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203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』

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 それから数日が経った。
 少女は一度もお店にも私たちの自宅にも訪れてはこなかった。葬式があると言っていたし、きっと彼女は再び泣き叫ばずにはいられなくなるだろうから、訪れる元気がないのかもしれない。
 それにしても、はたして私の試みは正しかったのだろうか。あの日から私は、ただただ少女の心を傷つけたのではないだろうかという疑念が晴れずにいた。自分にとって正しいことが、他人に当てはまるとは限らない。彼女の憔悴しきった様子は容易に想像できたが、それでも少女の来訪がないことが私の心に不安を募らせるばかりだった。
 もしかしたらみかちゃんは二度と訪れないのかもしれない。たった一晩の出来事だ。そのとき出来事がどれだけ劇的だったとしても、人間はそれを簡単に忘れることができる。
 そんなことを考えながら出勤したある日、
「このみお姉ちゃん!」
 出会った工事現場がある路地から、みかちゃんがひょっこりと現れた。
「みかちゃんじゃない。もう、平気なの?」
 尋ねると、「うん!」と元気に頷いた。
 立ち話もなんだからと言ってお店の中に入ろうと提案したのだが、時間がないからいいと断られた。訊くと、これから引っ越しがあるのだという。少女が一人暮らしをできるはずがない。親戚がみかちゃんを引き取ることになったそうだ。
「ねえ、このみお姉ちゃん。あたしをお店で働かせて欲しいな」
「あら、急にどうしたの?」
「あのね、あたしこのみお姉ちゃんに家族になってほしいの。だから働かせて!」
 みかちゃんの姿が、過去の私と重なって見えた。
 みかちゃんの台詞と似たようなことを昔、お母さんに話したことがあった。
 そして、その時お母さんが言った言葉も、今もまだ覚えていた。
「ごめんね、お店は二十歳以上にならないと働けないのよ」
「えー! やだよ、家族になってくれるっていったじゃない!」
「もちろんよ。あのね、みかちゃん。あなたは少し勘違いをしているわ」
「え、なに? どういうこと?」
「私たちはもう家族なのよ。【ルーフ】で雇ってもらえなくても、私たちはすでに家族よ。あなたがそうなりたい望んで、私はそれに応えるのだから」
「そう、なの? ……でも、一緒にいたいからお店で働きたいな。このまま離ればなれになるのはイヤ!」
 その子犬のような眼差しがくすぐったくて、思わず笑みがこぼれる。
「私たちは家族よ。でもね、家族っていうのはいつも心の奥底で繋がっているものなのよ。だからあなたがどこにいたって何をしていたって私とあなたは繋がっているの」
 みかちゃんはよくわからないといった様子で不満を見せた。それも私が通った道なのだと思い出す。
「じゃあ、みかちゃん。約束をしましょう」
「約束?
「そう、約束よ。もしあなたが二十歳になって働きたいと思うのなら、もう一度【ルーフ】にいらっしゃい。そうしたら、雇ってあげるから」
 長いよ、と不満を述べるみかちゃんの頭に手を載せて撫でてみる。髪の毛のなめらかさと彼女の体温が伝わってきて、とても暖かい気持ちになった。
「待ってるからね」
 それが別れの言葉となった。
 引越しの時間に遅れてはいけないと思い、そっとみかちゃんの背を押してやった。
「約束だからね! 絶対ハタチになったら来るからね!」
 みかちゃんは何度も振り返っては手を振っていた。その度に私も手を振り返し、そのつど寂しさが心の底に積もるような気がしていた。
 みかちゃんが見えなくなった路地をしばらく眺めて、いつか再び彼女と邂逅できる日を想像した。
 結局は彼女との付き合いは一日程度のものだ。時間に換算すれば一日にも満たない。
 それでも、私とみかちゃんの間には確かな絆ができたと感じていた。それは私とお母さん、そして姉さんたちの間にあるものだと確信していた。
 だから、彼女は再びやってくるだろう。ならば私はお店を支えて、彼女の帰りを待とう。再開の日はもしかしたら出会いの日のように雨かもしれない。だからこそ、【ルーフ】、『屋根』が崩れないようにしっかりと支えていよう。屋根があれば雨風から身を守れるのだから。
 私はそう決心して、その日も仕事についた。

  
 ――不況の煽りを食らって、『ルーフ』が潰れたのはその日から数年後のことだった。