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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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 二人はそれぞれ財布から六百円を出して賽銭箱に入れた。正面に本尊の地蔵菩薩立像が安置され、その脇に、建礼門院と侍女像がある。美しくもどこか儚げなその面差しは、何故か見る者の心にしきりに何かを訴えかけてくるようでもあり、美奈恵はしばらく魅入られたように女院像を見ていた。
「そろそろ行こうか」
 剛史に声をかけられ、緩慢な動作で立ち上がる。名残惜しげに背後を振り返った美奈恵を剛史が物言いたそうな表情で見ていた。
 本堂を出ると、石畳沿いに歩いて行けば書院に至る。二人は書院の前をそのまま通り過ぎて、宝物殿(鳳智松殿)に行った。建礼門院落髪名号?南無阿弥陀仏?や安徳天皇像、平家琵琶、平家物語写本や大原御幸絵巻などが整然と館内に陳列されている。
 再び外に出て、今度は庭を巡った。太閤秀吉寄進の鉄燈籠や諸行無常の鐘楼と千年姫子松などを見て、四方正面の庭をゆっくりと辿る。池の向こうに静かに佇む?孤霊?と名の付く茶室はまさに侘び・さびの世界を具現しているようだ。
 寂光院の創建は古い。推古二年(五九四)、聖徳太子によると伝えられる。
 時間をかけて寺内を見て回って、再び山門をくぐり石段を下りた。
 しばらく二人ともに言葉はなく、ただひたすら歩いた。ややあって、剛史が少し躊躇ってから、声をかけてきた。
「美奈?」
 それでも、美奈恵は考え事をしていて、呼ばれているのにも気づかなかったらしい。
「美奈!」
「あ―」
 美奈恵は眼を見開き、慌てて応えた。
「ごめん、呼んだ?」
 剛史が整った面に苦笑を刻む。
「何をそんなに熱心に考え事してたんだ? 何かさっきもお寺では食い入るように建礼門院像を見てたしさ」
「何かね。あのお像を見てると、女の儚さとか哀しみがぐっと胸に迫ってくるっていうか」
「女の儚さと哀しみ?」
「うん、言葉にするのは難しいんだけど、戦(いくさ)って今も昔も男の人たちがするもんじゃない? 特に今は男女雇用均等法なんかがあって、女も男と互角に闘うけど、建礼門院が生きていた時代って女は黙って引っ込んでろの世界でしょう。なのに、戦には直接関係ない女性のはずの建礼門院や子どもの安徳天皇まで犠牲になって、何だか哀しすぎるなって」
「確かにな、男同士の闘いに罪のない女子どもが巻き込まれるのって、やり切れないよな」
 剛史も真面目な顔で頷いている。
 美奈恵は小さな溜息をついた。
「建礼門院は我が子の安徳天皇を失った後、ここ大原野に来て寂光院の側に小さな庵を結んだ。それからはずっと我が子や亡くなった平氏一族の菩提を弔いながら余生を生きたっていうわ。そんなにも長い間、彼女は何を考え思いながら生きていったのかしら」
 美奈恵はフッと笑った。
「女って哀しい生きものだなって思ってたら、あの場を離れがたくなってしまって」
「確かに、あのときのお前、ちょっと普通じゃなかったぞ。俺は正直、はるか昔に亡くなった建礼門院って人にお前の魂を持ってかれちまうんじゃないのかと思って心配したんだからな」
「まさか、下手なオカルトドラマじゃあるまいし」
 美奈恵は肩を竦めると、小さく首を振る。
「でも、あのお寺は淋しくて哀しい気が満ちてるわね。もちろん、それは穏やかとも言い換えられるけど。静かな諦めとでもいえるかしら。あーあ、私も建礼門院みたいにどこか人里離れたところに引っ越して、ひっそりと暮らそうかな」
