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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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 そこまで言って、美奈恵は濃厚な剛史とのキスを思い出してしまった。まるで呼吸すら奪うような烈しいキス、健吾とはあんなキスを一度もしたことがなかった。
 何度か身体を重ねた健吾よりも、剛史とのたった一度のキスの方がよほど淫ら(エロティツク)で、何か身体の芯が妖しく疼くような感覚がした―。
「あんなの先は? なに?」
 悪戯っぽい表情でニヤニヤしている剛史を美奈恵は紅い顔でにらみ付けた。
「変態、ドスケベ」
「まあまあ、そう言うなよ、俺だって、これでも男だしさ、眼の前に可愛い女の子がいたら、そりゃあムラムラっときて唇の一つくらい奪いたくなるってものじゃない?」
「何を調子の良いことばかり言って。そんな見え透いたお世辞を言っても無駄よ。私は甘い言葉でその気になるような安っぽい女なんかじゃないんだからね」
「別に俺はお前を安っぽい女だとか思ってキスしたわけじゃ―」
 言いかけた剛史を美奈恵はきついまなざしで見据えた。
「もう良いから、その話は止めて。とにかく、これは一つの契約で、あなたはレンタル彼氏として仕事をしてるだけなのよ。仕事に私情を持ち込むと、ろくなことがないのは剛史だって、よく判ってるでしょう、だから、こんなことは今後、一切なしにしてちょうだい。私は契約完了後、あなたに約束の報酬を支払う、それ以上のものは何も求めないで」
 言い終わった時、美奈恵はハッとした。剛史が何か傷ついたような瞳をしたからだ。
「美奈、俺、別に報酬なんか、どうでも良いよ。俺はお前が困ってるみたいだから、何か俺にできることがあればって思ってるだけで、金なんて元から貰おうなんて、これっぽっちも考えてないんだ」
 それもまた思いもかけない言葉で、美奈恵は言葉を失った。
「剛史の気持ちはそれは嬉しいし、ありがたいけど、そういうわけにはいかないわ。これは契約で、私はあなたをレンタル彼氏として雇ったんだもの」
 美奈恵は口早に言った。剛史の気持ちは正直、嬉しかった。友達だからこそ、金がすべてのこのご時世にここまで心底から言ってくれるのであろうことも判った。しかし、このまま剛史の親切を受け容れれば、何か自分たちのこれまでの関係が脆く崩れてしまうような―そんな気がしてならなかったからだ。
 剛史と自分の関係が変わる。そもそも、自分たちの関係って、何だったのだろう? ただの幼なじみであることに変わりはないのに、今になって自分は彼に、いや、これからの自分たちに何を期待しているのだろう?
 剛史との関係が変わることなんて、未来永劫、あり得ない。そう思う傍ら、どこかで危うい均衡が崩れてしまうことを期待している自分がいるのも美奈恵は感じていた。
―何てこと。
 果たして剛史に花婿の代役を頼んだことが良かったのかどうか、判らなくなってくる。いや、剛史がいけないのだ、式の最中にあんな淫らな熱いキスを仕掛けてくるから、ただの幼なじみでしかない自分たちの関係が変わるかも知れないなんて、馬鹿げた夢想をしてしまうのではないか。
 美奈恵は自分の中で湧き上がる妙な期待感を必死で打ち消した。
 だが、一度走り出した列車は止まれない。停車駅まで二人はずっとこのまま危うさを孕んだ旅を続けなければならないのだ。
 新幹線に乗っている間、二人はずっと無口なままでいた。迂闊に口を開けば、この危うい関係のバランスを崩してしまいそうで、美奈恵は喋ることもままならなかった。
 が、黙っていてもシートのすぐ傍らにいる剛史の存在を強く意識してしまう。途中から彼はシートを倒し眼を閉じた。眠っているのかどうかは判らず、美奈恵は敢えて彼の存在を無視することで何とか心の平静を保った。
 そっと隣を窺うと、剛史の逞しい胸板が規則正しく上下しているのが視界に入り、何故か頬が熱くなった。教会で自分はあの胸に抱きしめられて、深い口づけを交わし―。
 そのときの高揚感、身体の芯が妖しくざわめくような淫らな感触を思い出し、ますます頬を赤らめる。たかがキス一つで、ここまであれこれと妄想逞しくするなんて、剛史よりよほど自分の方が変態ではないか。
 剛史のひそやかな息づかいがやけに耳につき、美奈恵は狼狽え慌てて彼から眼を背けた。心臓がバクバクと音を立てて破裂してしまうのではないかと思うほどだ。この煩い音が隣の剛史に聞かれねば良いが。美奈恵は本気で心配して、またチラリと剛史の様子を窺った。
 だが、美奈恵の心配をよそに、剛史は本当に眠っているらしく、安らかな寝息を立てている。まるで一人であれこれと気を揉んでいる自分の方が馬鹿みたいで、美奈恵は口惜しくなった。
―もう良い、知らないんだから。
 完全な八つ当たりであることは判っていたが、美奈恵もまた剛史から眼を背けるようにして無理に眼を瞑った。

 初夜。

 深い夜のしじまの中で、やけに腕に填めた時計が秒針を刻む音だけが耳につく。
―畜生、安物の時計なんか買うんじゃなかった。
 と、後悔のほぞを噛んでも遅い。今は何でも良いから、とにかく、この悶々とした状態から抜け出したい。その一心で、剛史はもうかれこれ三時間近くもの間、空しい努力を続けてきた。
 まずは室内に備え付けの小さな冷蔵庫を開けて、缶ビールを立て続けに五本ラッパ飲みした。しかし、いつもならこの程度で酔えるはずなのに、酔いは一向に訪れず、かえって身体だけが妙に火照って仕方ない。
 仕方なく今度は隣室に行ってソファに胡座をかき、DVDを見ようと電源を入れたら、いきなりテレビ画面に全裸で絡み合う男女が一杯に映り、慌てて電源をオフにした。
「マジ、エロビデオかよ、止めてくれよな。こんなときに」
 それでなくても、隣の部屋のダブルベッドではこの上なく魅力的な若い女が眠っているというのに。
「無駄な体力が有り余ってるから、まずいことになるのかもな」
 独りごちた彼は今度は、フットワークよろしく一人で腕立て伏せと腹筋をそれぞれ百回やってみた。しかし、かえってまた汗をかいて身体が熱くなっただけで、一度欲情した身体はどうにもおさまりがつかない。
 大体、ただ無防備に熟睡している女の寝顔を見ていただけで勃ってしまうなんて、誰が想像するか!?
「あー、もう、やってられね」
 剛史はわしわしと両手で長めの前髪を掻きむしる。これでは、まるで年中、女に飢えているモテない男のようではないか。いや、まるで女を抱いたこともない童貞の中学生が一人、逸っているようで、みっともない。
 新幹線の間も美奈恵は機嫌が悪かったけれど、京都駅からバスに揺られること一時間余り、この宿泊予定のホテルに到着したときは、もっと機嫌が悪くなっていた。
 彼は下のレストランに夕食に行こうと誘ったのに、「要らない」とすげなく突っぱねられた。更に彼女は一人でさっさとシャワーを浴びると、ベッドに潜り込んで眠ってしまった。
 偽りとはいえ、結婚式だったのだから、花嫁として緊張もしただろうし、疲れたのは判る。だが、幾ら何でも、これはないだろう。魅力的な―しかも惚れた女を前にして大の二十七歳の男が何もすることができないとは。