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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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「でも、好きだったんだろ? 惚れてるから、一緒になろうと思ってたんじゃないのか」
 すかさず問われて、美奈恵は淋しげに微笑んだ。
「今となっては判らない。ただ、二度と彼に逢えないんだと思っても、少しも哀しいとか感じないのよね。それが不思議なくらい。私って、彼のこと、本当に愛していたのかしらって今になって思っちゃうのよね」
「なら、破談になって、いっそのこと良かったんじゃないのか? そんな中途半端な気持ちで結婚なんてしたら、それこそ即離婚になってたかもしれないぞ」
「要するに、私は誰でも良かったのかもしれない。健吾さんじゃなくても、私の夢を叶えてくれる男であれば誰でも」
「夢って、例の保育園を作るってヤツか?」
 剛史は付き合いが長く、美奈恵のことなら何でも知っている。美奈恵が彼について知っているのと同じくらいには。彼とは男だとか女だとかを意識せずに気軽に付き合ってきたから、もちろん人生最大の夢についても余すところなく打ち明けていた。
 そう、と、美奈恵は頷く。
「水無瀬家の土地や財産を受け継ぐには誰かと結婚しないといけないから、誰かお祖母さまも世間をも納得させられるような男であれば良かった。別に健吾さんじゃなくても良かったのかも」
「誰でも良かったんなら、俺に声かければ良かったのに。俺なら、ドタキャンはしないぞ」
 剛史がその場の雰囲気を和ませるようにわざと明るく言うのに、美奈恵は笑った。
「ふふっ。まさか。そういうわけにもゆかないわよ。レンタルっていうのは期間限定で借りるものでしょう。結婚は一生続くものなんだから」
「お前なら、一生、お前だけのレンタル彼氏になってやっても良いよ」
「また冗談ばかり言って。これでも一応、傷ついてるんだから、あまり質の悪い冗談は止めてよね」
 何だよ、人が本気で言ってるのに。剛史は小声で言い、面白くなさそうに口をつぐんだ。
 扉が内側から開く。パイプオルガンの荘厳な音色が流れてきて、いよいよ式が始まるのだと判った。
 今日、特に参列者はいない。片隅に教会関係の職員が二人、ひっそりと立っているだけだ。彼らは今日、新郎新婦の世話役を担当してくれる。二人のメーク・着付けをしてくれた女性は教会提携の美容室から派遣されてきたが、美奈恵の着付けを済ませた後、次の仕事があるとかで別の式場へと行ってしまった。
 既に両親も亡くなっている美奈恵には式に招待したい人もいなかった。
 剛史が差し出した腕に美奈恵も腕を絡め、二人はゆっくりとバージンロードを進んでいく。普通、途中までは新婦の父親が娘をエスコートするものだが、美奈恵の父は既にこの世の人ではない。
 なので、最初から未来の夫となる男性と手を組んで歩くことにしたのだ。本当なら、今日、この瞬間は世界中の誰よりも誇らしい気持ちでここを歩くはずだったのに。
 現実はどうだろう。大学や高校を中退し、逃げるように駆け落ちして入籍した両親。事業に失敗し、五歳の一人娘に多額の借金を背負わせて心中した両親。
 自分はそんな両親を内心では軽蔑し、けして父母の轍は踏むまいと固く決意して生きてきた。少なくとも、人生の落伍者にはなりたくないと思ってきたのに、今、自分は駆け落ちどころか、本物の花婿に逃げられ、代役の花婿と一緒に偽物の結婚式を挙げている。
 しかも、この結婚は期間限定で終わり、ただ祖母を納得させ水無瀬家の財産を受け取るためにだけ行われるものだ。
 たとえ人生の失敗者だと言われても、最後まで仲良く死んでいった両親の間には少なくとも愛情はあったのだろう。それに比べて、自分には愛さえ得られなかった。
 何だか、私の方がよっぽど悲惨に思えるけど。そんなことを考えると、一旦は引っ込んだ涙がまた溢れそうになる。
 祭壇の前まで来て二人は止まった。六〇歳くらいの額の禿げ上がった牧師が待ち構えている。柔和な面立ちの優しそうな雰囲気の人だ。
「汝はこの女を妻とし、生涯愛することを誓いますか?」
 問いかけられると、剛史はすぐに「はい」と力強い声で応えた。続いて、美奈恵にも同じ質問が与えられる。
 偽りとはいえ、確かに神の御前で誓う神聖な儀式なのに、こんな嘘を言っても良いのだろうか?
 美奈恵は小柄な牧師の背後を見上げた。幼子イエス・キリストを抱く聖母マリア像が真っすぐに自分を見下ろしている。何か自分がとても悪いことをしているような気がして、美奈恵はうつむいた。
「水無瀬美奈恵、汝は誓いますか?」
 再度、牧師に促され、美奈恵は漸く我に返る。と、正面から強い視線を感じた。ハッと顔を上げると、その先には剛史がいた。射貫くような強いまなざしで美奈恵を見ている。
 剛史のそんな烈しいまなざしは初めてで、美奈恵は一瞬、怖いと思ってしまうくらいだった。
「誓いますか?」
 三度目の問いで、美奈恵はやっ「はい」と消え入りそうな声で頷いた。続いて指輪交換、これももちろん健吾と二人で用意していたものだ。幸いにも健吾のサイズは剛史とぴったり合ったようだった。
 その次は誓いのキスになる。これは形式的なもので軽く掠める程度にと事前に剛史に頼んでおいたのだが、何を思ったのか、剛史はいきなり美奈恵の背中に手を回すとグッと引き寄せた。
「ちょっ、剛―」
 殆ど抗議する暇も与えられず、今度は後頭部に手が回される。まるで非難するのを封じるかのように唇を奪われた。
 そう、それは重ねるというよりは、奪うという方が正しいキスだった。舌を差しいれられることこそなかったけれど、角度を変えて幾度も口づけられたキスはかなり濃厚なものだった。
 途中で美奈恵は何とか逃れようともがいたものの、やはり身長差二〇センチ、体格の差はいかんともしがたく、結局は剛史の思うがままに唇を貪られてしまうことになる。
 長い口づけがやっと解かれた後、初老の牧師は人の好さそうな丸顔に意味ありげな―若い二人を冷やかすような温かな笑みを浮かべていた。
 牧師は式直前に新郎の名前が変わっていることに気づいていないはずはないのに、それについて追及することもなかった。美奈恵はその牧師の表情を見ただけで、耳まで真っ赤になり、傍らの剛史に思いきり肘鉄を食らわせた。
「いっ、痛ぇ」
 肘鉄はまともに彼を直撃し、剛史が涙眼で恨めしげに美奈恵を睨んだ。
 美奈恵はこんな助平男とは口を金輪際きくものかとプイとそっぽを向いた。

 その数時間後、美奈恵と剛史は京都駅に向かう新幹線に乗っていた。
 新幹線に乗り込む前、ちゃんとN市役所に出向いて婚姻届けを提出している。これで祖母の指示したように所定の三泊四日の京都新婚旅行を無事終えれば、成功である。
「おい、だから、こうして謝ってるじゃないか。良い加減に機嫌直せよ」
 と、剛史はずっと美奈恵に謝りっ放しだ。
「あら、何がどうしたって?」
 意地悪な気持ちで美奈恵はじろりと剛史を睨んだ。対する剛史は挙式以来、美奈恵がやっと口を開いたので、ホッとした表情である。
「確かに私は花婿のフリをして欲しいって頼んだけど、何もあそこまでしてくれなんて言ってない! キスは形式的なもので良いって言ったのに、何よ、あれは。何で、あんな―」