203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』
ウチの会社では、正社員の六人に別々の担当が任されており、依頼に沿った担当社員がチーフとして登録社員とアルバイトを引き連れて現場に向かう仕組みになっている。伊田君は力仕事、例えば引越し業務、イベントの会場設営などが担当だ。北島さんは臨時の売り子や呼び子など、販売スタッフ関係が担当。にゃん子さんはレストランの厨房スタッフとかホールスタッフとして臨時で雇われたり、柿枝さんは主にクラブやスナックなどに呼ばれたりする。一般家庭の家事雑用は全員が担当で、担当業務が入ってないやつが行くことになっている。俺は会計係りなので一日中書類の整理をしているが、たまに入ってくる会計事務の依頼をこなしたりもする。が、しかし、本当にたまになので、大体一日中オフィス内で日本語という記号の羅列とにらめっこしていることが多い。
それで、今はオフィスにいないがもう一人の社員がいる。そいつが調査業務担当なのだが、ここしばらく姿を見ていない。
「あいつ――高梨はいずこへ?」
「知らん。こんな書置きが置いてあったその日以来見てない」
投げて寄越してきた紙片を見てみると、『お空に太陽が昇ったんだ! 夜なのに! 僕は海老を探しにカニになる! 探してください! アディオス!』と書いてあった。高梨はだいぶフィーバーしていたらしい。彼をフィーバーさせた物質がケシの実から抽出されたものでなければいいけど……まぁしかし、普段とあまり変わらない気がするから放置でいいか。
「それでだ。伊田君の変わりに調査業務をやれるやついないか?」
このメンバーでかぁ、と考える。調査業務というとつまり尾行するってことだ。すると体力が必要になってくる。となると、柿枝さんはだめだな。夜仕事がメインだから、翌日に調査業務が被るとしんどいだろう。にゃん子さんも却下。今日の伊田君みたいに危険があるかもしれないから、彼女には任せられない。そうなると消去法的に北島さんということになる。合気道をやっていたと聞いたことがあるが、大丈夫かな……。
あれこれ考えていて、「うっ!?」ふと顔をあげると白目を剥いて涎を垂らしまくって真っ白になっている伊田君を除いた全員が俺の方を見ていた。あ、あれなに俺の顔に何かついてるのか?
「尾路山さんが適任じゃないでしょうか。体力もあるし見た目がそれっぽいです」と北島さん。やっぱりそういうことか! 面倒ごとを押し付けようって気だな。今度お茶に砂糖を入れてやるっ……!
「そうですよね尾路山さんって探偵っぽいですよね。見た目が」
にゃん子さんも俺を窺いながら、黙しながら目線で「おまえやれよ」と迫ってくる。柿枝さんも艶っぽい笑みを浮かべて「頑張ってね」とキスを投げてくる。
みんなして面倒ごと俺に押し付けようとしやがって。にゃん子さんのお茶にも砂糖を……あっ、駄目だ。大体お茶汲みするのにゃん子さんの仕事だ。彼女は自分の仕事を取られることを嫌うのだ。ということで俺の復讐計画は早くも頓挫してしまった……。
「DJの次は探偵かよ」以前社内でヒップホップが流行った時にDJっぽいと言われた事を思い出した。「俺には絶対無理だぞ。俺は自分の仕事で手一杯だ。下手するとお前らより忙しいんだからな」
「あら、さっきはコーヒー牛乳をのんびり飲んでたじゃない」
柿枝さんに指摘されて、「い、今からやるんだよ」と慌ててデスクに視線を落とすが、そこには紙片の一つもなかった。
なんだか、今にも調査業務担当を俺で決定しそうな雰囲気が漂っている。丸腹が一言発しさえすれば否応なしに決定してしまうんじゃなかろうか。これはまずい。何とかしなければ。
「待て、落ち着くぇ!」……噛んだっ!
「お前が落ち着けよ」
「うるせぇ丸裸」
「丸腹だ」
「それで丸腹」前後を全く無視しているだろうがお構いなしに続ける。「伊田君の何が問題なんだ? というか依頼内容も詳しく聞かせてくれよ」
「ああ、依頼内容は至って平凡な浮気調査。十八歳女性のギャルが、付き合ってる男の挙動が最近になっておかしくなったってんで、一日見張っててくれっていう内容でよ。今朝方から今まで伊田に後追わせたんだ」
「伊田君だけ? 他はどうした、登録の人たちとアルバイター」
「金がかかるから一人だけで、って指定されたんだよね」
なるほど。一時間〇千円という料金は「一人当たり」で換算するため、複数人雇うとそれだけ料金も釣りあがる。だから一人しか雇わなかったのか、それとも雇えなかったのか。学生は金がないものだ。
「そんで伊田君はどんな失敗をやらかしたんだ?」
尋ねると、丸腹は首を竦めて言った。「なんも」
「えっ失敗したんじゃないのか?」
「いや。むしろ依頼は達成したよ。……ああ、いや、どうかな」
「どっちだ」
「依頼主から連絡があって呼び出された場所に行ったらすでに伊田君が伸びてたんだよね」
「えっと、どういうことですか?」
にゃん子さんも首を傾げる。同意するように北島さんも柿枝さんも頷いていた。
「どうやら依頼主の女性も隠れて調査対象、つまり自分の彼氏を追跡していたらしい」
うんうんと頷くメンバー。伊田君は未だに魂がどこかを彷徨っているようだ。漫画だと口から白い何かが出ているに違いない。
「そんで、彼氏が何かの拍子に伊田君を見つけ、掴みかかって殴り合い。依頼主が止めに入ったところ、彼氏は尾行されていたと主張。その際依頼主が、自分が尾行させていたと告白し、理由を説明したところ、彼氏はその説明に納得し」
「納得し?」
「余計ラブラブになったとさ。めでたしめでたし」パンパンという合いの手。
「………………」
「料金もしっかり貰ってきた」
どういうことだよ……。
怪訝に思っていると、柿枝さんがミャミソールの紐を掛け直しながら丸腹の説明に肉付けするようして結果への経緯の想像を述べた。
「彼氏は、彼女が自分を尾行させほどに自分のことを思っていることを知って感動したってことじゃないかしら?」
「うーん、俺は納得しかねるけど……えっと、それで結局彼氏には浮気相手はいなかったのか?」
「知らん。彼氏は浮気していないと公言して依頼主が信用して終わり」丸腹が答えた。
なんなんだそりゃ。結果的に依頼主カップルの仲を盛り上げるダシにされただけじゃないか。もちろんこの会社は便利屋をという固有名詞を掲げているのだからくだらない依頼もこなす所存だが、今回ばかりは殴られ損の伊田くんが可哀相だ。せめて彼の活躍が、カツオ本ダシ並みであることを祈る。
「なんで伊田君は見つかっちまったんだ?」
疑問を投げかけると丸腹は肩を竦めた。
「なら今回の伊田君の失敗点を見つけて、改善できるようなら、このまま伊田君に任せてもいいんじゃない?」こんな天パのオッサンにそんな渋い仕事は向かない。というかめんどくさい。
「でも伊田君、真っ白ですよ」
言いながら、北島さんがおもむろに消しゴム(あ、俺のだ)を伊田君に投げつけた。消しゴムは彼の額にぶつかると天井に向かって跳ね、首が倒れた際に開かれた口の中へと吸い込まれていった(俺のなのに!)。伊田君はピクリとも動かない。
作品名:203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』 作家名:餅月たいな