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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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 ただ、レンタル彼氏になったときは仕事だから、ホスト時代のように好感度の高いフェミニストに変身する。女性客はそんな彼に対して本物の彼もそんな男なのだと、ありもしない幻想を抱きがちである。
 これが恋愛なら、女性に幻想を抱かせる側の男にも非があるといえるだろうが、剛史の場合は「彼女」に優しくするのが仕事なのだから、レンタル彼氏に「サービス」以上の行為や感情を要求する女性客側の方に常識がないのだ。
 とはいえ、誰もが振り向かずにはいられないような素敵なイケメンと一日、「彼女」気分で過ごせば、もしかして―と過度の期待を持ってしまうのもまた女心というものなのかもしれない。
「モテすぎるのが悪いのよ」
―ふん、男は惚れてる女だけ振り向かせられたら、それで良いんだよっ。
「それもそうね」
 美奈恵は同意し、早速、本題に入った。
「ところで、私の方も今日は冗談どころじゃないのよ」
 話をかいつまんで話すと、流石に剛史も返す言葉がないようだ。
「ねえ、引き受けて貰えない? こんなこと、剛ちゃんしか頼む男がいなくて」
―止せよ、剛ちゃんなんて、気持ち悪い。美奈が剛ちゃんて呼ぶときは最低最悪のときだからな。これは少し考えないと。
「小学生のときは苛められて泣いてる剛ちゃんの涙をハンカチで拭いてあげたのは誰だったかしら」
 奥の手を使うと、案の定、剛史の低い笑い声が響いてくる。
―それを言われると弱いんだよな。確かに、あの頃は皆、面白がって苛める側ばかりだったのに、お前一人、いつも俺の味方になってくれてたよな。
「だから、何とかしてよ。要するに婚姻届けを提出するだけで良いの。式をこっちで簡素に挙げて、京都に新婚旅行に行って、こっちに帰ってくるまで、しめて四日間、夫婦のふりしてくれたら良いんだって。それだけで、約束の報酬が手に入るのよ」
―報酬なんて、どうでも良いけどさ。
 ふいに剛史の声が聞き取れないほど低くなった。
―普通、好きな男にはそんな頼みって、できないよな。
「え?」
 美奈恵は剛史の科白の意味を掴みかねた。
―それってさ、俺のこと、美奈が好きでも何でもないから、頼めるんだよな。
 それで漸く意味が判り、美奈恵は頷いた。
「もちろんよ、安心して。私が凪ちゃんみたいに契約切れた後もしつこく迫ったりストーカーになったりすることはないから」
―もし、俺が逆に美奈を追いかけ回したら、どうする?
 そのひと言に、美奈恵は笑った。
「まさか、剛史はそんなことしないわ。だって、私たちは今も昔もずっと良い友達でしょ」
―はは、友達、か。そうだよな、俺と美奈は友達だもんな。判ったよ、幼なじみのよしみで引き受けてやるよ。
 話は決まった。三日後の朝、約束の教会で逢うことにして美奈恵は電話を切った。

  偽りのウェディング・ベル

 その日は前日まで続いた残暑が嘘のように気温が低くなった。朝から空は深いコバルトブルーに染まり、教会の上を名も知らぬ白い鳥が翼をひろげて飛んでいた。
 美奈恵が健吾と結婚式を挙げるはずだったのはN町の外れにある小さな教会だった。既に昨日、健吾からは正式な破談が通告されてきていた。もちろん、美奈恵はそのことを京都の祖母に連絡はしていない。
 教会の前にはひと群れの秋桜(コスモス)が秋風に揺れている。誰が植えたものでもなく、ひとりでに芽吹き、花開いた秋桜の姿はひっそりとしていながら凜としてたおやかだ。
 式が始まる直前、支度を調えた新郎新婦は教会大広間のドア前で待機している。
 秋桜の風情を思い出している中に、美奈恵の眼に熱いものが溢れた。白いウェディングドレスは肩やデコルテを出した少し大胆なデザインだ。その分、トレーンは長く引いて飾りは少なめなシンプルなもので、開いた胸回りと裾に真珠が波形に縫い付けられている。
 肩までのミディアムヘアは緩く纏めて小さなティアラで飾り、白いベールを被った。ティアラにはドレスに付いたのと同じ真珠があしらわれている。
 剛史が着ているのは健吾が着ることになっていたタキシードである。健吾の好みで光沢を抑えた渋いグレーで統一されていた。ポケットには美奈恵が手にする胡蝶蘭のブーケとお揃いのブートニア。
 何だかタキシード姿の凛々しい剛史を眼にすると、涙が溢れてきた。五年間も付き合って、結婚式まで決まっていた男にその式の三日前にフラレた女。そういう女を他人はどういう眼で見るんだろう。?痛い?とか、そんな感じ? 
