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203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』

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 その呼び名に自分の過去を思い出す。私の両親が事故で死んでしまったのが物心着く前で、お母さんに拾われる前は、私はいったい何処にいたのかだろうか、覚えていない。
 ふと視線をずらした先、女性の後ろ、女性が出てきた部屋の横に設置された掲示板に写真が飾られていることに気がついた。
「あの写真は?」
 指差すと、
「ああ、あの写真かい。ここが潰れる以前、ここがちゃんと施設として動いてたときに撮った写真だよ」
「見せてもらっても、よろしいですか」
「ええ、かまわないですよ」
 許可をもらって私は急ぎ足で掲示板の前へと移動した。
 端から端までじっくりと眺める。そして、まさかと思っていたのだが自分の幼少の頃の姿を見つけた。なるほど、既視感の理由はそういうことだったのだ。
「私、以前ここで暮らしていたみたいです」
「あらまあ、本当に?」
「ええ、この子が私です」
 女性がわかるように、写真の隅で俯いてうじうじとした様子で保育士と思われる若い女性のエプロンを掴んでいる少女を指し示した。するとそれを見た女性は驚いた顔をした。
「本当に? あらあらまあまあ! こんなことが起こるなんて!」
 その驚きぶりに私も驚いてしまう。そんな私にお構いなしに女性は続けた。
「あなたが……えっとこの写真の少女のことね。この写真のあなたがしがみついている女性ってね、私なのよ」
「えっ!」
 その言葉にまた別の驚愕が沸き起こる。
 写真の若い女性と、隣に立つ大柄の女性をよく見ると、確かに顔の造形が良く似ていることに気がつく。何という偶然だろうか。そもそも私がこの施設に再びやってくること事態が奇跡に近いというのに、女性が便利屋という奇妙な事業を知っていて、なおかつそれを利用しよう思い立ち、そして連絡した会社に私が勤めていた。
「そう、なんですか……よく覚えていないのですが、その節はお世話になりました」
「いえいえ、いいんですよ。それにこのみちゃんはすぐに引き取られていったから、半年ぐらいの付き合いでしたから」
「名前、覚えていてくれたんですね」
「ええ、この施設にやってきた子の名前は大体覚えていますよ」
 女性は皺を寄せて微笑んだ。その笑顔があまりにも素敵で、皺ができても彼女のような笑顔を作れることができたら、それはとても幸せなことなのじゃないかと思った。
「ところで、あなたはなぜここにいらっしゃるんですか? この施設はその……見たところ廃校してしまったようですが」
「そうね。一度ここは廃校になったわ。確か十三年前だったかしら」
 【ルーフ】が潰れたのもその頃だ。バブルが弾けた後の不景気が世の中を蔓延していた頃だったように思う。
「それでね、ここが廃校になったせいで、入所していた子たちはみんなちりぢりになってしまったわ。別の施設に移動した子もいれば、慈善家の人たちが引き取ってくれたりもし、行方が分からなくなってしまった子もいるの。もうその子たちの絆を取り戻すことはできないわ。だけどね、いつの時代だって親を亡くしてしまう子はいるし、最近はよく虐待の話を聞くじゃない? 親元を離れて暮らさなければならない子供は増えているように思えるの。だから私はその子たちのために何かしてあげたいと思ったの。未練かしらね。この施設を出て行く子たちは笑顔であって欲しいという願いは、ここが潰れてしまった日に叶わなくなってしまったから。あの時分かれた子が戻ってくるわけじゃないけれど、私はもう一度、子供たちを笑顔にするためにこの施設を再興しようと思ったの。そしてついに目処が立ったものだから、子供たちが遊べるようにグラウンドの整備をしようと思ってあなたたちに連絡したのよ」
「…………そうなんですか。ここまでくるのに、想像を絶する努力があったんでしょうね」
「そうね、大変だったわ。……あらあなた、具合が悪いの? 顔色が良くないけれど」
「……お気になさらず。私は元々こんな顔色です」
「そう? それならいいんだけど」 
 そうして仕事があるからといって女性は部屋に戻っていった。その後姿を眺めながら、彼女の言葉を胸中で思い返す。
 それはどこかで聞いたことのある話だった。
 ただ私が知っている話では、再興のために努力をしているものの今だ目処が立たず、心が挫けそうになっている。そんな話だ。
 これから職員を募集するのだろうが、様子からすると彼女はきっと一人で再興を果たしたのだろうと想像できる。いろいろの人に声をかけて強力を仰いだのだろうが、再興を決心したその時は一人だったに違いないのだ。
 きっと【ルーフ】を再興するよりも大変なことなのではないだろうか。金銭的な意味合いでも、人間社会の問題という意味でも。心に傷を負った年少を集めて育てる施設なのだから、それだけたくさんの人の意見、感情が女性に集まったことだろう。
 私は元来た道を戻り階段を下りた。先ほどの室内へと入った扉を抜けて、外に出た。
「あ、このみさん! どこ行ってたんですか! もう仕事はじめますよ!」
 外に出た先に南ちゃんがいて、他のメンバーも集まっていた。
「といっても、どうやらこっち側は芝生のようですので、この芝生を形良く切り取るような感じで汚らしい雑草どもを駆逐すればいいようです。……って、このみさん? おーい、このみさーん?」
「ねえ、南ちゃん」
「えっ? あ、はい、なんでしょうか?」
「あと一分ほど時間をくれないかしら?」
「え、えっとぉ……いいですけど」
「ありがとう」
 南ちゃんが心配してくれているようだが、その気遣いに礼を述べる余裕がなく私は真っ直ぐに芝生に向かった。
 その芝生の上に思い切り寝転んだ。
 その時ばかりは女を捨てて、頭を空っぽにしたくて、女性の純粋な思いに身を焦がされるような痛みを払いのけたくて。
 私は少しばかり、涙を流した。
 一体全体、私は何をしているのだろうか……。