柵の向こうの彼女
柵の向こうの僕と僕
屋上に転がり出る。日はもう暮れている。頭が冷えた酸素を要求する。嗚咽がとめられない。死にそうになる。涙が出る。泣く理由が分からない。頭が付いていかない。
「あ、先輩、こんばんは。」
そうして、彼女はいつも通り、挨拶をしてきた。いつから始まったか分からない。このやり取りを、繰り返す。
「ねえ、先輩、さっきの話の続きです。私は、もうそろそろ先輩の私でいることが疲れてしまいました。だって、結局先輩とここにいる限り、私は先輩でしかないから。だから、私はここからどこかに行きたかったんです。ここではないどこかに。私が消えられるどこかに。」
彼女は楽しそうに語る。満面の笑みで語る。何がそんなに楽しいのだろうか。僕はただあえいで彼女の元へ向かう。
「だけどね、先輩それって、結構近くにあったんですよ。灯台下暗しってやつですかね。見えなかったんですよ。自分の足元を。ほら、先輩。見てくださいよ。」
そう彼女は自分の足元をさす。足元には三階分の虚空と固い地面しかない。
「ほら、簡単でしょ。先輩言ってくれましたよね。『ここから飛び降りればいい』って。結構簡単ですよね。本当に。」
そうして僕は、彼女の元にたどり着く。そして僕は、なんとなく、笑いたくなる。だから、笑う。
「何がおかしいんです？ 」
「いや」
自分があまりにも滑稽で、と僕は笑う。
不意に、屋上の扉が開いた。そこから、飛び出してきたのは、三つ編みで眼鏡のあの子だ。
「やあ、奇遇だね。」そう僕が笑いかける。
「先輩…。」
「ああ、紹介するよ、彼女は僕の友達なんだ。」
そう柵の向こうの彼女をさす。でも、眼鏡のあの子は見えていない。
「先輩。」
「ああ、彼女はとても、夢見がちでね、いつも僕が突っ込んでいるんだ。」
「先輩！ 」
柵のこちら側の彼女が叫ぶ。彼女もこんな声を出すのかと驚く。
「先輩、そこには」
そうして、彼女は泣きそうになりながら言う。どうしようもないものを見るように、諦めにも似た泣き顔で、言う。
「そこには、誰もいません。」
「うん、知ってるよ。」
そうして、僕はそれに答える。眼鏡の彼女の悲しみを知りながら、僕の分身の彼女を隣において。
「でも、ごめんね。僕はもう、ここにいることに疲れた。」
そうして、僕は彼女と手をつなぐ。優しく繋がれたその手を、きゅっと掴む。
「君の思いに答えられなくて、ごめん。僕は、もう行くよ。」
「先輩。」
「もうこんなやつに引っかからないようにしてくれよ。こんなやつ」
君が傷つくだけだから。
柵を越える。こちら側から向こう側へ、ここから、ここではないどこかへ。目の前に彼女の満面の笑みが広がる。彼女は嬉しそうに、とてもとても嬉しそうに笑いながら、僕に言う。
「いらっしゃい、そして、さようなら。」
先輩、と呼ぶ声が二つ聞こえた。
僕はどこかへ旅立った。