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203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』

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約束:(3)



「うわっ、これ全部やるんですか? 全部毟るんですか?」
 目の前の光景を眺めながら同僚のモヒカン頭の伊田君が唸っていた。
 昨日、【Weeds】に庭先の草むしりの依頼が入った。
 こういった家庭の雑事の依頼は専門的な知識が多くは要らないため、社員のメンバーの一人がチーフとして登録社員に募集をかけチームを作り現場へ向かうのだが、なぜか今回の依頼には異例なことに尾路山と社長を除いた社員と登録社員のほとんどを駆り出されることとなった。昨日の会議で社長の丸腹は行けばわかると言ったのだが、目の前に広がる学校のグラウンドのような広さの荒地と視界の奥に建つ、それこそ学校のような風体の三階建ての建物を視界に納めたことでようやく納得がいった。
「学校、っぽいですけどそれにしては小さい敷地ですよね。何かの施設だったんでしょうか。それにしてもこれだけ大きいのならもっと人数が欲しいですね」
 伊田君のげんなりとした態度に同調するように肩を落とした南ちゃんがため息をついた。
「ウチは赤字ではないとはいえ、儲からない商売だからね。雇える人数も限られてくるのじゃないかしら」
 見れば、連れてきた登録社員の人たちも仕事をはじめる前だというのに疲労感を漂わせていた。そうやって辺りを達観した様子で見回している私の胸中でも怠惰に耽りたいという感情が首をもたげていた。
 しばらく、門と奥の建物の中間あたりで雑草が生い茂るグラウンドのような敷地を眺めながらたむろしていると、奥の屋敷から大柄の初老と見える女性が出てきて声をかけてきた。
「みなさん今日はいらしゃってどうもありがとうございます。今日お願いしたいのはこのグラウンドの草むしりです。気をつけてほしいのは、向こうの草地は刈り込んで芝生にするつもりですので抜かないように」
 女性が指差した二つの敷地のどちらも大差ないほどに草が生い茂っていてどちらが芝生用なのかわかったものではない。庭先の草むしりといいながら、その実、グラウンドの整備が目的だったらしい。
 私たちは気の抜けた返事をすると作業を開始した。


 季節は春から夏に変わろうとしている。
 風には湿度が伴い、纏わり付くような陽差しが肌に汗をかかせる。幸いなのは目の前に広がる青々とした雑草が風に揺れる光景は涼しげだったことだろうか。皮肉なことに、その雑草を根こそぎ駆逐するのが私たちの仕事だった。
 地面に着いた膝や手に泥がこべりつく。額の汗を拭いたいが泥がついてしまうので、流したまま放っておいた。そのうち汗は流れ落ちて私の目に入り込み、少しの痛みが更なる汗を生み出した。
 一体全体、私は何をしているのだろうか。そんな感慨が浮かぶ。
 私の人生のほとんどがホステスとしてのものだった。小学生の頃にお母さんの店で働くことを決意し、中学、高校と卒業したあとは接客を学ぶためにアルバイトして二年。二十歳になりお酒を飲めるようになってようやく就職できた。それからというものの、自分の体に傷をつけないよう注意し、肌にシミやシワができないように細心の注意と努力をして生きてきたというのに、今まさに全ての努力に泥を塗りつけているようではないか。
 それでも私はこの仕事を放り投げられない。私には【ルーフ】を再興しなければならないのだから。
 それに同僚のことが気にかかる。【ルーフ】の社員のことだ。
 向こうで草むしりをしている、にゃん子という変わった名前の可愛らしい女の子と、その彼女に永遠と話し続け無視され続けているモヒカン頭の伊田君、登録社員に的確に指示を出し疲労をおくびも出さない南ちゃん、そして今この場にはいないが尾路山や丸腹、失踪している高梨さん。彼らはいつの間にか私の中では、姉さんたちやお母さんと同じぐらい大切な存在になりつつあるのだ。長年ともにして、彼ら彼女らの暖かさが身に染みたようなのだ。彼らといると時折、【ルーフ】のことなんか忘れてこのまま【Weeds】で働き続けて一生を終えるのも素敵だと思うようになっていた。
 私はその考えを振り払うように首を振ると立ち上がった。
「南ちゃん、こっち終わったから裏を見てくるわ」
「わかりました。それならついでに休憩取ってください。こっちも終わり次第向かいますんで」
「じゃあそうさせてもらおうかしら」
 伊田君のにゃん子ちゃんに対する不毛な言葉の一方通行を尻目に私は建物の裏へと向かった。
 
 
 そこは裏庭という言葉が当てはまるようなところだった。
 刈り込まれた青草が形良く敷き詰められ、設置された花壇からはチューリップが咲いていた。ただ、その花しか咲いてなく、その数も少なくどこか物寂しい。とりあえず差しておこう、といった気概が見えるようだった。ここの芝生は良く手を入れていたというより、どこかからか持ってきたと印象を受けるよそよそしい雰囲気があり、荒れ果てたグラウンドの整備をするということはもしかしたら今まで不在だったこの敷地に誰かが住み着くのかもしれない。または、建物を何かの施設として利用するために手入れをしているのかもしれない。
 芝生の淵に沿ってしばらく歩いてみると、建物に扉が設置されているの見つけた。裏口のようだ。建物の壁には等間隔で窓が設置されており、扉の横の窓から中を窺ってみた。中には等間隔に小部屋が置かれ、やはり学校のようにも見えるのだが、学校にしては小さい建物で室内の一つ一つの部屋は狭い。
 その光景に、記憶の端が疼くような感覚があった。言うならば、既視感があった。
 扉のノブを捻ってみる。すると鍵がかかっていないようで、すんなりと開くことができた。隙間に体を滑り込ませ室内に侵入する。
 入ると、室内は存外なことに綺麗だった。床板が腐っているということも、割れたガラスが落ちているということもなく、人の手入れを感じさせる廊下が左右に伸びていた。
 教室のような小部屋は大人が二人、子供なら四人ぐらいで生活できそうな広さだ。
 少し煤けた白い壁を手でなぞりながら、廊下の奥へと進んで行った。すれ違う部屋を一つ一つ覗いてみるが、目新しいものはなかった。
 廊下の突き当たりで階段を見つけた。
 引き返そうか迷ったのだが、ここまで来たのなら先ほどの既視感が何だったのかを確認していきたい、というちょっとした冒険心のようなものが芽生え、私は音をたてないように階段を上った。
 二階も一階と大差ない作りで、違うといえば窓から差し込む陽の光の量が多いぐらいだ。私は先ほどの既視感が気になって廊下の向こう側の端を目指して歩を進めた。
 すると――、
「入ってきたのかい? いらっしゃい」
 建物の中心辺りの部屋から今回の依頼主の初老の女性が現れた。
「ごめんなさい。勝手に入ってしまいました」
「いいわよ。何か気になることでも?」
 尋ねれられて、どう答えたものだろうと口ごもる。
「いえあの……この建物は以前、学校だったのかしら」
 苦し紛れに何とかそう言って、尋ね返す。女性は微笑んで口を開いた。
「確かにそれらしい作りではあるけど、違うわ。ここは児童養護施設だったのよ。孤児院って言えばわかりやすいかしら」
「孤児院……」