「お、おい。まさか出家して尼さんになるとか言い出すんじゃないだろうな?」
 本気で焦っている剛史を見て、美奈恵は笑った。
「いやねえ。流石にまだこの歳で世捨て人になろうと思うまでは世を儚んでないわよ」
「でも、さっき引っ越すとか何とか言ってただろ。俺に何も言わないで姿を消すなんていうのだけは止めてくれよ」
「どこに行っても、剛史にだけは連絡するわよ」
「本当か?」
 勢い込んだ剛史に美奈恵は頷いた。
「だって、男も女も関係なく付き合える友達なんて貴重じゃない? 私、剛史になら、何でも話せるの。例えば、恋バナとかも失恋したことも」
「男も女も関係なく付き合える友達―、美奈にとって俺っていう男は、つまりはそういう立ち位置でしかないんだな。だから、代役の花婿なんて平気で頼めるんだ」
 剛史が何故か面白くもなさそうに呟いたかと思うと、急に歩調を速めた。
「ちょっと剛史、待ってよ。そんなに早く歩いたら、ついていけないじゃない」
「知るかよ」
 急に無愛想で冷たくなった剛史に戸惑いながら、美奈恵は慌てて彼の後を追いかけた。

 その夜は東山山麓のホテルに泊まった。近くには三十三間堂や京都国立博物館、智積院などの観光名所も控えている。
 夜は最上階のレストランで煌めく夜景を眺めながらステーキディナーを取り、部屋に戻った。美奈恵は何故か眠る気になれなくて、部屋に備えつけてある冷蔵庫を開けた。
「折角の京都の夜だもの。少し呑もうよ」
 美奈恵はかなり強めのチューハイを立て続けに二本開けた。
「おい、美奈。良い加減にしとけ。お前って、そんなにアルコールに強い方じゃなかっただろう」
「ふん、何よ、偉そうに」
 美奈恵は呂律(ろれつ)が怪しくなった舌足らずな口調で、剛史を上目遣いに見る。
「ねえ、私のお父さんとお母さんは何で私を棄てていったんだと思う?」
 唐突に言い出した美奈恵を剛史はハッとしたように見つめた。
「そりゃあ、自分たちは良いよね。何億って借金をたった五歳の一人娘に背負わせてさ、さっさと死んで楽になるんだから。でも、残された私は堪らないよ。もしお祖父さまやお祖母さまが何とかしてくれなかったら、私はどうなってたんだろう。もしかして江戸時代みたいに遊廓に売り飛ばされてたかな、あ、今の時代に遊廓なんてないよね。じゃあ、風俗嬢にでもなってた?」
「―止せよ」
「止さない! だって、考えてもみてよ。残される私のこと、お父さんやお母さんは少しでも考えてくれたのかな。どうして一緒に連れてってくれなかったの? 自分たちのことだけしか頭になくて、あんな人たちは親じゃない。子どもの頃から何度恨んだか知れないのよ? 獣だって我が子はちゃんと育てるわ。なのに、何で私の両親は私を棄てたの?」
「棄てたんじゃない。まだ、たった五つのお前を道連れにするのは忍びなかった、だから、親父さんもお袋さんもお前を連れていかなかったんだ」
 剛史の真摯なまなざしに、美奈恵は自分の中でこれまで気丈に保たれていた何かがプツリと音を立てて切れたのを感じた。
「でも、私はずっと棄てられたと思ってたのよ。五歳のときから、私は実の親に見捨てられた哀れなみなしごだと思って生きてきたの。剛史には判らないよ。だって、剛史の家はご両親だってちゃんと揃って元気だし、何の問題もないじゃない」
「美奈、器だけを見て物事を判断するのは止めた方が良いぞ」
「それって、どういう意味―」
 剛史がどこか淋しげな笑みで応えた。
「幾ら見かけが美しくても、その中身までは判らないってことさ」
「剛史の家がそうなの?」
「ま、そういうことだな」
 美奈恵は小首を傾げた。
「嘘でしょ。私を慰めようと思って、そんなデタラメを」
 言いかけた美奈恵に剛史が少し声を高くした。
「嘘じゃない」