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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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 だから、美奈恵の婚約者が挙式三日前に一方的に彼女を棄てたと聞いたときには耳を疑った。同時に、あまりにも責任感のなさすぎる男への抑えがたい憤りを感じた。
 仮にも五年間も付き合い、身体の関係まで持った女だ。もちろん合意の上でのことだろうから、今の時代に男として責任を取れなどと陳腐なことを言うつもりはない。
 だが、幾ら何でも結婚式を三日後に控えた今となって、明確な理由もなしに逃げるというのは、あまりにも常識がなく冷酷な仕打ちだ。たとえ棄てられた女が美奈恵でなくても、剛史は同じ男として許せないと思ったろう。
 とはいえ、剛史にとっては、これは大きなチャンスともいえた。契約結婚については、これで美奈恵に貸しを作って彼女をどうこうしようと下劣なことを考えているわけではない。ただ、この契約をきっかけに自分たちの関係を大きく変えられるのではないかと淡い期待を抱いているのは確かだ。
 役目を無事に果たした後、思い切って美奈恵に告白してみるのも良いのではと彼は考えていた。
 しかし、肝心の彼の「姫」はキスしただけで猛烈に怒りまくり、ろくすっぽ口をきいてくれない。挙げ句に一人でさっさと眠ってしまった。
 何をやっても身体の熱は消え去りそうにもなく、剛史は仕方なくまたベッドルームに戻った。ベッドの端にそっと腰掛け、美奈恵の寝顔に見入る。
「まっ、身持ちの堅いところも今時の子らしくなくて、そこが良いんだけどな」
 などと、他人が聞けば惚気としか思えないようなことを独りごちた。
「頑張れよな、お前の夢は俺が叶えてやるからさ」
 剛史は呟くと、そっと手を伸ばし、美奈恵のやわからな漆黒の髪を撫でた。
 さて、そろそろ俺もシャワーを浴びて眠るか。眠れなくても、ひと寝入りしておいた方が明日のことを思えば良さそうだ。
 実は新幹線では今の彼と似たようなやきもきした想いを持て余していたのは美奈恵の方で、彼はぐっすりと寝入っていたのだが、そんなことを彼が知る由もない。
 まあ、何をしても大人しくなってくれそうにない俺の下半身はシャワーでもしながら、自分で宥めとくしかないか。
 美奈恵が聞けば、また顔を赤らめそうなことを考えつつ、彼は美奈恵の額にそっと軽い口づけを落としてから寝室を出た。
 
 翌日、美奈恵は寂光院を訪ねた。ルームサービスでトーストとポーチドエッグ、コーヒーとカットフルーツの簡単な朝食を取り、チェックアウトを済ませた。泊まったのはペンション風のこじんまりとした可愛らしい雰囲気のホテルだったが、ここには一泊の予定である。
 剛史は相変わらず何を考えているのか判らないようなポーカーフェイスで隣を歩いている。剛史の身長からいえば、もっと早く歩きそうなものなのに、わざとゆっくり歩いているらしいのは美奈恵に合わせてくれているのだろう。
 さりげない心遣いができることに、改めて健吾とは違うと思ってしまう。既に過去の男となった健吾と剛史を比べたくもないのだけれど、やはり、どうしても比べてしまうのだ。
 思えば健吾はあれでなかなか俺様で身勝手なところがあった。二人ともにセックスにはたいして熱心ではなかったから、身体を重ねるのはごくたまではあったけれど、健吾は前戯も何もあったものではない、ただ勝手に挿入して自分が満足すればそれで終わりだった。
 だから、美奈恵はバージンではないが、真の意味で「絶頂」というのを味わったことがないのだ。よく週刊誌や女性誌でもそういった女の性や歓びについて恥ずかしげもなく赤裸々に語られているものの、その描写が幾ら具体的で露骨であったとしても、実のところ、美奈恵には今一つ実感が湧かない。
 しかし、昨日の剛史のキスはどうだったろう。たかがキス、されどキス、キス一つであれだけ自分の中の何かが切ないほどにかき立てられるのを初めて知り、美奈恵は愕いた。剛史のキスは健吾のおざなりなキスとは違い、ゆっくりと焦らすような―美奈恵の中に潜む官能の焔を少しずつかき立て大きくしていくような密度の濃いキスだった。
 だからこそ、美奈恵は剛史に対して、あんなにもキスしたことを抗議したのである。美奈恵にしてみれば、怖かった。たかがキスしただけで、剛史はあんになも自分を感じさせることができる。もし、それより先の関係に進むようなことになれば、必ず自分は彼によって変えられてしまうだろう。
 女として身体を作り替えられるとでもいったら良いのか。美奈恵はそれが怖かったのだ。処女ではなくても、性について淡い知識と経験しかない自分が剛史によって大きく変えられてしまうことに、未知への領域に脚を踏み入れることへの恐怖があった。
 あのキスの仕方一つで、剛史がこれまでどれだけの女と身体を重ねてきたのか知れるというものだ。もっとも、彼は十六歳から二十一歳までホストをしていたのだと聞いている。
 美奈恵もホストという仕事の内容は漠然とは理解できる。が、ではホストが女性客に対して、どこまでのサービスを提供するのかといえば実は見当もつかないし、実際、店によって違いは大きいのだとも聞いたことがある。
 ある店では客と寝るのもホストの自由に任せているところもあれば、ある店ではあくまでも表向きは寝ることは禁止しているというところもあるという。かといって、剛史に面と向かって訊ねられる内容でもない。
 ある意味、彼の過去を侮辱する質問にもなってしまうからだ。まあ、今の仕事は風俗絡みではないので、その点は少しは安心していられたが。
 妙な話ではあるけれど、美奈恵は剛史が女性客と親密な行為に及んでいる場面を想像しただけで、何か嫌な気持ちになった。自分には健吾という婚約者もいるのに、ただの幼なじみにすぎない剛史に自分がそんな感情を抱くのは妙だとは判っている。なのに、気持ちは止められない。
 そんな得体の知れない、理屈では到底説明しきれない自分の気持ちを時に持て余してしまうことがあった。健吾にドタキャンされたときは切羽詰まって剛史に助けを求めたのだが、果たして、本当にこれで良かったのかとまだ取り返しのつかないことをくよくよと考えている自分がいる。
 泊まっていたホテルから十数分くらい歩くと、小さな寺が見えてきた。大原野寂光院、かつて建礼門院と呼ばれた高貴な女性が隠棲していた寺である。
 建礼門院はその悲劇的・数奇な運命により、あまりにも有名だ。かつて平安時代末期に権力をふるった平清盛の娘であり、高倉天皇の皇后として安徳天皇を生み奉った国母である。
 さしもの全盛を誇り、平家にあらずんば人にあらずとまで驕り高ぶった平家も清盛亡き後の栄華は長く続かなかった。源氏に追われて都落ちした平家はついに平治元年(一一八五)、西海に滅び、幼い安徳天皇も祖母二位の尼に抱かれて入水する。
 もちろん建礼門院も共に入水したが、長い髪の毛を敵の源氏によって熊手で引っかけられ引き上げられた。そうして後、京都は大原野寂光院へと移り住んだのである。
 石段を登っていくと山門があり、くぐると小さな本堂と書院が建っている。美奈恵と剛史はまず本堂に入った。この御寺は基本的に拝観は無料であるが、志納金として大人なら六百円と決められている。