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レンタル彼氏。~あなたがいるだけで~

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 生涯を共に歩むと決めた相手を失っても、喪失感も感じない。ただ、理想どおりにいくはずだった自分の人生計画がものの見事に狂ってしまったという挫折感だけ。
 そういえば、健吾と一緒にいても、特に時めいたということは一度もなかった、なんて、今更思う自分はやはり大馬鹿なのだろう。デートのときでも、高級ホテルでランチをして、水族館デート、映画館デート、時にカラオケ。時に二人で会員制のバーに飲みに行き、その後でホテルで身体を重ねる。
 絵に描いたようなデートは他人が聞けば羨むようなものには違いなかったが、かといって、そのひとときを自分が心から愉しんでいたとは思えなかった。
 私は健吾さんに一体、何を求めていたのか? もしかしたら自分が彼を必要としていたのは、心から愛する男性としてではなく、自分の人生が寸分の間違いもなく理想どおりに正しく進んでいくために必要な脇役としての存在だったのかもしれない。
 健吾は美奈恵の本意をとうに見抜いていたというのだろうか?
 美奈恵は彼を失ってしまったという事実よりも、自分ですら気づかなかった自分の気持ちに相当の打撃を受けていた。そして、その真実に当の自分よりも健吾の方が気づいていたことにも。
 だが、と、美奈恵はここでハッとした。今は妙な感傷に浸っている場合ではない。一年前、健吾が初めて水無瀬家に挨拶に行ったときの祖母の科白を思い出したからだ。
―これで、私も漸く肩の荷を降ろすことができる。お前の両親にはさんざん苦い汁を飲まされてきたけど、お前が健吾さんと結婚して水無瀬の家を継いでくれれば、あの世に行ってお祖父さまにもちゃんと顔向けできますからね。
 更にその後で、祖母はこんなことも言った。
―水無瀬家の資産はすべて、お前が健吾さんと結婚したということが証明されてから、お前に譲りますからね。私付きの信頼できる弁護士にすべてを任せています。
 それによれば、二人が役所に婚姻届けを提出し、受理されたのを弁護士が確認した時点で指定の美奈恵名義の口座に水無瀬家の資産のすべてが振り込まれることになっているという。
 美奈恵は別に祖母の財産を奪おうとか考えているわけではなかった。しかし、保育園を近々開こうと考えている夢のためには、その資産はどうしても必要なものだ。財産を当てにしていると言われれば確かにそのとおりで、否定はできない。
 もちろん、受け継いだ資産を闇雲に乱用するのではなく、自分がこれまで貯めてきた貯金と合わせて夢を叶えるために大切に活かして使っていくつもりだ。
 実は祖母に保育園のことを話さなかったのは、資産を貰うためでもあった。社会貢献ではあるが、果たして保育園設立を祖母がどのように受け止めるか? 何しろ昔の人だし、女性は家の奥で夫のやることなすことを黙って見ていれば良いという時代に育った女性である。
 女だてらに保育園なんてと頭から反対され、財産や土地を譲らないと言われる可能性も十分に考えられた。
 これも年寄りを騙して財産を奪い取ると言われれば、言い訳はできない行為であることも判ってはいた。でも、美奈恵にはすべてがどうしても必要だった。水無瀬家の財産も、広大な土地も、保育園を建てるためになくなてはならないものだった。
―どうするの、美奈恵?
 美奈恵は目まぐるしく思考を回転させる。結婚を取りやめることなんて今更、考えられない。しかし、健吾は大人しいけれど、一度こうと決めたらテコでも動かない一徹さを持っている。
 第一、ここまできっぱりと結婚を拒絶した男を翻意させるのは難しいだろう。また、何とか説得して結婚にこぎ着けたとしても、直に二人の関係が破綻するのは眼に見えている。
 結婚はしなければならない。そこで、美奈恵は眼を見開いた。 
 そう! 何も相手は健吾である必要はない。祖母は要するに私が結婚して婚姻届けを出せば良いのだと言った。むろん、祖母が想定している相手は健吾だから、別の男を替え玉にすれば祖母を騙したことにはなるだろうが、こんなときに手段を選んでいられる場合ではない。
 幸か不幸か、結婚式は二人だけでN市で行うことになっている。若夫婦披露目の儀として披露宴のようなものを改めて来年の正月早々、水無瀬家の親類一同が本家に集まる時、大々的に開くと祖母は話していた。
 だとすれば、弁護士が婚姻届けを確認すれば、祖母との約束は有効、履行されるはずだ。もちろん、弁護士が婚姻届けの氏名までをいちいち確認すれば、花婿が健吾ではなく別人だと暴露されてしまうことになるが。
 しかし、個人情報の保護が叫ばれている今の時代、たとえ新婦の祖母に要請されている弁護士だと主張したとして、婚姻届けを役所側が見せるかどうか? せいぜいが役所に婚姻届けが出されたかどうかを確認できるのが限度ではないか? 
 そこまで考えて、美奈恵は頷いた。これは、是非ともやらなければならない。たとえ相手が健吾ではなくても、誰か別の男を連れてきて、とにかく婚姻届けを役所に出さなければ。
 でも、一体、どうやって―?
 まさか、ひと昔前の街頭娼婦のように夜の街に佇み、ゆきずりの男を捕まえる? 馬鹿なと、美奈恵は嗤う。一晩を愉しむかりそめの恋の相手なら幾らでも見つけられたとしても、そんなのでは駄目だ。
 ちゃんと今回の契約に賛同して、幾ばくかの報酬と共にきちんとした働きを見せてくれるだけの男でならないといけない。そんな男が都合良く見つかるものだろうか。
 誰しも我が身は可愛い。祖母が後で騙されと知り、事が警察沙汰になれば、この契約に荷担した男までもが罪に問われるだろう。むろん危ない橋を渡るだけの見返りは相手に与えると約束するし、そのつもりだけど。
 美奈恵は床に転がり落ちたままのスマホを拾い上げると、顔をしかめた。
「健吾さんと同じね、いざというときには役に立ちもしない」
 高いお金を払ってやっとの想いで買ったスマホは再起不能なほどに壊れていた。肩を竦めてスマホを放り投げ、窓際のデスクの上のショルダーバッグを引き寄せる。いつも通勤に使っているアイボリーのシンプルなバッグだ。
 中からシステム手帳を取り出し、パラパラとめくった。スマホのアドレス帳に登録してあった住所録がそのままこちらにも控えてある。
 彼女の信条その二は、まず人脈の確保こそが人生成功の第一だということ。あらゆる業界に多種多様な人材がいるのだから、そういう人々と繋がり合い、いざというときに連絡が取り合えるほどの強みはない。
 銀行の仕事、或いはカルチャーセンターの茶道や華道教室で知り合った人、更にはフィットネスクラブで知り合った人、とにかく知り合いと思しき人間の住所はすべてここに残してある。
 美奈恵は少し右上がりのクセのある自分の筆跡を眺めた。が、数ページに渡る自慢の?財産?にも、今回の契約結婚にひと役買ってくれそうな男の名前はまるでなかった。
 と、美奈恵はポンと手を打った。
「こんなところにあるわけがないわね」