こういうわけだ」
そのあたりのくだりは、死んだ宮司のじいちゃんに聞いた気もするけど、詳しくは知らなかったからね。このレクチャーはちょうどいい。
「まあ、だいたい理解しました。ありがとうございます」
「うむ。そんなところか。とりあえず、さぎり本人から話を聞いたほうがよさそうだな。連れて来い、ナギ」
「なっ、何で僕が。さぎりは、いつだってイザナギさんに会いにくるんだよ。あなたがいったらいいじゃないかっ」
「神の詔は絶対だぞ、ナギ。いいな、これは命令だ。連れてこいよ」
なっなにが、みことのり、だよ。こんなときだけ威張りやがってっ、ムカつくっ。
漢字で書くと『凪』つまり、海が穏やかなときのこと。
たしかに僕自身、激情に狂うことは、ほとんどないけど。
ところで、僕とよく似た名前のお兄さん、イザナギさんのことだけど、どうしてあんなのが神様なんだろうって、とても不思議だ。
「あんなのとは無礼な子供め。これでも俺は神様なんだぞ」
「心の中を読まないでよ」
「神の特権だからいいんだ」
ほら、これだよ。まったく何と言っていいのやらね。
イザナギさんは『いざなぎのみこと』とかいう、かなり有名な神様らしい。
何をするかって、ご利益はたしか、子宝じゃなかったっけか。
まあ、ハンサムだと思うし、悪い人、いや神様か。ではない気がするんだよね。
でも、許せないことがある。
それは、父さんの酒を勝手に盗む癖があることだ。
「酒はお神酒といってな、われわれ神に奉納するもの。だから飲ませろ」
調子がいい。
嫌いではないし、憎めないのだけど、ほかの人間に姿が見えないからって、もうやめて欲しいな。
「あ、こんにちはナギ。あの、イザナギさん、いるかな」
同級生のさぎりだ、イザナギさん目当てでよくくるようになったクラスの女子だよ。
「きょうのプリントよ。ナギが風邪で休んだから、先生がもってくように、って」
「わざわざありがと、雨降ってるのに、ご苦労様だね」
僕はフン、と鼻を鳴らしてプリントをさぎりの手からすくい取った。
さぎりは苦笑いして上目遣いをする。
なんでそんな顔をするのかが、僕には疑問だった。
「やあ、さぎりか。きょうはなんだい。雨が降って濡れなかったかい」
「だ、だいじょうぶですっ、お気遣いありがとう。イザナギさん」
振り返るとイザナギさんが赤い顔でさぎりを出迎えていた。
そういえば、さぎりのやつ、イザナギさんがそばにいると、さっきみたいな顔をする。
いったいどうしてだか、僕には理解できないんだけどね。
「あのさ。さぎりは、なんでイザナギさんにだけ、会いにくるの」
イザナギさんが席を立ったときに、彼女に質問を投げかけてみた。
なぜそうしたかは、正直わからなかった、だけど、気になったんだと思う。
「えっ、イザナギさんにだけじゃないわ、ナギに用事があるからに決まってるでしょ。そのついでよ」
ふうん。そうかねぇ。僕にはそうは思えないな。
そのことについて、くちに出しはしなかったけど。
さぎりが帰ったあとで、イザナギさんは正座をし、僕を正面に座らせた。
この人が正座するときって、絶対なにかあるんだよな。
僕はイザナギさんの顔色を窺いながら腰を下ろした。
「おまえね。女の子にはやさしくしてやるもんだぞ、さぎりは繊細な子だし、いい子じゃないか。あんなつれない態度で追い返す馬鹿者は、おらぬぞ」
いつになく興奮気味で吐く息荒く言い放った。それで僕をたしなめてるつもりか。甘いな。
僕は眼鏡をぐいと持ち上げて言い返した。
「お言葉だけどね、僕はあれで充分やさしいつもりだよ。だいたい、ただのクラスの女子にやさしくしてやったところで、どんなメリットがあるのか、教えてほしいもんだよ」
「おっ、おまえねぇ。め、めりっと、て何だ。ドイツ語か」
「はあ。つまり、さぎりにやさしくしたら、どんな価値があるのか、て聞いたんですよ」
