マチジカン
Case 2.
ただいまの時刻、六時十分過ぎ。
待ち合わせの時刻は六時半。
そして、ここから待ち合わせ場所まではほぼ三十分。
今から私は家を出る。
つまり、もともと遅刻予定である。
慌てて走れば間に合うかもしれない。けれど、私に走る気はない。体力不足もさることながら、私は待つのが嫌いなのである。
相手には悪いけれど、少しだけ待ってもらう時間に着くように家を出る。
もっというなら、少し遅刻になる時間に家を出るように準備を始める。
会う相手が誰であれ、洋服だってやっぱり少しは気を遣いたいし。そういう時間に少しだけ、多く時間をとることにして調整する。
人を待つのは嫌いだ。
その人が来るまでの時間をひとりただ立っているのは、時間を持て余してしょうがないから。
何をしていいのかわからない。座っていても、立っていても落ち着かない。時には、視線すら。どこに持っていっていいのか分からなくなってしまう。
でも、待ち時間をもてあますよりも、もっと嫌いなのは、待ち人が来るか心配をしてしまうこと。
待ち人が来ない可能性のほうが普通に考えて低いのは分かっている。それでも、刻々と待ち合わせの時間が迫ってくるにつれてどきどきしてくるのだ。
こういう場合、一番考えるのはこの心配。
“もしも、相手が来る途中で事故にあってたらどうしよう”
それから、デートの待ち合わせなんかだと。
“もしも来る気がなかったら。すっぽかされたら”
考え出したら心配なんてキリがないかもしれないが、それにしたって考え過ぎ。たいていの場合杞憂にすぎることは分かっている。
それでも、私にとってもうひとつ、心配なことが残っている。それは。
“もしかして、待ち合わせ場所を間違ってたらどうしよう”
もしくは、間違えたのが場所ではなくて待ち合わせ時間だったりする可能性がある。
私はあんまり記憶力がよくないのか、時々時間や場所を覚え間違えたりすることがあるのだ。意外と寝起きの電話なんかは記憶が曖昧だから。そのうえ、方向音痴が祟って、実は違う場所と勘違いをしたかもしれないと思ってしまう。なんでそんなことを心配するかっていうと……前科があるからだったりする。
しょうがないじゃない、間違えたものは!!
今のご時世、どれだけ携帯電話が普及したって、結局移動中は取ってもらえなかったりして待っちゃうから同じことなんだ。
ということで、悪いけど、もう少し待ってて。
ただいまの時刻、待ち合わせ時間ちょうどの六時半。