 職場に四十になったばかりの「お局」と称される上司がいる。数年前に三十代でN銀行初の女性管理職に昇進した女性だ。その女性は独身で、噂ではもう二十年来の付き合いの恋人がいるという。しかも相手は家庭持ちだとか。
 その上司を若い女子行員たちは
―加田さんって、見ていて、何か痛くない? 無理してるっていうか、私はこんなに平気なのよ、幸せなのよっていう顔してるけど、それが余計に回りには辛そうで痛いのよね。
 今の自分もやっぱり、加田さんのように「痛い」のかもしれない。
 所詮、健吾にとって自分はその程度の女にすぎなかったのだろう。そう思うと、今頃になって泣けてきた。別に健吾を想って泣いているわけではない。
 いや、いっそのこと、そうであれば良かった。無くした恋を惜しいと思って泣けたのだとしたら、少なくとも自分は五年間という月日、本気の恋をしていたのだろうから。
 だけど、今の自分はどうだろう。健吾を失って哀しいというよりは、結婚式の三日前にあっさりと見限られる程度の女―そんな風に見られていたことに悔しくて涙が出てくる。
 今、もう二度と恋人として健吾に逢えないのだと考えても、何とも思わない。ああ、そうなのか、そうだったのかと納得できてしまう自分がいる。いっそのこと、かつて剛史を追いかけ回したという凪のように、そこまで健吾に本気になれたら良かった。
 いや、そんな冷めた自分だからこそ、最後まで男の本心を見抜けなかったのかもしれない。
 馬鹿だ、私は大馬鹿だ。
 一度溢れ出した涙は止まらなかった。大粒の涙が頬をつたうのに任せ美奈恵は剛史を見上げた。
 剛史は純白のドレス姿の美奈恵を認め、一瞬、眩しいものでも見るかのように眼を細めたものの、美奈恵の涙を見ると形の良い眉を寄せた。
「何で、泣いてるんだ?」
 剛史は殆ど聞こえないような声で悪態をつき、「ああ、もう」とズボンのポケットから白いハンカチを出した。
「おめでたい席で泣くなよ。化粧が崩れるぞ」
 そう言いながら、ハンカチで美奈恵の涙をぬぐってくれる。
「少しもおめでたくないわよ。これは偽物の結婚式なのよ?」
「偽物でも結婚は結婚だろ」
 剛史は憮然として言い、小さく首を振った。
「そんなに逃げた男がまだ好きなのか?」
 予期せぬ問いに、美奈恵は愕いて彼の顔を見た。
「まさか、式の三日前に逃げ出すような男よ。幾ら私が取るに足りない存在だとしても、そこまで手酷く裏切られて、未練なんてあるはずがないでしょ。それに―」
 美奈恵は言い淀んだ。
「それに、何なんだ?」
 剛史は続く科白が気になるようだ。美奈恵は薄く笑った。
「その薄情男に逃げられて、ちっとも哀しいとも淋しいとも思えない自分にかえって戸惑ってるの、私」