イザナギさんは誤魔化すように咳をして言った。
「ああ、価値ね。そうだな、女には子を産む能力があるから、ておい、ナギ。ちょっと待たんか」
僕は彼の言葉を聞き終わらぬうちに席を立っていた。
僕が学校を休んでいた日から数日後。
登校することもできて、ひと安心だったんだけど、べつの問題が発生していた。
最近、さぎりが不幸に見舞われている、というのを小耳に挟んだ。
「ほんとかい、さぎりの身によくないことが起こってるって」
「ええ、ほんとよ、大地。お守りを買ってもダメみたいだし、どうすればいいか、わからないの」
「さぎり」
僕たちは幼なじみで、お互いの家を行き来する仲だったから、僕だってちからには、なってあげたかったけど。
「なあ。ナギんとこの、イザナギさんに頼んでみたらどうだ、おれにはそのイザナギさんが、見えないけどよ。ほんとにいるなら、ちからになってくれるんじゃないのか」
さぎりは、机に突っ伏した顔をはっとあげると、とたんに青ざめた。
「だめよだめ。それはできないわ。迷惑よ、悪いからできないわ」
「だけどさあ」
大地は、とうとう僕のほうへ視線を泳がせる。
僕は肩をすくめて、さぎりのほうへ歩を進めた。
「僕が頼むんだったら、いいだろう。イザナギさんに聞いてみる」
「わかってんじゃねえか、ナギぃ。じゃ、頼むぜ」
まったくもう、イザナギさんといい、大地といい、どうして似てる人ばかりなんだろうねぇ。
「そりゃあ、怨霊の類かも知れん」
家に帰ってイザナギさんに尋ねたら、そう答えが返ってきた。
「おんりょう、ですか。でもなんだって、さぎりにとりついたんだろう」
「わからん。まあ原因があるはずだな。まずはそれを突き止めないと。しかし雨の日はダルイので明日にでも調査をするとしよう」
神様も雨はお嫌いなんですね。僕は初めて知りましたよ。ええ。
「あのう、イザナギさん。僕、どうしても聞きたかったんだけど」
「なんだね」
「どうして、僕やさぎりにイザナギさんが見えて、大地には姿が見えないんだろうって」
イザナギさんは、眠そうな顔で、
「ああ、それか。だってな、やつの氏神は、俺が苦手な出雲の、それも、スサノヲの末裔だからだよ」
といって頭をかいていた。
「大地が嫌いというわけじゃないんだが。ま、機会あらば俺が見えることもあるだろうがな」
「なんてアバウトなんだ、神々の世界」
僕は思わずツッコんでしまった。
「でもなんで出雲とか、スサノヲだと、まずいの」
僕の質問にイザナギさんは膝を強くたたき、痛そうに顔をゆがめていた。お茶目のつもりだろうか。ほんとに馬鹿だな、このひとは。
「よっくぞきいってくれった。いててえ。ああ、そうさな。何から話して聞かせよう。ナギは出雲の神話を知ってるのかな」
「さあ、あんまり知らないかも」
「読書家のお前には珍しいな。まあいい、あのな。スサノヲという神は、俺の産んだ次男なんだ。正確には離縁した妻のイザナミが産んだ第二子ということなのだが」
「第二子って、ああ。二人目の子供か」
「そそ。そして、そのスサノヲは長女である姉の天照大神に歯向かって、高天原という天界を追放されて、出雲へ旅立つと。こういうわけだ」
そのあたりのくだりは、死んだ宮司のじいちゃんに聞いた気もするけど、詳しくは知らなかったからね。このレクチャーはちょうどいい。
「まあ、だいたい理解しました。ありがとうございます」
「うむ。そんなところか。とりあえず、さぎり本人から話を聞いたほうがよさそうだな。連れて来い、ナギ」
「なっ、何で僕が。さぎりは、いつだってイザナギさんに会いにくるんだよ。あなたがいったらいいじゃないかっ」
「神の詔は絶対だぞ、ナギ。いいな、これは命令だ。連れてこいよ」
なっなにが、みことのり、だよ。こんなときだけ威張りやがってっ、ムカつくっ。